怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪評vol.38 コバルト天国

2007年04月28日 15時57分37秒 | 怪評
年明けに『なんて素敵にジャパネスク』(女将、3巻はもう購入しましたのでw)をぽつりぽつりと読み始めて以来じわりじわりと読む冊数が増え、4月入ってからとゆうもの完全に火がつきました。

コバルト文庫。ヲトメならば小学校高学年ぐらいに一度はハマったことがありますよね。ワタシはちなみに藤本ひとみの愛してマリナシリーズおよびユメミと銀のバラ騎士団シリーズにはまってをったわけです。愛してマリナシリーズは以前にご紹介いたしましたので置いてをくといたしまして、銀のバラ騎士団シリーズもですね。これだからコバルトはwという要素でいっぱい。

銀のバラ騎士団は確かドイツに本部のある秘密結社なんですよ、ミカエリス家主宰の。主人公ユメミの通う高校には、なぜかそのミカエリス家の若き当主かつ銀のバラ騎士団の総帥でもある、鈴影聖樹(本名は聖樹・レオンハルト・ローゼンハイム・ミカエリス・鈴影、通称レオン。おぉまだ言えたw)がいるわけです。普通の公立高校なのになんでやねんって、それはコバルト文庫だからに決まってますw。

で、この騎士団は七聖宝と呼ばれる秘宝を護ってるんです。で、そのうちの一つ、月光のピアスがなぜか日本のレオン宅にある時にしがない女子高生・ユメミが居合わせて、耳についちゃうわけですね。またねぇ、月光のピアスがくっついた時にいあわせた不幸な三人、幼なじみとか後輩とか鈴影を好きな冷泉寺という男装の麗人とかがピアスの光を浴びて動物に変身、以後ユメミがドキッとするたびにネコとか狼とか鷹に変身しちゃうようになるんですね、なんだその設定(笑)。で、なんとかするには本家に保管されてる他の七聖宝がいるんですが、ドイツの本家に行ったら何モノかに奪われてなくなってた。そこで聖宝を探さなきゃ、ということになるわけです。

ユメミがバラ騎士団の護るべき象徴(マダムとかそんな感じで呼ばれてたような)になったりとか変身しちゃう三人が騎士団に入ることになったりとかマダムと騎士団の総帥は結ばれちゃいけない掟になっててとか騎士団のヒミツの挨拶は謎にマウス・ツー・マウスのチュゥだったりとかもー、なんでやねんってそれはもうコバルト文庫だからですw。ちなみにワタシは映画まで見に行きました。自分の小遣いで生まれて初めて見に行った記念すべき映画がこれです…あぁワタシの人生って素敵。このシリーズも、マリナシリーズと共に未完のまま、作者はコバルトはもう書きません宣言をしてしまいました。全くもう。

藤本ひとみの書くヤツはとかくこれでもか!というほど出てくる人間の設定がイきすぎてて気持ちがいいほどだったわけですが、先日読んだ倉本由布の『きっとめぐり逢える』『きっと忘れない』の濃姫夢紀行上下2冊もなかなか笑わせていただけるんですよ。

もうおわかりだと思いますが、濃姫はあの濃姫ですね、日本人が大好きな戦国武将の奥さんで蝮の道三の娘さん。これがなんとね、実は名古屋市在住の女子高生・碓井濃子ちゃんだった!という話なんですね。早い話タイムスリップされるわけで、言うたら日本版『王家の紋章』みたいなもんです。濃姫といえば信長との夫婦関係はうまくいかなかったというのでよく知られるわけですが、そこんとこの理由がタイムスリップした女子高生と解釈することで実にうまく説明されるわけですw。

一番の読みどころはなんといってもタイムスリップのきっかけ。一回目の鏡に反射した雷光に包まれて、というのはまだ比較的真っ当なんですが、ケッサクなのは2度目の方。なんと。パン切りナイフで指切って。ぷしゅっと出た血にショックで貧血。目覚めたそこは信長妾・吉乃のお屋敷だったのでした、ちょんちょん。…全くもう、これだからコバルトはw。

