怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪評vol.4 空飛ぶライダー

2005年10月27日 12時45分49秒 | 怪評
皆さま、お久しぶりでございます。
身辺めまぐるしく変化する中、おろそかなモノをあげるのも気が引けまして、気がついたらずいぶん書いてませんでしたね(多々羅の丘は気も虚ろな状態で書きましたもんですからすこぶる拙い内容と自省いたしまして削除しましたの。アリコフさん折角の投稿、すみませんデシタ、気を悪くなさらないでクダサイネ)。

本日はようやく休みがとれまして、朝からのんびりしております。のんびりがてら、この夏にファミリー劇場(CS)でやってましたスカイライダーを録りためていたのを見てました。前半部分がほとんど録れておらず涙し、いきなり8人ライダーが集合してるところから見てます。なんだか友情の大特訓させられてます筑波ひろし(笑)。単に打たれ強くするため?見ようによってはいぢめにしか見えません。崖につきおとされてる途中の筑波ひろしの半笑いは見逃せません。大特訓の開始は、先輩ライダーたちに「命を鍛えるんだ!」「鍛えられるか!」とせまられ、「オレは、鍛えられるぞぉーーーー!!」・・・絶叫です。ライダーは、やっぱり鍛えるものなんですね。響鬼さん、あなたの先輩も、ちゃんと鍛えて強くなりましたよ(笑)。

ワタシのライダー原体験は確かスーパー1(第9作目)だったはずなので、スカイライダー(第8作目)はリアルタイムで見てないような気もするんですが*、見てたのかなぁ。なんだかものすごいデジャヴです。エンディングの「勇敢に戦った~男がいた~♪」てちっちゃい頃よく鼻歌ってた気がします。ずっとスーパー1のエンディングかと思ってましたがスカイライダーの方だったんですね。やっぱり見てたんだな。

スカイライダーは仮面ライダーでは初の飛行機能を持つライダー。主人公の筑波ひろしは必殺シリーズ・花屋(鍛冶屋)の政がやってます。並みいるライダーがバッタなのにカブトムシなストロンガーも素敵でしたが、空飛ぶライダーも素敵です。オープニングとエンディングの映像以外ではそんなに飛びはりませんが。スカイライダー重要ですよ。なんてったって、平成狸合戦ぽんぽこでタヌキ共がやってる変身ポーズはスカイライダーですからね。それにしてもネオショッカーの黒いやつはなかなか礼儀正しくてよろしい。「イー」でも「@☆▲£」でもなく、何を言われても何をされても「ハイー」と元気に返事してらっさる。

見ていて思ったのは、この頃のライダーが全部そうだったかどうかまでは記憶が定かではありませんが、敵の秘密結社はやはり単なるデストロイヤーなのですよね。日本を支配したがっているくせに、バリチューム弾で町々を破壊したり、断層地帯にマグマを噴出させて壊滅させようとしたりする。敵だからいいんだ的矛盾たっぷりです。その辺がツッコミ所でもあるわけですが。

この点、ワタシが一番ハマってた仮面ライダーBLACK RXの敵、クライシス帝国は、単なる破壊者ではなく、帝国が環境悪化(笑)のために住めなくなったので50億の民を地球に移住させようという、目的があったわけです。警察のスーパーコンピュータに侵入してクライシス支配後に抵抗するであろう人々を犯罪者にしたてあげたり、クライシス人の呼吸環境は酸素ではなく亜硫酸ガスだってことで、地球環境をクライシスに近づけるためにそれをまいたりする、など、攻撃にも地球を統治するための「先」のビジョンがあるわけです。クライシス帝国内にはそんなふうに地球を侵略して生存を図ろうというやり方に反対するレジスタンスもいて、時に彼らがRXを助けたりする。ライドロンは彼らがRXに設計図を与えて完成したものだし(命を吹き込んだのはクジラ怪人ですが)、後にRXの片腕となる霞のジョーなんかは、このレジスタンスの一員だったりもするわけです。よくできた話です。なにはともあれ「四国空母化計画!」が大のお気に入りなワタシ。「大逆襲!影の王子」は、いつ傀儡の親方の逆襲シリーズに登場するかと楽しみでなりません。

そうだ、スカイライダーでしたね(笑)。番組終了後の予告前には、今月の標語「よう、車には気をつけて横断歩道を渡るんだぞ?」「高いところであぶないことしちゃだめだぞ」など子どもたちへの啓蒙活動も忘れない!そうですよね、昔のライダーはそんなんでした。昔も今も、ライダーは子どもたちのヒーローであり続けて欲しい。

響鬼さんもがんばれ!


