倭名抄にある遠敷郡(おにゅうぐん)である。
古来、若狭の國の中心部であり続けた。
それは一に天然の良港であるに加えて、熊川の宿を越えて琵琶湖畔に出るという、何よりも都に近くに位置するという幸運に恵まれた事が挙げられる。
いにしえの「塩」を贄(にえ)として貢を負わなければならないという事情が、現在の特産品の代表と言うべき「塩鯖」を生むことにもなった。
お陰で、「鯖街道」などという生々しい名前の割りには、趣のある響きを感じさせる道も生じた。
現在でも「鯖街道」という言葉は生きてはいるものの、先程の熊川から近江今津に出る山一つ手前、「朽木(くつき)」の谷を京の北東へと導く行程を主な道筋とするのではあるが、それは大回りに過ぎていて、実際には網の目を思わせる様々な道筋を通っていたのである。
その様子の一端を知る資料も多く見られる。
更に、若狭と京を隔てる山々に生えているのは今もブナである。
ブナの木の原生林を行く道の傾斜は厳しくもあるが、日常的な往来に随分と整備されてもいたらしく、広葉樹特有のカラリと明るい道は随分と救いでもあったのではなかろうかと想像される。
それぞれの事柄については、小浜市街地の中心部にあるいづみ町商店街に設けられた「鯖街道資料館」でも知ることが出来るので、駅通りを歩き、市内散策兼ねて是非とも立ち寄られることをお奨めする。
古来、若狭の國の中心部であり続けた。
それは一に天然の良港であるに加えて、熊川の宿を越えて琵琶湖畔に出るという、何よりも都に近くに位置するという幸運に恵まれた事が挙げられる。
いにしえの「塩」を贄(にえ)として貢を負わなければならないという事情が、現在の特産品の代表と言うべき「塩鯖」を生むことにもなった。
お陰で、「鯖街道」などという生々しい名前の割りには、趣のある響きを感じさせる道も生じた。
現在でも「鯖街道」という言葉は生きてはいるものの、先程の熊川から近江今津に出る山一つ手前、「朽木(くつき)」の谷を京の北東へと導く行程を主な道筋とするのではあるが、それは大回りに過ぎていて、実際には網の目を思わせる様々な道筋を通っていたのである。
その様子の一端を知る資料も多く見られる。
更に、若狭と京を隔てる山々に生えているのは今もブナである。
ブナの木の原生林を行く道の傾斜は厳しくもあるが、日常的な往来に随分と整備されてもいたらしく、広葉樹特有のカラリと明るい道は随分と救いでもあったのではなかろうかと想像される。
それぞれの事柄については、小浜市街地の中心部にあるいづみ町商店街に設けられた「鯖街道資料館」でも知ることが出来るので、駅通りを歩き、市内散策兼ねて是非とも立ち寄られることをお奨めする。