お化けな方たちには通じていると思うですがそうでない方々のために念のため。八日市は「ようかいち」→妖怪地、ということで、市町村合併により「八日市市」の名前が消える前年に世界妖怪会議が行われた場所でもあるのですね。よって八日市めぐりを「妖怪地」めぐりとしゃれこんでいるわけです。そのへんヨロシク。
ではでは川合願成寺前をぶらついていたところから。
名神高速をはさんだ向かいにある川合玉緒神社はもとは願成寺境内にあった神社のようです。願成寺のある玉尾山の琴平宮鎮座を祝ったことが起源という奉納相撲などが有名な神社らしい。・・・とまぁそれさえもナントカ見つけた特徴、というぐらいの、ムラの神社です。
ここでおもしろかったのは、神社の入口にかけられていたやたら立派なしめ縄です。
このしめ縄、いわゆる「道きり」に類する習俗であるらしく、湖東地方では一般に「勧請吊り」あるいは「勧請縄」と呼ばれるそうな。特徴としては、太い藁綱に12本(閏年は13本)の榊・樒などの常緑樹の葉を編み込んだ縄をつるし、中央に「トリクグラズ」と呼ばれるエムブレムのようなものをつけ、村の入口や神社の入口にかけるのがならわし、ということです。縄自体は立ち木にかけるのが一般的なようですが、玉緒神社のは・・・立ち木ではなかった、ような気はします。
トリクグラズは「丸に十文字」。神紋というわけでもなさそうです。神社によっては絵馬や札だったり別のマークだったり、そもそもなぜ「トリクグラズ」と呼ばれているのかもよくわかっていないそうな。何らかの、マジモノの一種なんでしょうねぇ。
「勧請吊り」の名の由来もよくわかりませんが、「できあがった縄を前に般若心経を唱え」たり、縄がかけられる際に「僧侶または神主当番によって仁王般若経が唱えられる」ことと何か関わるのかもしれませんね。とりあえずこんなふうにモウレツに神仏習合な習俗のようです(「勧請吊り-除災招福の正月行事」HPより。詳しく知りたい方はコチラ)。
さてさて続きまして向かいましたのは、玉緒神社でお掃除をされていたおじぃちゃまが是非行ってらっしゃい、と教えてくださった、山部神社と赤人寺(しゃくじんじ)。
赤人寺は寺伝によりますと、この寺は山部赤人の創建でありなおかつ終焉の地としております。若き日の赤人が「アタシあなたの生まれ変わりヨ」と夢告したという如意輪観音を田子の浦から迎えて歌道に霊験を得、壮年になってこの地を訪れた際に木に懸けた冠がはずれなくなって一夜を過ごすハメになったら「こここそが霊験の地でアル」と例の如意輪さんが再び夢告。・・・なんだかヤケクソな感じで如意輪さんを連れてきてここに寺を建てたようですね。
同じ敷地内にある山部神社はもとは「小松大明神」なる神社だったのを明治にはいってから改称したようです。一応終焉の地だということで近くには赤人の墓もあるようなのですが見つからず。もっとも赤人の墓は奈良県宇陀市榛原のものがよく知られており、他に千葉県東金市にもあるようです(赤人塚)。有名人も大変です。
で、湖東地方の神社であるこの山部神社にも、立派な勧請吊りがありました。
トリクグラズは六芒星。
立ち木を利用して懸けられている。
山部神社の勧請縄は六芒星でしたが、下麻生の旭野神社も同じく六芒星で、さらにその隣の蒲生岡本町の高木神社は五芒星のようです(両社とも目と鼻の先にあったみたい)。この辺りの地域のトリクグラズは星が好きなんですかね。見るからに奥が深そうな勧請縄ですが、どんなものにも広く探求されている方がいらっしゃるようで。というわけで山城ぶらぶらさんのブログをここに紹介させていただきます。スゴいですよ!
続きまして、鞍馬山の次郎坊天狗さんのお兄さんとおっしゃる太郎坊天狗さんを泣かしにいってきました。・・・あれ、愛宕山の太郎坊さんは?次郎坊は比良山だったんじゃ?鞍馬山は僧正坊さんだったかしら?・・・まぁいいですか。
遠景が天狗の横顔に見えるという話でしたが運転していたため凝視できなかったんですけども、巨岩のむき出しになった、見るからに修験者ドモがテンション上がりそうな山。本殿前の巨岩が二つに裂けた「夫婦岩」を通り抜けると、岩に挟まるように建つ本殿に到着。蒲生野の地をはるかに見下ろせば、まさに「野」という景色が広がっておりました。
夕暮れ迫る中、もいっちょこれでもかと岩戸山十三仏をめざしたのですが、さすが天狗山の近所ですね、見事「迷わせの道」の罠にはまりました。近くで洗濯物を干していた親切なお兄チャンに、悪いことは言わないからやめておきなさいと説得され、断念。濃密な一日が終わりました。
安土町、八日市ともに仏像は如意輪観音さんをよく見かけるねぇとKR老師と話していたら、聖徳太子は如意輪観音の化身とされたことと関わるかもしれませんねと言うことでした。同じく、この辺りでは、前回申し上げた川合願成寺や観音正寺は太子の創建と伝えますし、岩戸山十三仏は太子が刻んだという伝説があり、岩戸の奥には太子像があるらしい。また太郎坊宮にも太子参拝の伝説が有ります。湖東地方はほぼ天台一色な土地柄であるわけですが、自信ないですけども天台宗と聖徳太子って、なんか密接な関係がありましたよね。またいろいろと勉強になりました。
