怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.57 ドライブde安土と妖怪地Part2

2007年02月28日 19時00分17秒 | 怪道
お化けな方たちには通じていると思うですがそうでない方々のために念のため。八日市は「ようかいち」→妖怪地、ということで、市町村合併により「八日市市」の名前が消える前年に世界妖怪会議が行われた場所でもあるのですね。よって八日市めぐりを「妖怪地」めぐりとしゃれこんでいるわけです。そのへんヨロシク。

ではでは川合願成寺前をぶらついていたところから。

名神高速をはさんだ向かいにある川合玉緒神社はもとは願成寺境内にあった神社のようです。願成寺のある玉尾山の琴平宮鎮座を祝ったことが起源という奉納相撲などが有名な神社らしい。・・・とまぁそれさえもナントカ見つけた特徴、というぐらいの、ムラの神社です。

ここでおもしろかったのは、神社の入口にかけられていたやたら立派なしめ縄です。


このしめ縄、いわゆる「道きり」に類する習俗であるらしく、湖東地方では一般に「勧請吊り」あるいは「勧請縄」と呼ばれるそうな。特徴としては、太い藁綱に12本(閏年は13本)の榊・樒などの常緑樹の葉を編み込んだ縄をつるし、中央に「トリクグラズ」と呼ばれるエムブレムのようなものをつけ、村の入口や神社の入口にかけるのがならわし、ということです。縄自体は立ち木にかけるのが一般的なようですが、玉緒神社のは・・・立ち木ではなかった、ような気はします。


トリクグラズは「丸に十文字」。神紋というわけでもなさそうです。神社によっては絵馬や札だったり別のマークだったり、そもそもなぜ「トリクグラズ」と呼ばれているのかもよくわかっていないそうな。何らかの、マジモノの一種なんでしょうねぇ。

「勧請吊り」の名の由来もよくわかりませんが、「できあがった縄を前に般若心経を唱え」たり、縄がかけられる際に「僧侶または神主当番によって仁王般若経が唱えられる」ことと何か関わるのかもしれませんね。とりあえずこんなふうにモウレツに神仏習合な習俗のようです(「勧請吊り-除災招福の正月行事」HPより。詳しく知りたい方はコチラ)。

さてさて続きまして向かいましたのは、玉緒神社でお掃除をされていたおじぃちゃまが是非行ってらっしゃい、と教えてくださった、山部神社と赤人寺(しゃくじんじ)。

赤人寺は寺伝によりますと、この寺は山部赤人の創建でありなおかつ終焉の地としております。若き日の赤人が「アタシあなたの生まれ変わりヨ」と夢告したという如意輪観音を田子の浦から迎えて歌道に霊験を得、壮年になってこの地を訪れた際に木に懸けた冠がはずれなくなって一夜を過ごすハメになったら「こここそが霊験の地でアル」と例の如意輪さんが再び夢告。・・・なんだかヤケクソな感じで如意輪さんを連れてきてここに寺を建てたようですね。

同じ敷地内にある山部神社はもとは「小松大明神」なる神社だったのを明治にはいってから改称したようです。一応終焉の地だということで近くには赤人の墓もあるようなのですが見つからず。もっとも赤人の墓は奈良県宇陀市榛原のものがよく知られており、他に千葉県東金市にもあるようです(赤人塚)。有名人も大変です。

で、湖東地方の神社であるこの山部神社にも、立派な勧請吊りがありました。



トリクグラズは六芒星。


立ち木を利用して懸けられている。

山部神社の勧請縄は六芒星でしたが、下麻生の旭野神社も同じく六芒星で、さらにその隣の蒲生岡本町の高木神社は五芒星のようです(両社とも目と鼻の先にあったみたい)。この辺りの地域のトリクグラズは星が好きなんですかね。見るからに奥が深そうな勧請縄ですが、どんなものにも広く探求されている方がいらっしゃるようで。というわけで山城ぶらぶらさんのブログをここに紹介させていただきます。スゴいですよ!

