Nyancoin Bakery / 江都屋

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速くなくていい

2008年02月19日 00時32分30秒 | 自転車
 
 毎日自転車で通勤していると、ほかの人々の乗り方を観察することも多くなる。なぜ人々は自転車に乗るとああも急ぎたがるのかね。速く走りたいならそれなりの自転車に乗ればいいものを、ギアの軽いママチャリで必死にスピードを出そうとするもんだからペダルをやたらと踏まねばならず、そういう人はたいてい体の使い方のバランスが悪くて軸がぶれるもんだから体も車体も左右に揺れまくり、必死の形相で車道右側をギコギコバタバタと走ってきたりする。なんとも哀れむべき状況だ。

 今俺が乗っている自転車は、某社の20インチホイールスポーツ車。スポーツ車といっても小径ホイールだから、さほどスピードが出るわけではない。車体が軽く加減速がスムースなので、以前26インチホイールのマウンテンバイク(注1)に乗っていた頃よりも通勤時間が短くなっている。この自転車に替えてから、公道を走るための自転車に対する考え方ががらりと変わった。競輪だとかロードレースあるいはダウンヒルなどの競技に出ようというならまだしも、一般公道でならば、軽い車体にほどほどのギア比(注2)で焦らずに走るのが、よりスムースに目的地に到達することができるのだ。「速く」はないが「早く」着く。言葉遊びのように感じるかもしれないが、これは本当のことだ。

 規制やら罰則やら教育やらで縛るのではなく、無闇に「速く」走ろうとしてもけっして「早く」は着かないことに気が付けば、逆走や歩道での暴走などせずにすむようになるのではないか、それが自ずとマナーの向上につながるのではないかと、そう淡い期待を抱いているのです。


(注1)正確に言うと「マウンテン・ルック車」という種類の自転車。外観はマウンテンバイク風だが競技には使えない、舗装路を走るだけの強度しかないもの。
(注2)何を以て「ほどほど」というのかは各人の脚力にもよるので一概にこれくらいと言えないのが心苦しい。ついでながらもう一点。スムースに走るための要素としてギア比の他にサドルの高さもある。たいていの人はサドルが低い。みなさんせめてあと5cmは高くするべきなんではないかといつも思う。ほんの少しのセッティングの違いで快適さがまるで違うのだ。快適なセッティングは心に余裕を生み、視野も広げるので自然にマナーも向上するのではないかと思うのだが、これは甘い見方だろうか。




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2 コメント

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ニワトリタマゴ的ですけれども (ボージー)
2008-02-21 07:20:42
車にも徒歩にも意外にこれに似た性質がありますね。もしもこの世に自分ひとり限りであれば、たとえ用事があったとしてもああは急ぐまいにと思われるのに、ひとごみのうちではなぜだか皆、必要以上に急いてしまうということ。これはもしかしたら乗り物の有無だけに原因があるのではないのかもしれないなと思いました。

それなりのマナーの備わっている人間というのは元々からして無闇に「速く」走ろうと(もしくは歩こうと)してもけっして「早く」着かない、ということを知ってまた実行しているのではないかと、そうして悲しくもマナーの十分に備わっていない人間というのはそもそも相変わらずそういう仕組みには気づかないものなのではないかと。気づくとすればそれは乗り物の乗り方以前に、何か彼の人の「マナー」部分に変化があった時でしかあり得ないなのではないかなと考えたりもしました。いかがですか。
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Unknown (江都屋黄金丸)
2008-02-22 20:04:27
体を速く動かすと、見かけは確かに速くなるけれど動作にブレーキをかける労力もまた余計に必要になるので、疲れがたまりやすくなるということもありますね。
あるいは力み過ぎて、腕を伸ばす筋肉と曲げる筋肉両方に力が入ってしまってかえって動作が鈍くなるなんてこともあります。不要な筋肉の力を抜くことを覚えれば特に体を鍛えることなく動きを速くすることもできるわけです。

体レベルのことではなく、心の中にもこれは言えることではないか。心の中の不要な「筋肉」(のようなもの)に向ける注意を取り去ることができればもっと楽になるんでしょう。そうすればもっと視野が広がって、自分と周囲の人々や状況との関係も見えてきて、まあそれがその人の「マナー」を向上させることにつながるのかなと、そんな風に思うのです。

そうすればいかにその人の心の中に「急がせる虫」がいようとも、その働きを抑え込んで、ユッタリかつ早くが実現できるのではないかな。
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