言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

「本」の値段

2006年10月04日 | Weblog
 集めた書籍と歩いた全国のパンフレットや地図を相手にして時を過ごしてみると、これも案外と良いものではないか!
 アルバムをめくり、旅の想い出をひいては人生の想い出を甘いオブラートに包んで(この比喩はもう理解できない時代かな?)脳裏に巡らす。
 話すのに飽きたわけではないけれど、思いも掛けない強制終了で現役からの撤退を決心したのはもう一年も前の事だ。
 美術館・博物館等の写真資料集を含め随分な書籍を売り払って、もはや読み返す事もないだろう書籍はあらかた処分してしまった。
 惜しいとは思うが振り返るまい。
 ただ、厳然たる事実には驚いてしまったが。
 つまり、部屋が沈み込むほどにあった書籍の山がたったの5万円!!!という買値であった事である。
 1%以下に資産価値が減じている現実を目の前にしたからである。
 しかし、恐るべき事は書籍の買値と売値の乖離ではなくて、本を必要としない世界が今此処にあるという事実である。
 古書籍店主曰く、”本を読まない。需要がない。”という現実を身を以て体験(おおげさではあるが)してみると、身震いしたくなるような人類文明の危機を感じるのだ。
 と言いつつ、このようなブログを使っているのとは矛盾ではないにしても違和感はある。
 それは事実だが、ネットの世界の隆盛は形を変えこそすれ、これ以降無くなる事は無いだろう。
 だが、この便利さは、手書きの写しから印刷に変わったという程度の比ではない。
 事の本質的な危機は、人は時間を惜しむというか、簡単に結論を急ぐようになったという事なのだ。
 大学の友人が言う。”ネットからの引用ばかりだ。”と。
 語の連なりからその裏に込められている意味を理解していないのだ。
 ”読んで”いないのである。
 その事象が、僕の本の値段が不当にも低いという結果となって現れたという次第である。
 さて時代はどう変わっていくのだろうか?
 どの時代に於いても変わりないのは、その不確定要素に対する不安という簡単な結論で済んでしまう事かも知れない。

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