いつきのおじぃちゃんたちにお話したさいにはこの上下二巻で話は終わってるらしいと言いましたが、実は続きがあるらしい。そして完結編はなんと!本能寺で信長の遺体が見つからなかったのは・・・ゴニョゴニョ、てなことになるらしいですよ、ワッハッハ!そしてこの倉本悠布の「きっと」シリーズにいたく感銘をうけて、文化史専攻に入ってきたというヲトメがいるわけでw。全くもう、これだからドリフ大学はw。彼女にはワタシ一押しの『少年舞妓千代菊がゆく!』シリーズを渡しておきました。

さて、本日のトリを飾りますのは、マリみてこと『マリア様がみてる』シリーズ。明治34年創立のお嬢様学校・リリアン女学園で「姉妹(スール)」の関係を結んだヲトメ達の物語でございます。ちょっと流行遅れではありますが今頃ハマってます。ひとまずの区切り『いとしき歳月』まで読了いたしました。

山百合会(生徒会)とか紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)・白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)とかのネーミングから、ロザリオの授受だとかもー、ヲトメ心をくすぐりますネ。

「大切なのは心のつながり」。見てくれや能力みたいな外側のコトが釣り合う釣り合わないではなく、単にお互いがお互いを必要としていること、一緒にいて楽しいことが一番大切なんだと、マリみてと「十六文からす堂」から学びましたよワタシは(笑)。思えばこの一年半、釣り合いたい一心で己を見失ったり疲れてまぁいいやと開き直ったりの繰り返し。もう間違えないでいようと思う反面、それでもそんながむしゃらな一年半で身についたことはやっぱりタクサンあったわけで、今少しずつ実になりつつあるわけで。なにはともあれようやく呪縛から解き放たれた気分です・・・て、あらヤダ、マジに読んじゃってアタシったら多田ちゃんみたい(笑)。

お気に入りはロサ・ギガンティアだったりするんですが(ほれ、名前が超合金みたいでカッコイイでしょ)、ネーミングセンスはロサ・カニーナの右に出るものはいないと思います。バラさま達に対してはKR老師から「もっと敬意をこめてお呼びするように」と注意されております次第。もっと心をこめて呼べるようになります、ロサ・ギガンティア~

・・・で、ウルトラファイト研究序説はどうしたかって?書きますとも、連休明けぐらいにw。これから怒濤の8日間、ほぼ出ずっぱりでフィーバーいたします。いゃっほぅ~w!・・・てその前に、発表、発表。



※本ブログは、某要略の会発表準備のため壬生狂言をあきらめて大学図書館に向かった道すがら書かれたものです。

番外編 四国のミチ 足摺の七不思議(下)

2007年04月23日 17時52分50秒 | ヘンろみち
まずは前回の補足「あしずり」の意味から。『とはずがたり』巻5(新古典文学大系)の注釈などを見ていると「摺るように足踏みするしぐさ」などとありますから地団太を踏んだりしているような様子をイメージしていたのですが、先日化繊くんにご教授いただいたところ、「あしずり」とはどうも仰向けに寝転んでじたばたすると言いますか両足で地面をかくようなしぐさをいうのだそうです(田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』より)。それならばなるほど、「地をうがち、身をかくすばかりになりぬ」状況がよくわかりますね。勉強になりました、化繊くんどうもありがとう~。

とはいえ足摺岬。花崗岩の隆起海岸で岬の先端は80mに及ぶ断崖、付近も崖崖崖が続く厳しい土地です。波打ち際まで下りれる場所はもちろんあるにはありますが、歩くのも困難なぐらいの巨大な石がゴロゴロと転がり、和歌山県勝浦のような美しい浜辺などは全くありません。あんなところで「あしずり」したら・・・血をみると思うんですが(笑)。そして「蹉陀悲歎」したテングさまの様子を想像するにかなりカワイイわけです(笑)。

というわけで、前回紹介の『土佐物語』に掲載されていた「七不思議」の見学話に参りましょう。

本堂前の「龍石」及び「夜のさゝ湖」については確認できなかったんですが、現在は「根笹」と呼ばれる「竜の駒の笹」。確かに多くの低木や雑草に混じって背の低い笹がまばらに生えておりました・・・んですがあまりにまばらでいいショットが撮れなかったので載せませんスイマセン(ちなみに案内板には「この地の笹は地を這うようにして生えており、大きくならないと言われている」とあるのみ)。

「午時の雨」というのは、足摺のある場所に立つとどれほど晴天であろうと午時には雨が降ってくる、というものらしいのですが、その場所というのが結局よくわからなくてですね。いずれにせよ到着したのが未時でしたから確認しようがなかったわけで、次回はかならず午時到着をめざして見ようと思います。(笑)。

