言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

呉紀行・2

2007年09月14日 | Weblog
 その上に実を言えば、旅を思った時には久し振りに鹿児島までを考えていたのだ。
 桜島をグルリと縁取るように、錦江湾を一周する所から始まる旅を。
 しかし、嘗ての強行軍で九州を一回りしたような、一気に成し遂げようとする気力や体力がそれ程残っていない事が最近はつくづく感じる。
 そういう消極的な理由が片隅にあるとはいえ、初めての土地という魅力と期待感は旅への思いを加速させる。
 呉とは?という一点に集中という意味である。

 「呉」の読みは「くれ」である。
 言葉にこだわる。
 日本書紀応神天皇37年2月”阿知の使主・都加使主を呉(クレ)に遣(また)す”という記事がある。中国の呉国に使いを出して、縫工女を求めさせた有名な事柄がある。古代は、先進国中国からの文物と技術は必須の事であった事情がよく分かる。
 その「呉・くれ」は、勿論「呉国」で「ご」の国である。訓読みと音読みを区別して考えなければならないが、兎も角も、中国の南方の「呉国」を指して「くれ」と呼んでいたのだ。
 それは、日本から見て遠く西の方角、即ち日が暮れる所に当たるから「くれ」なんだという理屈が成り立つ。ここで”なる程”と感心してしまっては身も蓋もない。
 語源説としては、他に「高麗国」の朝鮮語音「コグリョ」を略した「クリョ」からと言うのもある。大陸の人や文物が朝鮮半島を経由してきたという、歴史的な事実から金沢庄三郎が言い出した説である。
 調べていて馬鹿馬鹿しくなるような説もある。異国から来るという意味からだ、というのだから、こうなると何でも有りの思いつきに過ぎなくなってくるようで可笑しいこと限り無しである。
 だからそうではなしに、地名起源の原則論に立ち返ることから始めるのだ。
 その土地の現場に立って考えるのである。
 「くれ」は、鳥取県「久連」・土佐一本釣りで有名になった「久礼」・福岡県行橋市「呉」・熊本県五木村「久領」がその候補の主な所か。
 複合語としてはまだまだあるのだが、思い出してみても地形上の関連性は現在の時点では確信的に述べる事が出来る状態にはない。残念ながらなのだ。
 只一つ言えるのは、語源説からでは「呉市」に関しては阿知臣伝説以外の直接的な関連性は希薄である事だけである。

 さてさて、話はなかなかに呉市に辿り着けないままである。