続きまして、鞍馬山の次郎坊天狗さんのお兄さんとおっしゃる太郎坊天狗さんを泣かしにいってきました。・・・あれ、愛宕山の太郎坊さんは?次郎坊は比良山だったんじゃ?鞍馬山は僧正坊さんだったかしら?・・・まぁいいですか。

遠景が天狗の横顔に見えるという話でしたが運転していたため凝視できなかったんですけども、巨岩のむき出しになった、見るからに修験者ドモがテンション上がりそうな山。本殿前の巨岩が二つに裂けた「夫婦岩」を通り抜けると、岩に挟まるように建つ本殿に到着。蒲生野の地をはるかに見下ろせば、まさに「野」という景色が広がっておりました。

夕暮れ迫る中、もいっちょこれでもかと岩戸山十三仏をめざしたのですが、さすが天狗山の近所ですね、見事「迷わせの道」の罠にはまりました。近くで洗濯物を干していた親切なお兄チャンに、悪いことは言わないからやめておきなさいと説得され、断念。濃密な一日が終わりました。

安土町、八日市ともに仏像は如意輪観音さんをよく見かけるねぇとKR老師と話していたら、聖徳太子は如意輪観音の化身とされたことと関わるかもしれませんねと言うことでした。同じく、この辺りでは、前回申し上げた川合願成寺や観音正寺は太子の創建と伝えますし、岩戸山十三仏は太子が刻んだという伝説があり、岩戸の奥には太子像があるらしい。また太郎坊宮にも太子参拝の伝説が有ります。湖東地方はほぼ天台一色な土地柄であるわけですが、自信ないですけども天台宗と聖徳太子って、なんか密接な関係がありましたよね。またいろいろと勉強になりました。

天台と太子と人魚の地、蒲生野。・・・おじぃちゃんの日記を読んでいて思い出したですが、そういえば安土城なんてのもあったっけ。安土城よりオモシロイもの、いっぱいあるトコですよ、ここは。

怪道vol.56 ドライブde安土と妖怪地Part1

2007年02月27日 22時38分40秒 | 怪道
そんなわけで日曜日、いつも通りのメンバーで、行き先は・・・紆余曲折を経た結果、結局安土城考古博物館、そして八日市の太郎坊天狗さんに小姓が淵の人魚さんとそのお寺・願成寺(+その前の玉緒神社)、そして万葉歌人・山部赤人の神社・寺に落ち着き、運転大好キのワタクシがドライバーを勤めまして、向春の湖東地方を爆走して参りました。

まずは安土城考古博物館。近江風土記の丘という、一時全国的にばばーっと作られた遺跡+文化施設群「風土記の丘」シリーズの近江版敷地内にあります。開催されていた特別展「甲賀郡の風土と遺宝」は、ちょっと行きづらい場所にある面白い仏像や神像が一堂に会したというもの。これがまた実にスリリングな展示でしたよ、バカには見えない展示ケースだとか毛髪温度計の背後に隠れる銅製装飾品だとかイヤに照明が強い絵画展示だとか。・・・まぁそれは冗談として、1万体以上の地蔵がミッシリと描かれた地蔵曼荼羅図だの「伝随神坐像」と題された鑿跡残る9体の男神坐像だの、オールバックの狛犬さんだの、地方ならではの素朴さ荒々しさ力強さ。嶺南寺(天台寺院)の飯縄権現像もカッコよかったです。常設展示も、KR老師と言うていたのですが、テーマをしぼった中で工夫しつつ模索しつつ実験的展示をされているあたり、斎宮博物館と似通う所がありますね。

図録なんかもいいものが多くてですね。甲賀忍者を題材にした「影の戦士たち」を購入。予定していたよりじっくり時間をかけて堪能した後、お昼御飯は同風土記の丘敷地内にある「文芸の郷レストラン」へ。入院組の化繊くん・ケゥちと入職組の黒い人・オトロシンさまをお祝いして、ワタクシよりプレゼントさせていただきましたコスプレ(?)グッズで天使や魔女やオバケやアカレッドになっていただいたり、アカレッドさんとガジャに扮したおじいちゃんで戦っていただいたり。人はいるのにシンと静まり返った館内の雰囲気がステキでした。

たらふく食って遊んで笑われて、の後は、レンタカーの機動力をフルに活用いたしまして八日市町へ。向かった先は、蒲生の人魚伝説の地、佐久良川の「小姓が淵」。この蒲生野の辺りには、『日本書紀』の推古27年(619)年4月壬寅条に「近江国言す。蒲生河に物有り。其の形人の如し」と見えるように、なんだかよくわからないモノがいたようですね。「物」とあるだけでこれが人魚かどうかはわからないんですが、蒲生町観光協会の方はこれをもって人魚のルーツだと考えておられるようです。