続いて「湖のまこしの石」です。現在は「汐の満干手水鉢」と呼ばれていますのがコレ↓↓。

「突き出した岸壁の近く、岩之上に小さな窪みあり、汐が満ちている時は水がたまり、汐がひいている時は水がなくなるといわれ、非常に不思議とされています」
ワタシが見たときはちょうど水が干上がっていたので引き潮中ということなんでしょうね。ちなみにその後15分ほど行ったところにある白山洞門までブラブラ散歩していたら、半年前に小一時間ほど座ってすごした岩場が波の下、しばし立ち尽くしていたら水かさは増す一方。ということで絶対満ち潮だと思うわけですが、・・・まぁ石のすることですからそういう間違いもたまにはあるんでしょう(笑)。

「不増不減の水」は現在は前回お話した賀登上人の伝説にまつわるものということになっておるようです。弟子日円上人が観音菩薩とともに補陀落へ旅立った後、「嗟陀のあまり五体投地し、発露涕泣」(「足摺山縁起」より。五体投地、ということはやはり体を投げ出しとるわけですね)した時の涙がたまったといわれているもの。「ゆるぎの石」とともに今も残っております。姿かたちは満干手水鉢に似た花崗岩の岩塊。

さて、以下にご紹介いたしますのは『土佐物語』の「七不思議」には含まれない七不思議たち。

◇地獄穴

四国遍路大先達の方が書かれた案内板がおもしろかったのでそのまま載せましょう。
「聖地獄穴は地下に通りしーゆうごうー(ママ)という音がして賽銭を入れると地獄まで響くと昔からの言い伝えです。今は落葉・米・賽銭にてなくなってしまいました。昭和52年10月吉祥日賽銭を入れると約一分間程賽銭の音がしました」

「賽銭の音」は・・・1分程チャリンチャリン言い続けたんですかね。「しーゆうごうー」と鳴る穴は金剛福寺(穴は寺の東南約250mぐらいにある)の本堂のすぐ下まで通じているんだそうで。お遍路中にのぞいた時にくらべると土の部分が見えるほど賽銭の量が減っておりましたんですけどもね、訪れた方々が次々と賽銭だの米だのを放りこんだら、そりゃ埋まりもするわなぁという感じです。深さ20cmに満たない波型カットの穴がなかなかポップな地獄穴。

◇亀呼び場

ハイ、ここからは我らがオダイシの不思議コーナー。大師が海中の不動岩に亀の背中に乗って渡り身体安全、海上安全の祈祷をされたといわれ(波切不動を刻むためとも言われる)、この場所から「お亀さ―ん」と呼ぶと、大海亀が今でもオダイシに呼ばれたと思って海面から頭を出すんだそうです。半年前、ツレのオサカナくんが呼ぶと亀がほんとに現れたという話をいたしましたね。そいではワタシもと言うわけで「お亀さぁーん」と海に向かって叫び手を合わせて祈っていたところ、自殺志願のヒトと間違われて辟易いたしましたです(オカァサーンと聞こえたらしい)・・・。亀も来ないしガッカリで。何はともあれこの場所は、しょっちゅうウミガメさんが目撃される場所ではあるらしい。

◇亀石

ほ、ほんとだ、カメだ(笑)!・・・で、どう不思議を感じたらいいのかしらと迷っておりましたところ、案内板いわく「この亀石は、亀呼び場の方向に向かっています」とのことで、つまり亀呼び場の方向に向いていることが「不思議」なのだと思えばよいらしいです、ハイ。

◇弘法大師の爪書き石

文字通り弘法大師が、「南無阿弥陀仏」の六字の名号を爪で彫ったと伝えられている石・・・とあるのですが普通に読めませんでした。・・・ってゆーかお大師が南無阿弥陀仏?ちなみに『土佐物語』には七不思議ではなく名所として掲載される「三鈷の石」なる石面に「阿毘」が彫り付けてあるものがある、との記述があり、これと似たものなのかもしれません。

◇大師一夜建立ならずの華表(とりい)