天台と太子と人魚の地、蒲生野。・・・おじぃちゃんの日記を読んでいて思い出したですが、そういえば安土城なんてのもあったっけ。安土城よりオモシロイもの、いっぱいあるトコですよ、ここは。
ではでは川合願成寺前をぶらついていたところから。
名神高速をはさんだ向かいにある川合玉緒神社はもとは願成寺境内にあった神社のようです。願成寺のある玉尾山の琴平宮鎮座を祝ったことが起源という奉納相撲などが有名な神社らしい。・・・とまぁそれさえもナントカ見つけた特徴、というぐらいの、ムラの神社です。
ここでおもしろかったのは、神社の入口にかけられていたやたら立派なしめ縄です。
このしめ縄、いわゆる「道きり」に類する習俗であるらしく、湖東地方では一般に「勧請吊り」あるいは「勧請縄」と呼ばれるそうな。特徴としては、太い藁綱に12本(閏年は13本)の榊・樒などの常緑樹の葉を編み込んだ縄をつるし、中央に「トリクグラズ」と呼ばれるエムブレムのようなものをつけ、村の入口や神社の入口にかけるのがならわし、ということです。縄自体は立ち木にかけるのが一般的なようですが、玉緒神社のは・・・立ち木ではなかった、ような気はします。
トリクグラズは「丸に十文字」。神紋というわけでもなさそうです。神社によっては絵馬や札だったり別のマークだったり、そもそもなぜ「トリクグラズ」と呼ばれているのかもよくわかっていないそうな。何らかの、マジモノの一種なんでしょうねぇ。
「勧請吊り」の名の由来もよくわかりませんが、「できあがった縄を前に般若心経を唱え」たり、縄がかけられる際に「僧侶または神主当番によって仁王般若経が唱えられる」ことと何か関わるのかもしれませんね。とりあえずこんなふうにモウレツに神仏習合な習俗のようです(「勧請吊り-除災招福の正月行事」HPより。詳しく知りたい方はコチラ)。
さてさて続きまして向かいましたのは、玉緒神社でお掃除をされていたおじぃちゃまが是非行ってらっしゃい、と教えてくださった、山部神社と赤人寺(しゃくじんじ)。
赤人寺は寺伝によりますと、この寺は山部赤人の創建でありなおかつ終焉の地としております。若き日の赤人が「アタシあなたの生まれ変わりヨ」と夢告したという如意輪観音を田子の浦から迎えて歌道に霊験を得、壮年になってこの地を訪れた際に木に懸けた冠がはずれなくなって一夜を過ごすハメになったら「こここそが霊験の地でアル」と例の如意輪さんが再び夢告。・・・なんだかヤケクソな感じで如意輪さんを連れてきてここに寺を建てたようですね。
同じ敷地内にある山部神社はもとは「小松大明神」なる神社だったのを明治にはいってから改称したようです。一応終焉の地だということで近くには赤人の墓もあるようなのですが見つからず。もっとも赤人の墓は奈良県宇陀市榛原のものがよく知られており、他に千葉県東金市にもあるようです(赤人塚)。有名人も大変です。
で、湖東地方の神社であるこの山部神社にも、立派な勧請吊りがありました。
トリクグラズは六芒星。
立ち木を利用して懸けられている。
山部神社の勧請縄は六芒星でしたが、下麻生の旭野神社も同じく六芒星で、さらにその隣の蒲生岡本町の高木神社は五芒星のようです(両社とも目と鼻の先にあったみたい)。この辺りの地域のトリクグラズは星が好きなんですかね。見るからに奥が深そうな勧請縄ですが、どんなものにも広く探求されている方がいらっしゃるようで。というわけで山城ぶらぶらさんのブログをここに紹介させていただきます。スゴいですよ!
続きまして、鞍馬山の次郎坊天狗さんのお兄さんとおっしゃる太郎坊天狗さんを泣かしにいってきました。・・・あれ、愛宕山の太郎坊さんは?次郎坊は比良山だったんじゃ?鞍馬山は僧正坊さんだったかしら?・・・まぁいいですか。
遠景が天狗の横顔に見えるという話でしたが運転していたため凝視できなかったんですけども、巨岩のむき出しになった、見るからに修験者ドモがテンション上がりそうな山。本殿前の巨岩が二つに裂けた「夫婦岩」を通り抜けると、岩に挟まるように建つ本殿に到着。蒲生野の地をはるかに見下ろせば、まさに「野」という景色が広がっておりました。
夕暮れ迫る中、もいっちょこれでもかと岩戸山十三仏をめざしたのですが、さすが天狗山の近所ですね、見事「迷わせの道」の罠にはまりました。近くで洗濯物を干していた親切なお兄チャンに、悪いことは言わないからやめておきなさいと説得され、断念。濃密な一日が終わりました。
安土町、八日市ともに仏像は如意輪観音さんをよく見かけるねぇとKR老師と話していたら、聖徳太子は如意輪観音の化身とされたことと関わるかもしれませんねと言うことでした。同じく、この辺りでは、前回申し上げた川合願成寺や観音正寺は太子の創建と伝えますし、岩戸山十三仏は太子が刻んだという伝説があり、岩戸の奥には太子像があるらしい。また太郎坊宮にも太子参拝の伝説が有ります。湖東地方はほぼ天台一色な土地柄であるわけですが、自信ないですけども天台宗と聖徳太子って、なんか密接な関係がありましたよね。またいろいろと勉強になりました。
天台と太子と人魚の地、蒲生野。・・・おじぃちゃんの日記を読んでいて思い出したですが、そういえば安土城なんてのもあったっけ。安土城よりオモシロイもの、いっぱいあるトコですよ、ここは。