なんでそんなことにしたのかなぁと原文を見ましたところ、問題の箇所の次に見えるのが、同年「秋七月、摂津国に漁父有り。網を堀江に沈む。物有りて網に入る。其の形、児のごとし。魚にもあらず人にもあらず。名づくる所を知らず」というもの。つまり後の記事では「魚」のようにも見えなくもないと言っているわけです。推古27年は先ほどのと合わせてこの2つの記事のみですし、この記事のために蒲生河の「物」も人魚的なものではないかと考えられたのでしょう。

小姓が淵に伝える話にいわく、その昔、観音草堂の尼に仕える3兄妹の小姓が河辺に住んでいた。ある時村が大干ばつに襲われたとき、水がなくなって困るたびに、小姓が淵の水がいっぱいに溜められるようになった。不思議に思った村の若者が夜中に淵を見に行くと、そこには三兄妹が「人か魚か見分けがつかない姿」で、淵に水を溜めてくれていた。やがてその「人魚」の噂が広まって、心ない人に一匹が捕まってしまい、ミイラにされ、やがて川合願成寺に納められた。次の一体は川を遡って逃げたがついに捕獲され死んでしまった。最後の一体はたまたま訪れた弘法大師のお供をして、「高野山魔萱堂仁徳寺観音堂」へあがったと言うことだ(蒲生野商工会HPより)。

我らがオダイシに拾われた子以外はなんともひどい話ですね(笑)。「人か魚か見分けがつかない」のになんで尼につかえる3兄妹だとわかったのか不思議ですが、それはさておきおじぃちゃん情報によりますと、この「高野山魔萱堂仁徳寺」、どうやら苅萱堂のことらしいのですね(魔萱は多分誤植)。そうです、高野山は学文路の苅萱堂の人魚といったら、N代表のご実家の人魚のミイラですね!あの人魚のルーツは、近江国蒲生小姓が淵の3兄妹の一人だったということになります。

で、行ってきました、小姓が淵。



ここがその小姓が淵だったわけですが、そこの案内板が実にすばらしかったわけです。すなわち!

「寺の小姓が、ある夏の暑さにたまりかねて泳ぎに行き、準備体操をせずに泳いで、心臓マヒで死んでしまいました。この後、人々の間に人魚が出るといううわさが広がりました。」

なんと心臓マヒ!教えて出典w
人魚の正体は暑さにうだった小姓さんだったんですね。いくら夏で暑くても泳ぐ前は準備体操をしなさいという、じつにPTAくさい民話でした。いい話だw

水のたまってる所を見れば石を投げたくなるのが人情。ということで大石投大会を開催した後は、再び車で移動、人魚のミイラが納められたという川合願成寺へ向かいました。川合願成寺、現在は曹洞宗のお寺で、聖徳太子によって創建されたという伝説も持つ古刹。2000年にはこちらで人魚サミットなるものが開催されたそうです。こちらのミイラは非公開ということでお見せいただくことはできなかったんですが、いつの日か、苅萱堂の子と感動の兄弟対面をさせてあげたいですね。

ついでにブラブラと近くの神社をうろうろしていたら、土地のおじぃちゃま達から興味深いお話をうかがうことができました。日野川河口に位置する近江八幡市は佐波江町(ワタシは鯖江と聞いていたのですが、佐波江であることをいつきのおじいちゃんに教えていただきました、ありがとうございます!)では、むかし、体の長い種類のコイを下半身に、小猿を上半身にして、人魚のミイラが作られていたというのですね。これはスゴイ話です。

安土町から蒲生町にかけての一帯は、他にも人魚にまつわる伝説がいろいろとあるらしく、たとえば当初行く予定にしていた安土町の観音正寺は聖徳太子が前世の殺生の為に人魚に生まれ変わってしまった者の成仏を願って建立されたと言います。観音正寺には同じく人魚のミイラがあったそうですが、1993年の火災の際に一緒に焼けてしまったらしい。この寺がある安土町はいわずもがな、佐波江のある近江八幡の隣町。

つつけば面白い事実がたくさん出てきそうですが、今はいっぱいいっぱいですので誰かよろしくお願いしますw。というわけで、続きはまた明日。


小姓が淵「人魚園」の像。なにこの人魚。欧米か。

猫好きだったらやっていいそうで(バトンですょ)

2007年02月27日 14時09分41秒 | その他
一度やってみたかったんですなァ、バトンというやつw。Mixiでよく見かけるんですが、ブログではあんまりやっちゃいけないのかしら?その辺のルールはあんまり知りません。別にご指名なかったんですけども、猫好きを自認してたらやっていいということだったので、遊ばせていただくことにしました。猫と同じぐらい犬もモグラもアザラシも怪獣も好きなんですが。というわけで、愛する落武者研究家・けんもんくん、いただきましたニャォォォン。