手前が礎石にあたる部分で、奥に並んでいるのが柱に当たるものだと思われます。案内板によりますと、「大師が一夜で鳥居を作らせようとしたが天邪鬼が鳥の鳴き声のまねをしたので夜が明けたと思い、やめたと言われています」。・・・やめんなよ、オッサン(゜ロ゜)!ふてくされてるヤツの顔が目に浮かぶようで(笑)。普段はエラソーにしてるくせに意外に打たれ弱い一面が判明いたしましたね、かわぃぃヤツだ。

それはともかく、亀呼び場とほぼ同じ場所、すなわち足摺岬灯台よりも岬の突端部分に位置する場所にありまして、ここに海に向かって立つ鳥居のようなものがあったんでしょうね、補陀落渡海に関わる何かだったのでしょうか。ちなみにこの一夜の鳥居、『土佐物語』にも記述があるのですが、七不思議としてはカウントされておりません。

『土佐物語』当時は「不思議」と考えられていないものが現在は不思議になっている。これはなかなか興味深いことだと思うのです。『土佐物語』の七不思議には、たとえばお大師に関わる遺跡や、他に補陀落に渡った上人手飼の犬が待ち続けて石になったという「犬石」など、ただそこに「ある」だけのモノについては単に「言い伝え」のある名所であって「不思議」とは認定しないわけですね。

対して「七不思議」としているものは、モノについてではなく引き起こされるコトについての「不思議」であってモノそのものについてではない、というような。うまいこと言えませんが。何をもって「不思議」とするのかについての、現代と近世の認識のちょっとした違いが垣間見えるのではないでしょうか(ちょっと無理クリまとめてみたりなんかして)。

「足摺七不思議」は「7つ」といいつつ現在「不思議」とされているものは「21」ほどあるそうです。再訪する機会があれば、残りのヤツをしばきにいったらねばなりませんな。

以上、足摺の「七不思議」でした~。

番外編 四国のミチ 足摺の七不思議(上)

2007年04月19日 22時20分49秒 | ヘンろみち
閑話休題、今日はお久しぶりの番外編 四国のミチです。せっかく足摺を再訪しましたので、ちょっとまとめる気になったらしい。というわけで。

足摺岬は東の室戸、西の足摺(そういう呼び名があるかは知りませんが)という高知を代表する岬のひとつで、一般に「四国最南端」と認識されていますが実は微妙に違うらしいというウワサな場所です。

地名の由来はいろいろあります。一つは天狗サマに関わるもの。足摺にはどうやら天狗(天魔)が住んでいて、役行者(金峰上人)によって追い払われる時、天狗サマが「蹉陀(「足を摺る」の意)悲歎」して逃げたことから、当地にある38番札所金剛福寺の山号が「蹉陀山」となったという(「蹉陀山縁起」享禄5年/1532より)。で、この辺りは古くは「蹉陀御崎」と呼ばれていたらしく(応保元年/1161の「幡多郡収納所宛行状写」など)、蹉陀は「あしずり」とも訓むようで、やがて「足摺」となったというもの。ちなみに「蹉陀山縁起」には金峰上人の逸話とならべて「放主坊」という「両面一足天狗あり」と伝え、当山の護法神であるというようなコトも見えます。・・・フム。顔が二つで一本足のテングとな。

歩いていたころ「金剛頂寺(26番、室戸市)から逃げてきた天狗さんを知りませんか」と訪ね歩いて収穫なしだったわけですが、足摺の天狗さんが室戸の天狗さんと同一かどうかはさておき、天狗さん自体は足摺にもちゃんといたんですね。同じ天狗ではなさそうですけども。ちなみに現在も足摺岬の東隣の小さな突端が「天狗の鼻」と呼ばれております(鼻はこの地域で「岬」を意味する言葉)。「ウォーカーズ~迷子の大人たち」で足摺にたどり着いたご一行様が座り込んでいたベンチがそこ。進藤夫妻(森本レオ&鷲尾真知子)が自殺を図った場所と言ったほうがわかりよいかな。

もう一つは補陀落渡海に関わるものです。補陀落渡海は、・・・まぁ、南の海の彼方には観音菩薩のパラダイスがあるんだゼと信じて小船に到着までの30日分の飯をつんで旅立っていくという一種の「捨身行」でして、平安~鎌倉頃に一部マニアの間でブームになったりなんかしました。足摺の他に和歌山県の勝浦にある補陀落山寺や四国の室戸岬なんかが出発地として有名。金剛福寺のご本尊は三面千手観音ですが、実は勝浦の補陀落山寺のご本尊も三面千手観音。渡海つながりなんでしょうか。

