「播州姫路伝説巡覧図絵」てのがあるのをご存知ですか。2年ほど前ぐらいに、姫路商工会議所が発行した播磨地方の伝承をイラストマップに落としたもので、当地方の伝説の大まかな分布がわかるというスグレモノ(ひめぢの観光案内所に行けばわけてもらえますし問い合わせたら送料着払いで送ってくれたりもしマス)。せっかく泊まりがけでひめぢまで行くんだから、マップを利用してヨサゲな所をまわってみようと思い立ち・・・思い立ったはよいですが、地図に落ちているのは60を上回る伝承地の数々←選びきれるものではありません。てなわけで、めぼしいところを事前にピックアップした上で六角振出箱つきおみくじを作成、天のカミサマのご啓示に従うことにしたわけです。↓↓↓
こういう労力は惜しまないヒトなの。
毎度おなじみのメンバでもって侍戦隊なマネゴトをしつつ、天のカミサマが最初に行けと思し召されたのが、姫路市大塩と高砂市牛谷の境にある馬坂峠。馬坂をこえたら牛谷に着きますとか絵本みたいな地名の展開ですネ。ここに伝わるお話は巡覧図絵いわく、「花嫁行列が通ると馬の首が現れたため、行列はこの道を避けるようになった」とのことですから、岡山などで「さがり」と呼ばれたりするお化けっぽい。また、馬坂峠でググると出てくる話では、羽柴ヒデキチの播州征伐で大塩城攻略の時に戦場で死んだ馬をこの坂の辺りに葬ったところ夜な夜な馬の鳴き声が聞こえたとか、通った花嫁行列に白い馬の化け物が現れて花嫁を奪い去ったとかの話もあるようです。
「延喜式」によると古代播磨は諸国の中でも馬皮の最大の産地であることが見えますことからもかつては比較的多くの馬がいたことが推察されますが、中世以降は農耕にせよ運搬にせよ他の瀬戸内地方と同じく牛文化圏となるはずですし(と言っても馬が全くいなかったとはイイマセンヨw)、高砂側の地名・牛谷とあわせて考えてもここで「馬」という地名はなにやら唐突な感があります。そんな場所で馬が地名にもなりうるほどのインパクトを持つことがあるとすればヒデキチ云々の話は十分ありうる話かなと思いますネ(さがりの話としてもまぁその範疇ですょね)。ただし後者の方は、おどかすだけのお化けだった「さがり」がかくなる乱暴狼藉をするとはいかなることでしょぉとちょっと思いマスわけで。
かくして、うねうねと曲がるゆるやかな坂道をのぼりつめた先にたどりついた切り通しが峠の頂。何かの映画のロケ地にでもなってるんじゃないかというほどとびきりに景色のスバラシイ場所でですね。そうか馬のお化けか出たのかとニヤニヤしたい人はもちろんですが、風景を楽しむだけでも行く価値ありデスョ。ところが。風薫る峠でキモチイィーと背伸びをしたそのシリから、ナニコレ珍百景な看板が目に飛び込んできたワケです。それが、
「起き上がり古木」
おきあがりこぼく。・・・(汗)。・・・・・・(滝汗)。実をいうと馬坂峠の上り口から、朽ちかけた「起き上がり古木コチラ」の紙看板がぽつりぽつりと立てかけられているのには気づいてはいたんでが、そのネーミングセンスに・・・リアクションできずにいたというわけで。こうなりゃ俄然気になるその正体。馬のお化けはどこへやら、とりあえず行こうとケゥ&化繊を先発隊に発遣し、年寄り3人後からぞろぞろと着いていきましたらば。
そこにあったのは注連縄のはられた、それ以外は何の変哲もない椎の木。そして足元に落ちておりましたクリアファイルをのぞきこみますと、木の摩訶不思議な来歴が書かれていたわけでありマス。
「この木は2月8日(水)の午後3時30分頃に立ち上がりました。その前は1年半程前から倒れていました。もし倒れていた時の写真をお持ちでしたら公民館までお知らせください。000-XXXX」
写真持ってもいないくせにすぐさま電話かけましたけどね、土曜日だったので応答なしでした。へーほーふーんと半笑いで山道を戻っていた時です。峠に戻る道の傍らの畑から「木ィ見てきたか?」とフフフ笑いする一人のオッチャンが、不意に我らの前に姿を現したわけでありマス。