*・・・歴代ライダーは、①仮面ライダー1号、②仮面ライダー2号、③仮面ライダーV3、④ライダーマン、⑤仮面ライダーX、⑥アマゾン、⑦ストロンガー、⑧スカイライダー、⑨スーパー1、⑩ゼクロス、・・・で、次ぐらいがブラック→RX?だったかなぁと思います。

怪道vol.17 もののけの森

2005年10月17日 22時15分57秒 | 怪道
京都の山奥に、「もののけの森」と呼ばれるところがあるのをご存知ですか?

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」に、「もののけの住む森」として書かれるそこは、京都は雲ケ畑の志明院と呼ばれる、賀茂川の源流域にあります。なんでも京都に灯りがついて、街なかにいれなくなった化け物たちが逃げこんできたのがこの志明院のあたりなんだとか。本で読んでからカレコレ2年ほど思い続け、ようやっと足を運ぶことができたのが・・・これも2年ほど前の真冬だったかな。

どっちかというと、志明院は歌舞伎十八番の「鳴神」の方で有名かもしれません。ワタシは歌舞伎はよく知らないので、ググって調べてみましたところ、朝廷に恨みを持つ「鳴神上人」と言う人が、雨を降らせる竜神を滝壷に封じ込めたため雨が一滴も降らず、井戸の水も枯れ果ててしまった。困った朝廷は、なんと色仕掛けで上人の法力を破ろうとする、というお話だそうな(コアラネット様のページより)。なんでもあっけらかんとしたエッチな会話が爆笑モノなんだそうです。

京阪・出町柳駅から雲ケ畑行のバスに乗って小一時間ぐらいだったでしょうか。当時ワタシが働いていた職場の学生アルバイトたちを5~6人引き連れての、楽しい遠出でした。京都市内はそうでもありませんでしたが、賀茂川の上流と言うこともあって一面の銀世界。凍りついた道に足を滑らせながら、大人げもなくワタシの投げた第1投目の雪の塊から雪合戦が始まり、果ては志明院の姿が見えるなり謎のかけっこで到着。楽しかったなぁ、そして元気だったなぁ(笑)。

山門を入ったら撮影してくれるなということだったので、入口に荷物一式を預けて入山。雪の積もった足場の悪い石段を上がると、それはそれは神妙な景色が横たわっていたのでした。洛中洛外図にも描かれる「石不動」の高舞台、そしてその岩屋には、賀茂川の源と言う湧き水が祀られておりました。また、えもいわれぬ巨岩の洞窟の奥には、やたら質量を感じる石造りの像があったようななかったような。ここんとこに龍神様が封じられたのでしょうかね。その後、修験道さながらの道を奥山、けふこえて、騒ぎ倒して下山いたしました。

志明院を管理してらっしゃる方の奥様(それはそれは気さくなおばあちゃまでした)のお話をうかがいますと、司馬遼太郎さんも書いていらっしゃいましたが、夜になるとやはり時折家鳴りがしたり、足音が聞こえたりということがあるそうです。おっかなびっくり泊まってみたいような気もしますネ。

もののけさん、静かなところで、どっこい生きてらっしゃるようです。


この奥に、もののけの森が広がる。山門内は撮影禁止。

怪日記vol.28 響鬼研究会?

2005年10月16日 12時26分41秒 | 怪日記
いやぁ、今日もぶっ飛んでましたね、ストーカー転校生(笑)。KR修士と「袖引き小僧」て呼んでマス。

さて、今日のワタクシは、チーム猛士、轟鬼です。

以前からの響鬼騒動でザンキ親分のブログを拝読していると(ッてそれ以前からも当然愛読しておりますが)、チーム猛士は「響鬼研究会」っていうことになっていて、少壮の歴史学者や生物学者が研究めいたことをしている・・・ということになっているようです。ザンキ親分、Tシャツ着用、あざーす(笑)。

ワタシは一応、「少壮の歴史学者」の方に分類される・・・のかな、と自負してはおるんですが、響鬼について、研究らしい研究はなんちゃあしておりませんですよ(笑)。魔化魍を歴史学+妖怪学的に(ってそんなものあるのか・笑)研究されるのは響鬼さん、魔化魍を生物学的見地から切るのは威吹鬼さん、「仮面ライダー響鬼」の世界観を洞察してらっさるのはザンキ親分、みたいなワリフリになっております。みどりさんとワタシはその周りでキャッキャ喜んでるだけ、みたいな感じですかねぇ、みどりさん(笑)。イヤ、みどりさんは見えないところでいろいろやってらっさるのかもしれませんです、はい。

