Nyancoin Bakery / 江都屋

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2006年8月 記事一覧

2006年08月31日 23時59分59秒 | 記事一覧
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---------------------------------------------- 記 事 一 覧 ----------------------------------------------

8/1 ハト、ハト、ハト 8/2 赤い桟橋 8/3 ジョビジョバチョロチョロ 8/4 時間 8/6 出っ張り/今夜はONSENSのライブ 8/7 ONSENSライブに行ってきたよ 8/8 大根サラダ(改)/雲の向こうの雲 8/9 ブランコ/フジクラウド 8/10 雲行き 8/11 ナカヌケ 8/12 道端で猫を見かけた時に 8/13 モノクロ風 8/14 高架 8/15 毎度毎度の雲写真 8/21 盆休みが明けた 8/22 玉子いとしや 8/24 秋の雲ですな/今日の道幅 8/27 8月のライブ 1 8/29 8月のライブ 2 8/31 連想/柱の陰からコンニチハ/8月のライブ 3


8月のライブ 3

2006年08月31日 21時06分12秒 | ヨタ話/写真

関連リンク:

Far East Lounge 三代目春駒小林一彦オフィシャルHP
ベース&ヴォイスパフォーマ- 梶山シュウ オフィシァルサイト 週刊シュウ
野澤松也と橘凜保の創作浄瑠璃
ひろしまにさいたきぼうのはなカンナ冊子について

タグ記述ミスにより上記の梶山シュウさんのサイトへのリンクがうまくいっていませんでしたので9/ 4に訂正しました。
 



 8/26、スマトラタイガーにて、浄瑠璃三味線、野澤松也氏、梶山シュウ氏(フレットレスベース)、小林一彦氏(ウクレレ)による「棹・三味2006」

 ウクレレ、ベース、三味線の三種類の「棹」楽器の競演。いいなあ、こういう企画。で、これがまた文字通り「三者三様」で、見ていて飽きることがない。お酒でもそうでしょ?たとえばビールばっかり飲んでいるとある程度のところで「もう飲めない」ということになるけれど、そこで日本酒にスイッチすれば舌が「おお、新たな味」とばかりに受け入れ態勢を整えてしまう。だからまだまだ飲めちゃう。次の日の朝が大変。とまあそんな具合。いや、酒の話と同じにしてはいけないか。


 梶山氏のベースと小林氏の口琴(マウスハープ)。なんだか不思議な雰囲気の音だった。勝手なイメージなのだが、アフリカっぽい感じ(「アフリカ」てのも大雑把なイメージだね)。この日の小林氏は、前回のONSENSとのジョイント時よりも声の抜けが良かったように感じた。やはりあの時は疲れがあったのだろうね。今回は音響上のトラブルも(たぶん)なく、安心。安心というのも何だけれど。

 梶山シュウ氏のベースソロ。これがまた想像を絶するもので、きゃー、みたいな感じ。超絶、ですな。これまで、Far East Loungeのライブでソロコーナーということで1、2曲聞いたことはあったのだけれど、今回は4曲ほど、悶絶もののソロ。三味線風の弾き方で奏でる「コキリコ節」など、もう、来て良かった~ってなもんで、ほんと、こんなすごいベース・プレイはこれまでに見たことも聞いたこともない。以前、小林氏が、師匠の豊田勇造氏の演奏する姿を評して、楽器と体が一体になったまるで「鈴虫のよう」と言ったことがあったが、この日の梶山氏の姿もまたその鈴虫のようだった。抱えたベースと体が一体となり音が紡ぎ出される。まさに新種の生命体を見る思い。




 とにかく、楽しいライブだった。三味線の音を間近で聞くことなんてないしねえ。ライブ後にちょっと野澤氏とお話しさせていただいて、三味線について興味深いことをうかがう。演奏中、音がビビリ気味だなと思っていたのだが、それはそういう風になっているのだとか。一番上の弦が、弦高を低くセットされているので、開放弦の状態だと弦が指板に触れてビリビリと音を出し、それが味になるのだ、と。他の二本の弦はそうならないようにやや高めにセットされている。だから、クリアーな音にする時には一番上の弦を押さえてビビリのないようにする、とか。三味線の表に張る革は、犬や猫の革を使うのだが、張替えた時にそれが前回のと同じ厚さであるとは限らない。それによって音質が変わる。それに対応するために、駒を数種類用意しておくのだそうな。駒の中には鉛が埋め込まれていて、重い駒と軽い駒とがある。革が厚い場合は重い駒を、薄い革には軽い駒を使う。なるほど!また、棹(ギターでいうネックですな)は取り外せるようになっているのだけれど、そのセットする角度によってもまた音が変わるのだそうで…。その他、短い時間ではあったけれど今まで知らなかった三味線について知ることができた。野澤師匠に感謝。