オッチャンいわく、早い話が今から4年ほど前、台風がきた時に倒れたのがあの木。この峠の切通しは山と山の谷間にあるために吹く風もきつく、山の斜面側に根こそぎ倒れた。根が少々道をふさいでいたが動かそうにも動かせずそのままにしていたところ、1年半ばかりしたある日、朝がたは根をさらしていたものが夕方になると立っていたと。オッチャンの解説によると木を倒した時とは反対側の強風がふいて木を起こしたのだろうということでしたけどもネ。この木、地元ではそこそこ有名らしく、1年半も倒れていてもまた起ち上がることがあるのだからコドモ達ョあきらめてはイカンと、地域の幼稚園・小学校の遠足コースになっているらしw
これが「起き上がり古木」ダ。
さてこの古老、モチネタはこれだけではありませんでした。食いつきのよい我らに気をよくしたのか、次々とこの辺りのイマムカシを語ってくれたわけです。大塩はその名のとおり古くからの大規模な製塩地帯で、大量に生産される塩を曽根の停車場まで運ぶのに使われていたのがこの馬坂峠。潮が財の源となればなるほど、人々にとっては重要な道となったという。
そういえばこの辺りには馬のお化けが出るそうですねと尋ねましたところ、オッチャンいわく、不逞のやからを寄せ付けぬよう、馬のお化けに襲われる話を作ったんだとおっしゃる。ははぁどおりで襲われるゆえんも襲われた後の話もないと思ったら、遠くない昔に作られたお話だったわけですネ。馬の首が現れたというだけの巡覧図絵に書かれる話の出典が知りたいところですけども、もともと馬の首お化けが出ると言われていた馬坂峠が、塩の運搬が盛んになって富を生むミチとなるとともに、お化けそのものが凶暴化して語られるようになったのかもしれません。
オッチャンによれば、馬のお化けに限らず、この峠道は「霊」の通り道だともいわれていたそうで。それも、馬坂峠の大塩側麓と牛谷側の麓には、ともに焼き場があったというのですね。ハナシの内容からして近代に入ってからのことだと思われますが、馬坂峠は山と山の谷あい、Mの字のような真ん中のくぼんだところを通り抜ける形になっていて、吹く風の向きも気まぐれ。そのために両の麓から上がった煙が峠を行き来するように見えることがしばしばだったのだそうで。煙のモトがモトですからこういった意識が生まれるのはむしろ当然。オッチャンは大塩側の山の麓のため池の辺りで、しゅるしゅると音を立ててとぶ火の玉を目撃したことがあるんだとか。
播磨学研究所のH先生にお会いした時、ここ馬坂を訪れたお話をいたしましたところ、なんでも大塩は郷土愛にあふれる人が大変多いのだそうですョ。・・・なんか、ものすごぅく、納得www ついでに新伝説・起き上がり古木についてもご報告しておきまシタ。気になるオッチャンは峠の頂で畑仕事をされておりますので、運が良ければどなたでも会えますョ。ただし、オリジナル健康酒を勧められますので辛抱強く聞いてあげてくださいw(→コチラ)
牛谷側からみた馬坂峠の切通し(左)と、大塩側の峠道(右)。こちらは秋になるとノジギクの小道となるらしい。
多分オッチャン製作の立札。オッチャンは「山の神」なんだなぁw ちなみに握り返すヒトの手は化繊くんデス。
その後は引き続き天の啓示を受けながら、神功皇后が神火をかかげたという「火山」こと御着南山公園・・・と言いつつも「公園」との名称には随分だまされ感のある山登りを経てw、その頂上付近の牛岩で一服。ショシャジャンへ向かうもロープウェイに乗らなければ行けないことを誰しもが忘れていて断念したり(時間が遅かったわけデス)、香呂の蛇穴神社でエイ絵馬をみたり蛇穴を探したり。巡覧絵図に掲載されていたポイントのほんのわずかではありますが、それでもヒメジをサイコーに楽しんだのでアリマシタ。
で、妖怪天国ニッポンはどうだったかって?そして黒い人のオハナシはって?