「あしずり」の由来に戻りましょう。「平家物語」長門本巻4、鹿ケ谷の変で鬼界島に流される丹波少将藤原成経の道行文に、足摺岬を目にした成経が理一という僧の渡海の話を思い出す、というクダリ。これにおいて理一とその弟子「りけん」が渡海を試みるが失敗、理一は己の修行が足りなかったとさらに修行をつみ、今度は理一一人で船出しちゃう(ヒドイw)。おいていかれた「りけん」は聖人に捨てられかつ補陀落へ行けない悲しみで「足摺地をうがち、身をかくすばかりになりぬ」、ということで「足摺」岬。悲しいのはわかりますけども掘りすぎでっせオニィサンというわけです。

置いていかれる人物が師弟が逆になる話もありまして、こちらの方が実は広く人口に膾炙しているというのが以下の話。

鎌倉時代の日記『とはずがたり』(後深草院に仕えた女房・二条さん著)巻5によれば、ある僧が弟子のとともに足摺で修行していたところ、食事時になるとどこからともなく見知らぬ「」(実は観音の化身)がやってきては飯を食べるので、心優しいはいつも自分の食事をわけてやっていた。見かねた僧が食わせる必要などないと叱ったので、翌日再び訪れた「」には「君に御飯をあげたいんだけどおっしょうさまが怒るから、今日までで勘弁してね」と最後の食事をわけてやった。すると「やさしいキミをボクの住処に連れて行ってあげるよ」と舟に乗せ、二人して南を指して出発、どこへ行くと追いすがる僧に、二人は菩薩の姿に変じて「補陀落世界へ行く」と言い放つ。僧は「心憂く、悲しくて泣く泣く足ずりを」したために、「あしずりのみさきといふなり」とあるもの(なんとなくBGM*ナルシス・ノワール/アリ・プロジェクトがかかってみたりして)。

これの人名などがより具体的になったのが賀登上人と弟子・日円上人の話。二人が渡海の準備をしていると一人の修行僧が現れ食べ物を請うたところ、慈悲深い日円上人は分けてあげたが賀登上人は分けようとしなかった。さていよいよ船出する時、舟は日円上人と修行僧だけを乗せて行ってしまった。修行僧というのが実は菩薩サマで、賀登上人は後悔し足を摺りながらこの地を去りました、というオチ(上述の「蹉陀山縁起」)。ちなみに賀登上人は長保(999~1003)の頃の渡海上人で、室戸から渡海したという伝えもある人。「とはずがたり」の話が下敷きになっているのか賀登上人の話が匿名化して「とはずがたり」になったのか。その辺まではわかりませんが、なんとなく前者かなという気はします。

どれもこれも、いい話ですね。
 
で、この足摺には「七不思議」と呼ばれる不思議スポットがあるわけです。足摺の七不思議の初出がいつ頃にさかのぼるのかは今のところつかめていませんが、江戸時代に書かれた長曾我部元親の一代記『土佐物語』(正徳3年/1713頃?)に「惣じて此山に、七不思議あり」とあるのが、比較的早いものになるのかなぁという感じ。その当時の七不思議はいかなるものかと申しますと、

1.本堂前の「龍石」:毎夜、竜の灯がこの石の上にきて仏前を照らす。
2.「夜のさヽ湖」:毎夜、丑の時に本堂の庭に潮がさし、階段を浸す。
3.「竜の駒の笹」:夜な夜な竜がきて笹を食べる。歯跡があり、馬の病を治すという。
4.午時の雨:毎日午の時になると必ず雨が降る。
5.湖のまこしの石:石の上の水が潮の満ち干きにあわせて増えたり減ったりする。
6.不増不減の水:石の上の水が雨でも日照でも増減しない。
7.ゆるぎの石:罪のないものが押せば動くが罪のあるものが押せばびくとも動かない。

対するワタシが目にしてきた現在の足摺の七不思議はいかなるものだったかは、次回にご紹介するといたしましょう。



というわけで、2度目の納経。2巡目の、はじまりだ!