☆猫バトン☆

・これが回ってきたら次に書く日記の語尾すべてに「にゃ」「にゃん」「にゃー」 等をつけにゃくてはにゃらにゃい。
・「な、ぬ」は「にゃ、にゅ」にすること。
・一人称は必ず「我輩」にすること。
・日記の内容自体は普段書くような当たり障りのにゃいもので構わにゃい。
・日記の最後に5匹!回す人の名前を記入するのを忘れにゃいこと。
・既にやったことがある人でも回されたら何度でもやる事。

というわけで、スタート!

●好きにゃタイプを外見で答えよう
→タレ目・小太り(もしくは骨太)にゃ。ガリ男・ガリ子はにゃんだか体調が心配ににゃってくるので落ち着かにゃいのにゃ。そんにゃわけでよかったらもっと太ってください、けんもんチャン。にゃ。

●年上が好き?
→スキスキ大スキにゃー。

●財布はどんにゃの使ってますか?
→茶色くていろいろロゴがはいってるやつにゃ。乾燥してフチがソリ返ってきてる、パッチモン疑惑ありの代物にゃん。

●携帯はどんにゃの使ってますか?
→コドモのP701iDにゃん。白くて味気にゃいので猫三味線仕様にしているにゃ。よくフリーズするので使い勝手は微妙にゃ。アーウー&コドモの方が電話を下さると、もれなく三味線の音が聞けますにゃ。ためしたい方はご一報いただければ出にゃいのでどうぞ。にゃ。

●携帯ストラップは?
→目玉のハゲた黒豚目玉おやじ(鹿児島限定)にゃ。

●手帳は持ってますか?
→すぐにゃくすので持ってにゃい。

●バックはどんなの使ってますか?
→めんどくさくないやつにゃ。

●その中身は?
→お金以外はめんどくさくないものにゃ。

●今はいてるパンツは?
→ふんどし。にゃ。

●星に何を願う?
→できれば生まれてこにゃかったことにしてください。
 
●もしクレヨンに生まれ変わったら?
→たぶん赤色。にゃ。 

●好きにゃスポーツは?
→うでたてふせにゃ。
 
●好きにゃ曜日は?
→にゃい。

●最後に観た映画は
→映画館だと「轟轟戦隊ボウケンジャー 最強のプレシャス」、それ以外だと「戦国自衛隊」、Vシネなら「新・日本の首領3 激闘編」。にゃ。

●怒ってる時にどぅする?
→風呂に入るにゃ。入れない時は先取り約束機で入ったつもりになるにゃ。
 
●夏と冬どっちが好き?
→夏にゃ。寒けりゃいくら着ても寒いにゃ。
 
●最近泣いたのは?
→疲れるので泣きません。にゃ。
 
●昨夜何した?
→某記録のまとめに手こずってたにゃん。

●好きにゃ花は?
→大山伸子が栽培してた花にゃ(適当)。

●次にまわす5人
うーん、いつきのおじぃちゃんと、普段からにゃんにゃんゆってるけぅちー、個人的ににゃぁにゃぁゆうてるのが見たいKR老師に、ジモッティ友達・りかどの。・・・・あとは血痕マヂカのちゃりだ君に、おめでとうバトンだw!
あ、もちろん強制ではにゃイので気が向いたら、どうぞですにゃ。

今晩あたりまともなのあげますので、ちょっと気分転換させていただきましたw。

怪日記vol.83 寝子さんの歌

2007年02月21日 21時31分45秒 | 怪日記
三洋社版『鬼太郎夜話』の「吸血鬼と猫娘」(貸本まんが復刻版『墓場鬼太郎 2』角川文庫、所収)やガロ版「鬼太郎夜話」(『鬼太郎夜話(全)』ちくま文庫、所収)で、前者ではトランク永井氏、後者では三島由美夫氏が吸血木に変身してしまって舞台に立てなくなった時に、猫娘ことキャット寝子さんが歌う歌がありますね。

コラッソン コラッソン レメロンレメロン♪
(角川文庫版『墓場鬼太郎』P130,162、ちくま文庫版『鬼太郎夜話』P152,176)