そんなの・・・おもしろかったに決まってるじゃナイデスカw 前者の香川ワールド全開な濃密空間は、モノこそその多くがお馴染みのモノではありますが並べ方次第でかくも目新しくなるものかと大変感心いたしました。黒い人は相変わらずツボをはずさないユカイさでようけ笑わしてもらいました←という辺で勘弁してくださいw
妖怪天国ニッポンは、7月11日から京都国際マンガミュージアムで開催されます。見逃した方は、どうぞそちらへお運びくださいませ。
牛岩にて、国見するうし仙人さま。ヒメジのヒト、この地から「公園」の名を取り去らないと、仙人さまのタタリがありますょ。
こういう労力は惜しまないヒトなの。
毎度おなじみのメンバでもって侍戦隊なマネゴトをしつつ、天のカミサマが最初に行けと思し召されたのが、姫路市大塩と高砂市牛谷の境にある馬坂峠。馬坂をこえたら牛谷に着きますとか絵本みたいな地名の展開ですネ。ここに伝わるお話は巡覧図絵いわく、「花嫁行列が通ると馬の首が現れたため、行列はこの道を避けるようになった」とのことですから、岡山などで「さがり」と呼ばれたりするお化けっぽい。また、馬坂峠でググると出てくる話では、羽柴ヒデキチの播州征伐で大塩城攻略の時に戦場で死んだ馬をこの坂の辺りに葬ったところ夜な夜な馬の鳴き声が聞こえたとか、通った花嫁行列に白い馬の化け物が現れて花嫁を奪い去ったとかの話もあるようです。
「延喜式」によると古代播磨は諸国の中でも馬皮の最大の産地であることが見えますことからもかつては比較的多くの馬がいたことが推察されますが、中世以降は農耕にせよ運搬にせよ他の瀬戸内地方と同じく牛文化圏となるはずですし(と言っても馬が全くいなかったとはイイマセンヨw)、高砂側の地名・牛谷とあわせて考えてもここで「馬」という地名はなにやら唐突な感があります。そんな場所で馬が地名にもなりうるほどのインパクトを持つことがあるとすればヒデキチ云々の話は十分ありうる話かなと思いますネ(さがりの話としてもまぁその範疇ですょね)。ただし後者の方は、おどかすだけのお化けだった「さがり」がかくなる乱暴狼藉をするとはいかなることでしょぉとちょっと思いマスわけで。
かくして、うねうねと曲がるゆるやかな坂道をのぼりつめた先にたどりついた切り通しが峠の頂。何かの映画のロケ地にでもなってるんじゃないかというほどとびきりに景色のスバラシイ場所でですね。そうか馬のお化けか出たのかとニヤニヤしたい人はもちろんですが、風景を楽しむだけでも行く価値ありデスョ。ところが。風薫る峠でキモチイィーと背伸びをしたそのシリから、ナニコレ珍百景な看板が目に飛び込んできたワケです。それが、
「起き上がり古木」
おきあがりこぼく。・・・(汗)。・・・・・・(滝汗)。実をいうと馬坂峠の上り口から、朽ちかけた「起き上がり古木コチラ」の紙看板がぽつりぽつりと立てかけられているのには気づいてはいたんでが、そのネーミングセンスに・・・リアクションできずにいたというわけで。こうなりゃ俄然気になるその正体。馬のお化けはどこへやら、とりあえず行こうとケゥ&化繊を先発隊に発遣し、年寄り3人後からぞろぞろと着いていきましたらば。
そこにあったのは注連縄のはられた、それ以外は何の変哲もない椎の木。そして足元に落ちておりましたクリアファイルをのぞきこみますと、木の摩訶不思議な来歴が書かれていたわけでありマス。
「この木は2月8日(水)の午後3時30分頃に立ち上がりました。その前は1年半程前から倒れていました。もし倒れていた時の写真をお持ちでしたら公民館までお知らせください。000-XXXX」
写真持ってもいないくせにすぐさま電話かけましたけどね、土曜日だったので応答なしでした。へーほーふーんと半笑いで山道を戻っていた時です。峠に戻る道の傍らの畑から「木ィ見てきたか?」とフフフ笑いする一人のオッチャンが、不意に我らの前に姿を現したわけでありマス。