 この写真は、「ひろしまにさいたきぼうのはなカンナ」を浄瑠璃で演じているところ。原爆の後の広島に初めて咲いた花、カンナの花の話を浄瑠璃仕立てにしてある。隣の女性は、その話の作者、橘凛保さん。浄瑠璃にあわせ、物語の語りをされている。橘さんが広島の平和記念資料館を訪れた際、目にした光景にうちひしがれ、帰るに帰れず、しかし資料館の最後に展示されていたカンナの写真に希望を見いだし、そしてこの話を伝えていくこと決意したのだそうで。
 正直に言うと、その浄瑠璃や語りの言葉は、もっと練り込んで削るところは削ったほうがいいんではないかと思うのではあるが、それでもなお、戦時中とはいえ比較的平穏な日々を送っていた(油断させるためにあえて攻撃の手を緩めていたのだとか)広島の街にある朝突然落ちた原爆のことを伝えるその意志は尊いものだと思う。二度と草木も生えないと言われていた広島の地に咲いたカンナの花。どれほどの希望がもたらされたのか、今の俺には想像もつかない。
 浄瑠璃でこういう話を伝えている人がいるとは思わなかった。またひとつ貴重なものを知ることができた。一昨日も書いたが、まだまだ、この世は捨てたものではない。



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柱の陰からコンニチハ

2006年08月31日 18時53分18秒 | ネコイヌetc.
 
 そんなに怖がらなくてもいいのだよ。虐めたりしないのだから。とは思うのだが、やはり猫を虐める人もいるのだそうで…。Webサイトで「どこそこに猫がいる」というのを見て、わざわざ虐めに行く人なんてのがいるのだそうな。あるいは、生まれた子猫をそこに捨てに行く、とか。いかんよ、それは。

 そういうことを少しでも防ぐために、今後は猫写真の場所を記さないようにします。

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8月のライブ 2

2006年08月29日 22時37分48秒 | ヨタ話/写真
 8月6日 スマトラタイガー 『10年ぶりのヒロシマナイトフィーバー~暴走18キップをキミに~』
Far East LoungeとONSENSのジョイントライブ。

 前半はFar East Lounge(写真撮ったんだけどピンぼけばかりなので載せませぬ)。やはりこの三人編成の生み出すウネリとでもいうのか、平たく言えばグルーヴ(平たくない)はタダゴトではない。これで合同練習してないってんだからリンダ困っちゃう。リハーサルぐらいはやってるんだろうけど。
 「星の波間に」という歌がありまして、最近数回のライブではベースの梶山シュウ氏がヴォーカルをとっているのだけれど、これが何ともいい感じ。声の周波数の関係なのか、あの歌によく合う緩やかな歌唱で、寝不足の人は寝ちゃうんじゃないかと余計な心配をしてしまうほどなのです。

 ところでこの日は8月6日。朝から暑い日だった。朝ちょっとコンビニへ行って帰ってくるだけでクラクラして、自転車で行ったのを忘れて歩いて帰ってきてしまい、自転車を取りにコンビニへまた歩いて行って余計にクラクラするようなそんな暑さ。原爆投下の日もまたこのような暑さの夏の日だったのだろうか。広島に住み始めて数年経った頃に気づいたのだが、原爆の日を境に気候が変わるのだ。もちろん真夏のこと、暑いのは暑いのだけれど、空気の質が少しだけ変わるのだ。気分的な要因もあるのだろうかね。

 で、ONSENSのライブが始まる。一曲目の「いたいのいたいのとんでけ」がいきなりドカンドカンとくる。これ、やっぱり8月6日のヒロシマならではの一曲目なんだろうか。三日前の弾き語りスタイルのAKIRAさんのイメージがあった俺はバンド編成のONSENSの衝撃に言葉を失うのであった。
(余談。俺はこういうライブを見る時に、イエーとか言ったり踊ったりヘッドバンキングしたり、その他モロモロの「ノっている」とされることをしない。その演奏が良いものであればあるほど俺の場合は体を動かさなくなる。演奏者を凝視する。ひょっとしたらあまり楽しんでいないように見えるかもしれないが、実はかなり楽しんでいるのだ)
 次の「Hello my mom !」が実は一番印象的なのだった。
ちょいと歌詞をAKIRAさんのブログより拝借