が、ずぅっと気になっていたのです。レメロンレメロンってこの不思議な言葉は何だろう、元歌でもあるのかしら、大先生のナニか含蓄のある言葉なのかしら、と。・・・気になりませんでしたか、そうですか。で、鬼太郎といえば、みぢかな人ではつんさんだったわけです。何かご存じないですか、と徹夜マージャンの帰り道、夜明けの電車に揺られながら尋ねたわけです。

そしたら翌日、早速わかりましたと連絡が来ました。
すなわち。「あなたに抱かれてわったっしはチョウになる~♪」の森山加代子さんが歌ってらっしゃった、「メロンの気持ち」という、1960年代初頭にヒットした曲らしい。・・・ご存知でしたか、そうですか。機嫌よくネットで聞いてたら、うちのオカンがなつかしぃわねぇと横で歌いはじめましたハハハハハ。まぁ、ちょっとご年配めの方には懐かしい感じのようです。

もとはスペインの歌で英語の歌詞がつけられたんだそうです。森山さんが歌ってらっしゃるのは発見できませんでしたが(イヤその、森山さんのCDとかには収録されてるんですよ)、とりあえず、ようつべで見つけたスペイン語版の原曲「Corazon de Melon」を載せておきますね。

Corazon de Melon(←クリックすると音が出ます)

アホっぽい感じで聞きたい方はこちら
Corazon de Melon(←クリックすると音が出ます)

「なんというセクシィな歌いぶりだろう」
「ぼくは鼻の下が10センチのびた」
「ぼかァ30センチだ」
というなら、後者の方が寝子さんの雰囲気があるでしょうか。レメロンレメロンではなくて「デメロンデメロン♪」と言うてはったわけですな。「メロンの気持ち♪メロンの、メロンのメロン、メロン~♪」と歌ってはるわけです(直訳)。

実を言うと「墓場鬼太郎」バージョンの方はp.129の見出しというかタイトルというかに「メロンの気持ち」と書いてあるんですよ。でもこの意味が、以前はまったくわからなかったわけです。喫茶店ザ・パンティで、チャンチャンコをぬすんだネズミ男とニセ鬼太郎が種づまりさんと密談する、どこが「メロン」で何が「気持ち」なんだ、と。寝子さんの歌ではじまり、歌で終わる。ちょうど一曲分のシーンと考えると、実に絶妙ですな!いやァ、おかげさまでスッキリしました。つんさん、ホントにありがとうー。次は日比谷公会堂の歌謡大会で同じく寝子さんが歌う「おぉキャロル♪」ですね。

えぇ、まぁ、それだけです、ハイ。

怪評vol.36 特撮とか水木マンガとか

2007年02月15日 05時10分55秒 | 怪評
2月14日。手巻き寿司にしようと近所の生協に買い物に行ったら、はまちの刺身のパックのおまけにチョコがついていました。欧米か。

だらだらと毎日を過ごしております。そんなわけでだらだら見れる特撮映画を3本ばかり見ました。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」(1966)、「ゴジラ対メカゴジラ」(1974)、「メカゴジラの逆襲」(1975)です。

まずはフランケンシュタインから。ラス・タンブリンがウザイです。

山に住んでる「サン(山)ダ」と海に住んでる「ガイ(海)ラ」ということなんでしょう。前年に作られた「フランケンシュタイン対地底怪獣」で死んだはずのフランケンシュタインが再び現れる。けれどもそれは飛び散った細胞から再生した個体だった(ガイラ)。生き残っていたほうのフランケンシュタイン・サンダははじめ兄弟でもあるガイラをかばうが、傍若無人に暴れ狂うガイラにとうとう堪忍袋の緒が切れて、という話(適当)。

飛び散った細胞って、ホンマに1個ですんでたん?という素朴な疑問はおいといても、サンダには、去年の自分、そんなんちゃうかったやん、もっと人間やったやんと言いたい。あれは全く、ウーまじりのキングコングです(そう思ったら結構好きになりました)。はっきりいってソノシート版「怪獣ジャイアントサンダ」の方がオモチロイ(DVD版の特典映像)。悪の怪獣・ガイラの襲来に、大急ぎでベビー・サンダを育て対決させる、という話になってるんですね(「早く大きくなれ、サンダ!」とかゆうてる)。どうせならそういう話にしてしまえばよかったのに。暴れるガイラを制止しようと、サンダが片手を突き出しながら大きく首を左右に振り続けるシーンがあるんですが、なんだそのジェスチャーは。欧米か。