怪想vol.20 ウルトラファイト研究序説 #3 

2007年04月17日 22時32分36秒 | 怪想
というわけで、以下が第Ⅰ期の勝敗結果を整理したものです。表3が「タイマン戦」の対戦結果、表4が「三つ巴戦」内における各怪獣同士の個別の対戦結果となります(三つ巴戦は3体の怪獣が登場しているとはいえ、1体がレフェリーをするなど3体同時に戦うことはほとんどないので、やはり1対1戦になっているわけです)。


※95話のゴドラとウー、及び106話のゴドラとイカルスは直接対決はないので星取表には含めない。
※98話におけるウルトラセブンは勝敗決する前にエレキング×テレスドン戦となるためカウントしない。
※100話におけるウルトラセブンはレフェリーに徹しておりエレキングとゴドラは同士討ちであるためカウントしない。
※104話におけるウルトラセブンは当初参戦していたがやがてテレスドン×イカルス戦となり未決着のまま終了するのでカウントしない。
※105話はカウントしづらいのでカウントしない。
※108話、アギラ×テレスドン戦は正確には勝負がついていないが、アギラがセブンに助けを求めたのでアギラの負けとする。
※109話のゴドラ×アギラに決着はついていないが、ウルトラセブンがおらねば敗北は必至であったのでアギラの負けとする。

ウルトラセブンが試合数、勝率ともに群を抜いているのは当然として(三つ巴戦でにおいては1回の放映で2体倒すこともあるわけですから)、タイマン戦におけるイカルスの、対セブンを除く無敵ぶりは目を引きます。ところが「三つ巴戦」におけるイカルスはというと、対アギラ以外は全て負けか引き分けに甘んじているのですね。おそらく前後でバランスをとったものと考えられますが、放映当初からⅠ期の半ばにいたるまでイカルスはほぼ全勝状態だったわけです。この時、「イカルスは強い」というイメージがついたりはしなかったかなぁと思われます。

ウーは意外にもレギュラー怪獣の中では第Ⅰ期ではもっとも登場が少ない怪獣です。ゲスト怪獣であるバルタンよりも少なく、テレスドンやゴドラ並みの登場回数。またご覧になるとすぐにわかりますように、ウーは1対1のタイマン戦を最も多くこなしているけれども、「三つ巴戦」への参加は1度きり。しかもこの95話(「ゴドラよお前もか」)のストーリー展開は、ウルトラセブン対ウーで幕が開き、セブンがウーに勝った後にゴドラがあらためて登場する、というもので、ウーとゴドラは実質的な顔合わせ、および対戦を行っていないのです(ちなみにウーとゴドラは86話で一度タイマン戦済み)。1対1の状況で戦ってばかりだからといって、実況の山田さんからは特になんのコメントもないわけですが。

とりあえず、「ケンカ屋ウー」の呼び名はⅡ期135話「眠るか眠らされるか」が初出(それ以前は117話「俺は墓場の用心棒」及び132話「怪獣極道」に「ケンカ好き」と言われるのみ)で、たくさんの怪獣の中で暴れる、といった様相はまだないようです。ウーの宿命のライバルといえばイカルス、というイメージがありますわけですが、82話「宿命のライバル」とタイトルづけられた話で戦う相手が全敗のアギラである辺りを見ても、番組当初の性格付けと後の展開ではやや違いがあったのかなぁと思われます。

ついでにウーよりもファイト数が多いバルタンですが、前回#2でも申しましたようにバルタンの着ぐるみがアトラク用(爪が本編とは違って丸い)であることを考え合わせても、おそらく当初は、イカルスやエレキングなどと同様に「レギュラー怪獣」になる予定だったのではないか、と踏んでおります。結果的にバルタンが第Ⅰ期のみのゲスト怪獣となったのは、やはりウルトラシリーズきっての人気怪獣であったことから、アトラクション出演に忙しかったのではないですかね、なんのヒネリもなりですけど。そういうわけでワタシは今モーレツに当時のアトラク開催スケジュール及び登場怪獣の着ぐるみスケジュールが知りたいですよ。

というわけで、ひとまず第Ⅰ期の勝率ランキングは以下の通り。



アギラ・・・やっぱり弱いですねw。ちなみにこの「アギラ」の名前、円谷英二の三男で現円谷エンターテイメント社長・円谷粲(アキラ)氏よりとられたものなんだそうですよ。

・・・分析しろといわれても無理です、見たままですから、ハイ。
へぇ~、というだけの表ですが、まァ楽しんでくださいw。そしてこの勝率が以後どのように変化するのかもまた、お楽しみです。