ワタシは、歴史学でしかモノを言えんというより歴史学ですらろくなことを言えん、てのが正直なところ。全てワタシの勉強不足に由来しているのでしょうが、「鬼」を歴史的に語ろうとすると、「仮面ライダー響鬼」にリンクするものがすぐには思い浮かびにくいんですよねぇ。ワタシの「響鬼」での一番のツボはあの「音撃」だったわけですが、・・・園韓神やってた関係上宮廷儀式なんかは多少見知っておりますが、それと結びつけるのもコジツケに過ぎると言う印象が。

ちなみにオマエの得意とする歴史的分野はなんだと言われたら・・・神社と言うよりは、京都の都市史、さらに言えば上京史だったりして。つまりは、自分の専門と「響鬼」はリンクせんのです、うむぅ。神社も儀式も3年近く前からやってませんからすっかり忘れてるシ。今やってる上京史の方がある程度片付いたら、園韓神には戻るつもりでおりますけども。あ、あと琵琶牧々ね(笑)!

大阪の会合でのフィギュア写真についてのコメントで、「トドロキさんちっさ!」てツッコミに対し、「これはチーム猛士内での存在感の大きさに比例しています」って書き込んでやろうかとどんだけ思ったか(笑)。でもそうすると、あの写真では響鬼さんいませんからね。響鬼さんは存在が消されたごとくになっているのかってことになっちゃいますのでね。

というわけで、何を思ったか轟鬼さんは紙粘土で魔化魍を作るって謎な作業に終始しておりマス。記念すべき1体目の「泥田坊」さんは轟鬼クンの音撃によって破壊されてしまいましたので、現在はツチグモさんを製作中です。ただの蜘蛛じゃねェかってツッコミながら作っています。普通の蜘蛛と魔化魍のツチグモには・・・フォルム的にどっか違いはあるんでしょうかねぇ(笑)。


ついしん


牛に乗った轟鬼クン。まだ響鬼さんが凱歌に乗っていない頃、「響鬼さんは魔化魍にライドして倒すからいいんです」ってナイスなコメントを発していたKR修士の言葉を思い出し、ライダーなのにライドしないのは轟鬼くん(と斬鬼さん?)だけですからちょっと載せてみたりして。

怪道vol.16 奈良リアン~後編

2005年10月13日 22時20分38秒 | 怪道
せっかく奈良まできたので、その日は他にもちょっと、まわりました。

その一つが、漢国神社(かんごうじんじゃ)です。なぜに足を運んだかというと、この神社には園神と韓神が祀られているという話をかつて聞いたことがあったからです(修論には反映させなかったんですけどネ)。ええェェェな感じでしょ。場所は、近鉄奈良駅から徒歩5分弱の漢国町。以前、近くを通る機会があったのですが時間帯が悪く出直して来いだったので、ちょっとしたリベンジでもありました。

来週あたりに氏神祭があるようで、境内はその準備のためにややざわついていました。本殿に祀られております祭神を見てみますと、

 園神(大物主命)
 韓神(大己貴命 少彦名命)

また、販売されていた由緒書きを見ると、

「当神社は推古天皇の元年2月3日(今より約1400年前)、大神君白堤と申す方が、勅を賜いて園神の神霊をお祭りせられ、其後元正天皇の養老元年11月28日、藤原不比等公が更に韓神の二座を相殿として祀られたのが漢国神社であります。古くは春日率川坂岡社と称しました。清和天皇の貞観元年正月27日、平安城宮内省に当社のご祭神を勧請して皇室のご守護神とせられたのであります」

とある。へぇー、そうだったんだぁ、ってなもんです(笑)。

複数の神社の所伝がこんがらがってわやくちゃになってはいるけどベースは『大倭神社註進状』なのかなぁと思ったら、社務所で買ったご由緒書きの裏にはご丁寧に『大倭神社註進状』が参考文献として載せてありました。ちなみにこの註進状、西田長男さんによって、「大神・大和・石上の山辺三社について多くの偽作の伝書を著わし、神道界に一波の新しい学説を唱導」した江戸時代の今出河文斎による偽作とされておりますものです。神社の創立に藤原氏が関わったことについては註進状以前に『元要記』にも類似の記述があるみたいですけどね。