「メカゴジラ」は愛しの岸田森を拝見するためにウキウキルーキーで見たものです。小沢征悦似のゴジラが軽快なフットワークを見せておりました。それにしてもメカゴジラでもって地球侵略を図る敵キャラの故郷、「ブラックホール第三惑星」というのはどういうことなんでしょう。ブラックホールは「大質量の恒星が超新星爆発した後、自己重力によって極限まで収縮した状態の天体」(Wikipediaより)ということですから、かつて大質量の恒星の周りを公転していた惑星だったところ、その恒星が超新星爆発をへてブラックホール化したのでやばくなっちゃったし地球をいただこうということになったということか。とりあえず超新星爆発は耐えたんだな、第三惑星。

琉球の伝説の神獣のお名前に外来語がまざってますね(キングシーサー)。いいんですかそれで。しかも歌謡曲でお目覚めになるとは。テロップで気になるベルベラ・リーンて、この曲歌ってる人ですよね。欧米か。チタノザウルスの必殺技も、相手に尻を向けて前のめりになるから何がはじまるのかと思ったら、尻尾がパカッと扇状にひらいてパタパタとあおぎはじめられました。「強風」が持味なんだそうです。こんなのに人生狂わされたんですね、真船博士。

ゴジラの人間臭い動きも子どもコビコビなのもこの時代のゴジラでは仕方がないですから気にしません(笑)。とりあえず宇宙人の手錠に地球の指輪で対抗した岸田森はやっぱりすごかった。すげぇ開いたと素直に感動です。

「メカゴジラの逆襲」は、観客動員数を初めて100万人を割ってしまったと言うことで、第一期のゴジラ映画制作打ち切りの原因を作ってしまった作品。ちなみにゴジラ映画は2004年公開のFINAL WARSを最後に制作されておりません。なんでも、映像のリアリティを追求するためには着ぐるみでは限界だからということなんだそうで。FINAL WARSは最終作ということになってますが、一応CGや3Dを駆使しての映像化の研究はなされているそうです。ですが、着ぐるみ独特の味を抜きにした怪獣ってどうなんでしょう。アナログな世界で精一杯頑張ってる特撮が大好きなもんですから、デジタルなリアリティでもって追求したゴジラが現れた時、ワタシはそれを愛せるんだろうかと思ってしまいますね(あ、ジラだ。あれは愛せないw)。

で、だらだらついでに所有の水木作品(24、5冊ですが)を通し読みしました(無理やりツナイだ・笑)。それで新たにひとつ気づいた、なぜに水木作品の妖怪に魅かれるのかの理由。すなわち、トーンが少ないこと。・・・うん、ホントにワタシの好みなだけですけども。

大先生の作品も時代を下るごとに徐々にトーンが増えていくわけですね。週刊少年マガジンの頃まで下ってくると、鬼太郎の髪の毛までトーンが入ってきちゃう。それにつれて、自分の中での愛着バロメータの針の振れ具合が微妙に変化することに気づいたわけです。

実は今までマンガを読んでいて「トーン」のはり具合なんて特別深く考えたことはなかったんです。確かに、トーンを過剰に使った絵は軽薄な感じがしてあまり好きではない、という程度の感覚はこれまでにもなかったわけじゃない。ですが、水木作品、特にオバケものについては、特にその辺に反応してしまうわけです。

なんでかな、と言うことをつらつらと考えてみて思ったのは、ワタシにとってマンガのトーンというのは、映像で言う所のCGみたいなイメージがあるのですね。うまくは言えませんが、つまりは表現のバリエーションを高めてはいるんだけれども、反面、画面が持つ味わいや深みが薄まっていくもの。使い方次第ではあるんですけどもね。

思うにこれは、水木作品やそれによって生み出されたいわゆる「妖怪」に対する、なつかしさや郷愁といった感情と無関係ではないからではないでしょうか。やはり妖怪は、ベタぬりと絵筆やペンの筆圧の強弱のみで表現された世界が似合う。そして、大先生にしか描けないョというような、緻密な点描の背景に座っているのが似合う。その世界にはなんとなくトーンがジャマなんです。・・・と、どこかでワタシが思っているからなのだなぁと。

そしてさらに欲を言えば、ページの余白まで広がって縦横無尽に切っていっちゃうようなコマ割よりも、規則正しくならんだ四角いハコの中に、その姿をのぞきこみたい、と思ってしまう。・・・まぁ、あくまでワタシの好みですが。

というわけでオチはありません(笑)。

ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ。


はまちの刺身のオマケチョコ。生協ってワカラナイ。