怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

ミニ大文字

2006年10月09日 20時27分34秒 | ヘンろみち
旧・中村市(現・四万十市)の南西、間崎集落内にある大文字山です。
山自体、甲子園ぐらいしかないんじゃないかな、ていうぐらいちっこい山です。正式名称は、十代地山というそうです。

ちなみに中村市街地からは大の字はどうがんばっても見えません。見えるポイントまで来るのに歩いて2時間はかかります(10キロぐらい離れてますの)。毎年旧盆の16日に行なわれるとか。そういえばNHK高知の天気予報、必ず明日の旧暦は何日です、て言うんですがなんか意味あるのかしら。まだ旧暦が生活と関わってたりするんでしょうかね。

さて、大文字ですが、起源は室町時代後期頃、土佐一条家の房家が、祖父・兼良(あの兼良さんですょ)と父・教房の霊をなぐさめるために、京の大文字の送り火を模してはじめられた、とのこと。土佐一条家っていう呼び名がこちらにはあるみたいなんですが、早い話、土佐というのは摂関家は一条家の荘園があったんですね。で、応仁の乱をさけて前関白の教房がこの地へ下向してきたようです。

教房、こちらにいる間にこの中村の街を大改造したみたいです。街は碁盤の目状に整備、延暦寺になぞらえて北東に石見寺を配し、また石清水から勧請した不破八幡宮も街の南やや西寄りに建てております。この他、祇園や鴨川などといった地名も残ってるようで…そんなに恋しかったのか教房(笑)、という具合。

いつきのおじぃちゃんからの情報によりますと、この不破八幡宮はこの辺りの総鎮守になっちょるようですね。実はこの八幡宮で昨日、「神様の結婚式」なる年中行事が行なわれていたんですよ、くーっ、一日辿り着くのが遅かった、惜しい!なんでも対岸の一宮神社からお御輿が川舟に乗ってやってきて(こっちが女の子らしい)、不破八幡宮の御輿と担ぎ棒のところをゴッツンコさせてハイ、結婚成立!というようなものなんですって。うーん、女の子がお輿入れするわけですから、中世以降ですね。当時の略奪結婚の蛮風を戒めるために教房公がはじめたらしいです。毎年結婚してるんですね、まぁいいけど。

教房らの居所・中村御所は現在一条神社になっているんだそうで。土佐の小京都、また機会があればそのうち訪れてみたいもんです。

というわけで、明日はいよいよ、足摺岬。