ちなみに「貞観元年正月27日」に宮内省に遷座されたというのはこの『元要記』からひっぱって来られたんでしょう。『日本三代実録』の同日条はと言えば、園神・韓神が正三位をもらった時の記事(同じ日、多くの神階昇叙が行われており、園神韓神はそのうちの一つにすぎません)で「宮内省従三位園神、韓神並正三位、」とある。確かに、園韓神社が宮内省と明記されているのはこれが初出かもしれないですが、他の官衙神と併記されているあたり、これ以前から宮内省にあった印象がありますけどね。遷座のことも特に書いてませんしね。

『江家次第』の園韓神社にまつわる「口伝」で言うところの「平安以前よりこの地のいて・・・」云々はどうなるんだっていうのもさておき、史料に散見する園韓神社の性格を考えると註進状の内容では意味が通らないでしょう。確かに不比等の創建であるとかいう辺りは興味深いんですが、おそらく園韓神社の祭礼が春日祭後の丑であるとされていたことから着想を得たんではないかと思います。第一「漢国神社」という名称そのものが、「園韓神社」の「韓神」にひきずられて後付けされたんじゃないかとツッコミたい。というわけで社務所で小一時間ぐらい小言を言ってやりたいぐらいキモチでモリモリしちゃいました。・・・ただ、なぜにこの神社はよりにもよって園神、韓神を祀っているとしたかったのか、というところは謎ですが。

境内はその他にも源九郎稲荷だとかお菓子の神様・林神社だとかがありました。今はこの林神社で有名みたいですね、漢国神社は。

もうひとつ行ったのは「不審ヶ辻(ふしがづし)」です。ご存知のとおり、「元興寺(がごぜ)」がこの辺りで消えたという道。ガゴゼは元興寺の鐘楼にあらわれたといわれる人食い鬼です。後に道場法師と呼ばれることになった小僧(雷神の子だったといいます)がこの鬼と対決し、小僧がなんとか勝って、鬼は夜明けに鬼隠山(現在の奈良ホテルの辺りだそうです)へと逃げていったところ、この「不審ヶ辻」の辺りで姿を消したというか見失ったというかで、通りにこの名がついたんだそうです。「ガゴゼ」は後に化物の総称ともなったんだとか。

毎度おなじみ村上健司さんの『妖怪ウォーカー』片手に、こんな細っこい路地見つかるんやろかと半ば危惧しておりましたんですが・・・「奈良ホテルへ近道です」と札がかかった細い道がそれでした。ほほぉんと撮影してから、ひとまずすぐ近くの元興寺へ。そこから、鬼のたどった道(多分)をガゴゼさながらダッシュしてみました。ものの十数秒です。なんとまぁ、ガゴゼったら瞬殺で巻いちゃったノネなのか元興寺の小僧がヘタレだったノネのどっちかですな(笑)。とりあえず、あっという間に見失いすぎということがわかりました。

運動不足でちょっと息を切らせながらふと民家の軒先を見ると、干からびたひいらぎといわしの頭がすえつけられてありました。・・・ガゴゼ除けなんでしょうかね。


漢国神社。規模はさほど大きくない。もとは、南へやや下がったところにある率川神社の分社という。


「不審ヶ辻」。現存する元興寺・極楽坊からは目と鼻の先。


「不審ヶ辻」に入ってすぐの民家の軒先にあったイワシとヒイラギ。鬼除けのまじないの最たるモノだが・・・まさか節分時からの飾りっぱなしだったりして。

怪道vol.15 奈良リアン~前編

2005年10月11日 22時22分08秒 | 怪道
ワタシがD大学在籍時は、JRで通学する学生は「ジェイアーラー」と呼ばれ、奈良から来る学生は「奈良リアン」と呼ばれていました(D大用語)。JRで通う奈良の子も、奈良リアンだったような。奈良って、特別でした。

地理的には京都より断然近いのに交通網的に遠い奈良。この奈良に行ってみようかナァと思った動機は、青立子さんの発表を聞いたからと申し上げておきましょう。幕末期の春日社本殿の鏡が落下したという恠異についての、春日社側と朝廷側の動向についてを発表されまして、ほほぅな感じでだいぶおもしろかったんですが、その鏡がどんなものかを見に行きたいと思ったのです。もっと正確にいいますと、その後「くれしま」での飲み会で、春日社本殿にはなんであんなふうに鏡がかけてあるんだという、威吹亀のおぢちゃんの素朴な問いに、素朴になんでやろと思ったからでもあります(その場では、なんか神官達が身づくろいするためってことでオチがついてましたが)。そこで、直接春日大社に聞きに行ってやろう、という魂胆ですね。