オッチャンいわく、早い話が今から4年ほど前、台風がきた時に倒れたのがあの木。この峠の切通しは山と山の谷間にあるために吹く風もきつく、山の斜面側に根こそぎ倒れた。根が少々道をふさいでいたが動かそうにも動かせずそのままにしていたところ、1年半ばかりしたある日、朝がたは根をさらしていたものが夕方になると立っていたと。オッチャンの解説によると木を倒した時とは反対側の強風がふいて木を起こしたのだろうということでしたけどもネ。この木、地元ではそこそこ有名らしく、1年半も倒れていてもまた起ち上がることがあるのだからコドモ達ョあきらめてはイカンと、地域の幼稚園・小学校の遠足コースになっているらしw
これが「起き上がり古木」ダ。
さてこの古老、モチネタはこれだけではありませんでした。食いつきのよい我らに気をよくしたのか、次々とこの辺りのイマムカシを語ってくれたわけです。大塩はその名のとおり古くからの大規模な製塩地帯で、大量に生産される塩を曽根の停車場まで運ぶのに使われていたのがこの馬坂峠。潮が財の源となればなるほど、人々にとっては重要な道となったという。
そういえばこの辺りには馬のお化けが出るそうですねと尋ねましたところ、オッチャンいわく、不逞のやからを寄せ付けぬよう、馬のお化けに襲われる話を作ったんだとおっしゃる。ははぁどおりで襲われるゆえんも襲われた後の話もないと思ったら、遠くない昔に作られたお話だったわけですネ。馬の首が現れたというだけの巡覧図絵に書かれる話の出典が知りたいところですけども、もともと馬の首お化けが出ると言われていた馬坂峠が、塩の運搬が盛んになって富を生むミチとなるとともに、お化けそのものが凶暴化して語られるようになったのかもしれません。
オッチャンによれば、馬のお化けに限らず、この峠道は「霊」の通り道だともいわれていたそうで。それも、馬坂峠の大塩側麓と牛谷側の麓には、ともに焼き場があったというのですね。ハナシの内容からして近代に入ってからのことだと思われますが、馬坂峠は山と山の谷あい、Mの字のような真ん中のくぼんだところを通り抜ける形になっていて、吹く風の向きも気まぐれ。そのために両の麓から上がった煙が峠を行き来するように見えることがしばしばだったのだそうで。煙のモトがモトですからこういった意識が生まれるのはむしろ当然。オッチャンは大塩側の山の麓のため池の辺りで、しゅるしゅると音を立ててとぶ火の玉を目撃したことがあるんだとか。
播磨学研究所のH先生にお会いした時、ここ馬坂を訪れたお話をいたしましたところ、なんでも大塩は郷土愛にあふれる人が大変多いのだそうですョ。・・・なんか、ものすごぅく、納得www ついでに新伝説・起き上がり古木についてもご報告しておきまシタ。気になるオッチャンは峠の頂で畑仕事をされておりますので、運が良ければどなたでも会えますョ。ただし、オリジナル健康酒を勧められますので辛抱強く聞いてあげてくださいw(→コチラ)
牛谷側からみた馬坂峠の切通し(左)と、大塩側の峠道(右)。こちらは秋になるとノジギクの小道となるらしい。
多分オッチャン製作の立札。オッチャンは「山の神」なんだなぁw ちなみに握り返すヒトの手は化繊くんデス。
その後は引き続き天の啓示を受けながら、神功皇后が神火をかかげたという「火山」こと御着南山公園・・・と言いつつも「公園」との名称には随分だまされ感のある山登りを経てw、その頂上付近の牛岩で一服。ショシャジャンへ向かうもロープウェイに乗らなければ行けないことを誰しもが忘れていて断念したり(時間が遅かったわけデス)、香呂の蛇穴神社でエイ絵馬をみたり蛇穴を探したり。巡覧絵図に掲載されていたポイントのほんのわずかではありますが、それでもヒメジをサイコーに楽しんだのでアリマシタ。
で、妖怪天国ニッポンはどうだったかって?そして黒い人のオハナシはって?
そんなの・・・おもしろかったに決まってるじゃナイデスカw 前者の香川ワールド全開な濃密空間は、モノこそその多くがお馴染みのモノではありますが並べ方次第でかくも目新しくなるものかと大変感心いたしました。黒い人は相変わらずツボをはずさないユカイさでようけ笑わしてもらいました←という辺で勘弁してくださいw
妖怪天国ニッポンは、7月11日から京都国際マンガミュージアムで開催されます。見逃した方は、どうぞそちらへお運びくださいませ。
牛岩にて、国見するうし仙人さま。ヒメジのヒト、この地から「公園」の名を取り去らないと、仙人さまのタタリがありますょ。