怪想vol.19 ウルトラファイト研究序説 #2

2007年04月15日 22時59分33秒 | 怪想
さて、第Ⅰ期新撮版。第Ⅰ期は1対1の「タイマン戦」群と「三つ巴戦」群にわかれているわけですが、ではまずこの時期の怪獣たちの対戦とその勝者の一覧をご覧いただきましょう。


(三つ巴戦における「勝者」は最終的な勝者。「▲」は引き分けもしくは決着がつかないもの)

これを見ると、怪獣たちの組み合わせがわりと規則正しくならんでいることがよくわかります。まず、ウルトラセブンが一通りの対戦をやってから、間に少しイレギュラーな形で81話の「ゴドラ×テレスドン」が入るものの、後に「レギュラー怪獣」として定着するウーやイカルスが順に一通りの怪獣たちと顔合わせしています。それを引き続きエレキングでやろうとしている気配がありますが(92話、93話)、「タイマン戦」形式で通すにはややマンネリ化しつつあったのでしょうか、ウルトラセブンを交えた三つ巴戦の形をとることで、エレキングと他の怪獣たちとの顔合わせをさせている(96話~101話)、と考えられるでしょう。

さらに引き続いてもう一度イカルスのクール(102話~106話)をはさんでいるのは、おそらく怪獣の着ぐるみの状態と関わるのではないかと思われます。すなわち、周知のようにイカルスの着ぐるみは当初から本編のものではなくアトラクション用の着ぐるみが使用されているわけで、他の怪獣にくらべて比較的痛みが少なかったのではないでしょうか(前回の#1を書き終えてから知ったんですが、どうもワタシが「レギュラー怪獣」と呼んでいるイカルス・ウー・エレキングの3体は全部アトラク用着ぐるみのようですね。対する「ゲスト怪獣」はバルタン以外はすべて本物)。

テレスドンなどその最たるものです。あれで本編とおなじ子を使用してるらしいんですが、あの口の尖りなんかはどこへ行った!というぐらいまん丸ちくなっちゃってますでしょ。ウルトラマン本編22話「地上破壊工作」と37話「小さな英雄」の2回に出演されてますからしょうがないっちゃしょうがないのかもしれませんけども。ちなみにファイトで使用されたこのテレスドンは「帰マン」の3話「恐怖の怪獣魔境」のデットンになってます(そのためデットンはテレスドンの弟という設定ができたらしい―Wikiより)。

この時(103話~106話)のイカルスの対戦相手は「ゲスト怪獣」のみであって、レギュラー怪獣との対戦を組んでおらず、また、107話以降の組み合わせもセブンをのぞいて「ゲスト怪獣」のみで組まれていることは注意すべきであろうと思われます。アトラクションにまわされてたんでしょうか、「レギュラー怪獣」くんたちは。というわけで、上記のことをまとめたのが以下の表。


(表の煩雑をさけるため、95話以降のセブンの三つ巴戦出場分はセブンの欄から省いております)

セブン×アギラは親分子分ですから対決がないのは当然として(「番外地」においては一度禁断の親分子分ファイトがなされています―「燃えろ!栄光」より)、対ガッツをのぞいて、全ての顔合わせがなされていることがわかります。番組制作者、がんばっていますね。

ガッツのみが全ての怪獣と顔合わせすることなく終わっているのは、頭でっかちでバランスのとりにくいそのフォルムに問題があったのではないでしょうか。つまり、あぁいうプロレス的動きにはそぐわない着ぐるみだと思うのですよ。確か83話だったかではわずかの衝撃で大きく左右にフれる頭を必死で押さえながら戦ってらっしゃるもんですからもー、腹を抱えて笑い転げてしまうんですが、中に入ってらっしゃる方にとっては相当な負担であろうことが察せられますわけで。ガッツはメフィラスとかど同様頭脳派怪獣さんですからね。セブン本編39・40話「セブン暗殺計画」でも両手をピルピルしながら立って分裂したりしてるだけ、肉弾戦といっても弱って抵抗しないセブンをどつくだけ、でプロレス的ファイトはしなかったですよね(うろおぼえ)。

そういうわけで、このように第Ⅰ期新撮版は、怪獣同士の組み合わせが、着ぐるみの状態などを考慮しつつ比較的整然とおこなわれていることがわかります。

(つづく)