前日からはじまった鹿の角切で、雨だというのに人手も多く終始ドコドコうちならされる太鼓の音が充満していた奈良公園。そこここにツノの切り痕もシロジロしいオスの鹿さんが、どこかしょんぼりとぬれそぼってらっしゃる(笑)。角切見学するのに大人700円子ども300円もするってご存知でした?張り切ってのぞいて行こうと思ってたのに、なんだかなぁ、でやめました。

石灯籠の並木が続く参道を通り抜け、本殿へ。本殿に行く手前に「榎本神社」を発見、『後法興院記』にエノモトノ社の獅子と狛犬がいなくなった、という記事を見たことがあったので、ここのことなんかなぁとのぞいてみましたが、小さな祠程度のもので、これじゃあないのかもしれませんね。ちなみに、祠の胴部分に、狛犬さんの絵が描いてあって、ちょっとプて笑ってたんですが。軽くお参りしてから、榎本神社の軒先ぞいに本殿へ入りました。

拝観料500円。もうぅ・・・とぶぅたれつつ、神殿前まで行きました。
見ると、向って右(東)から、第一殿 武甕槌命、第二殿 経津主命、第三殿 天児屋根命、第四殿 比売神の四神殿が見える。そして各神殿の御簾には!ほんとだ、2枚の鏡が重ねられた状態でかかってありました。見れば見るほど、つくづく不思議。なぁんであんなことになってるかな、と思い、通りかかった小沢征悦似の巫女さんに質問してみましたところ、神社には三種の神器がどうのこうの、鏡を祀るのはどうのこうの、とおっしゃる。イヤ、それはわかってるんです、なぜにあんなふうに御簾にしかも2枚重ねで吊ってあるんですか、と重ねて問いますと、「当社ではあのようにお祭りする慣わしになっております」、詳しいことは存じません、ですって。チェ(`Д´;)。念のため通りがかりの神官さんにも聞きましたが、同じ答えが返ってきました。

せっかく春日くんだりまで来たのに結局ナゾは解けず。帰宅後威吹亀のおじちゃんにこれこれしかじかの報告をすると、聞く相手を間違ってる、とあっさり言われてしまい、ますますしょんぼりです(笑)。しかも500円の拝観料払って、移殿と呼ばれる式年造替の時期の仮殿になる建物を見たところで終わりかと思って帰っちゃったんですよね。出てから、御手洗川やら直会殿やら捻廊も見れることに気づいたんですが・・・くっそう(泣)。見学順路の標識、もっとわかりやすくしてクダサイよってなもんです。・・・いいんです、内侍門からのぞきこみましたから・・・シクシク。ちなみに移殿内は荘厳な「大祓詞」がエンドレスで流れまくっており・・・葉室宮司の書籍の宣伝に満ちていました(笑)。大祓詞は「千年以上も同じ言葉を唱えながら永遠に感動を失わない!まさに神様の神秘の言葉!」と書いてありました・・・(v_v)。

各神殿の御簾にかけられた鏡ですが、おそらく破邪的な意味があるんじゃないかなぁと思ってみたんですけどどうでしょう。神殿の外にかけられているわけですから、あの鏡がご神体ということはまずないですよね??確か、椿井大塚山古墳だったと思うのですが、あそこで大量に見つかった三角縁神獣鏡は、すべて棺の外に棺を囲むように並べられていたと記憶しています・・・(棺内の死者の枕元にあったのは中国産といわれる小ぶりの画文帯神獣鏡のみ。三角縁神獣鏡が中国産ではなく日本国産の鏡ではないかといわれる所以はここにあったはず)。春日社本殿の御簾の鏡を見た時、守るべきもの外側を鏡で囲・・・んでいるのかどうかはわかりませんが、古墳時代にさかのぼる作法を、ちょっと、思い出したのでした。


金網の下は、御手洗川で、右の侘びた建物が直会殿、左の鮮やかなのが廻廊デス。画面最奥に内侍門があります。


春日山を遥拝する所。こういうところが、実は一番好きだったりします。・・・春日社ではあまり写真を撮らなかった・・・というより撮りたいところを撮れなかったので、なんかこんなのしかありません(A^_^:::