Hello my mom !
わたしおぼえてるの
ママに会うまえは
神様といたんだ
天国のテレビで見たよ
ママとパパの結婚式を

Hello my mom !
自分で決めたんだ
ママの子になろうって決めたんだ
だって世界中で誰よりも
ママのこと大好きだから


 こないだ実家に帰って疲れたということを書いたけれど、それでもここ数年、俺はこの歌詞に近いような感覚を抱いているのだ。
 人間の本質は、肉体ではなく魂である、と。だから当然、輪廻転生、前世も来世もある、と。そこらへんから考えるに、生まれてくる時って、やっぱりある程度はどういう環境のどういう家庭に生まれようということは自分で決めるんではないかな。天国のテレビがあるのかどうかは知らないけどね。自分の人生の目的に沿う条件に見合うところに生まれるのだろう。そんなことをたまに考えたりしているから、そういう題材の歌があると嬉しくなる。


 「祈りプロジェクト」の話の後に「祈りの歌」。このあたりで俺はさらに動かなくなってくる(トイレに行ったりはしたんだけど、それはともあれ)。くわしくはAKIRAさんのブログで「祈りプロジェクト」を検索してみてね(今日付けの記事にも緊急の祈りプロジェクトあり)。
 やっぱり、人間の精神的な感応力というものはあるのだ。祈るという行為はともすれば他力本願のように受け取られるかもしれないが、このプロジェクトでする「祈り」はそういうこととは一線を画す。祈る、のだ。ただ単に。必ずしも神にということでもなく、祈るのだ。その思いはしっかりと伝わるのだ。こういうことが実際に起こり得るということ、それだけでもこの世界、まだまだ捨てたもんではないではないか。そして「祈りの歌」。この日、あの場にいた人たちは同じように感じたろうか。あの歌で何かが間違いなく我々の心に突き刺さった、ぞ。


 また広島でライブしてほしいものです。あるいは近場ならちょっと交通費とか奮発して行きたいな。ソロもよし、ONSENSもよし。
 

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8月のライブ 1

2006年08月27日 21時20分48秒 | ヨタ話/写真
 8月に行ったライブ、三回。昨夜はスマトラタイガーにて、浄瑠璃三味線、野澤松也氏、梶山シュウ氏(フレットレスベース)、小林一彦氏(ウクレレ)による「棹・三味2006」を見にいく。こちらについてはちょっとまたあとで書くとして、まずは今月始めのライブについて書きましょう。

 というのは、今日ようやくライブの時の写真ができあがってきたのですよ。携帯のカメラで撮ったぶんはやはり今ひとつだし、写りがどうであれフィルム写真ができるまではあまり書く気が起きなかったのだ。出来上がって来た写真を見たら、まあまあブログに載せても自分的にはOKだったので、これで安心して今月始めのライブについて書ける、のである(と言いつつ、上の写真は携帯カメラの写真だったりする。フィルムの写真は次回分にアップ)

 さ、そんな言い訳はともかく(誰に言い訳をしているのだか)、まずは8月3日、まよなしんや氏のライブから。Far East Loungeのパーカッション担当の水木ツン氏の店である「PICO」にて。
 写真は、セッティング中の小林一彦氏とAKIRA氏。不覚にもこの日に撮ったのはこれ一枚のみ。あとは演奏に引き付けられてしまったのでカメラが出せずにいた。まあそれはそれで良いことではあるのだが。まよなかしんや氏のライブは年のOTIS!に引き続き二度目。アコースティック・ギター一本での弾き語り。決して高度な技は使っていない(と思う)のだが、引き付けられるものがあるのだ。音楽全般に言えることだろうけれど、とにかく演奏者が客に伝えたいメッセージを持つ!ことがなにより大事なのだろう。下手でもいいとか技術などいらないとか言うことでもないんだが。とにかくまよなか氏の歌からは、彼の沖縄人としての思いが伝わってくるのだね。本土に生まれ育った俺には実感しようにもできないものもあるのだけれど、それでも日本国内に米軍基地が当たり前に存在するなんておかしいよってことぐらいは思いの強さは違えども(違うのは哀しいことだけれど、それでも)同意できるもの。平和を願う心はあるもの。うたをききながらいろいろ考える。米軍基地があってはいけないのかな、という疑問も持つ。それが俺の正直な思い。先に書いたように、米軍の基地が当たり前に存在するのはおかしいとは思うけれど、ただ闇雲に反対を叫ぶのははたして100%正しい行為なのか?わからん。まあおそらく正解は○×で決められるものではなく、その中庸にあるのだろうね。ここで結論を出そうとは思わない。「アカバナ」という歌がある。(いま、正確な歌詞がわからないのでうろ覚えなのだが)その歌の中で、アメリカの土にも日本の土にも花は等しく咲き、やはり美しい、みたいなくだりがある。ここいらへんに答えがあるのかなと、俺はぼんやり思っているのだ。

(まよなかしんや氏。小林一彦さんのweb日記「屈折日報」より当日の写真を拝借しました)

 そしてイナズマン小林一彦氏のステージ。ウクレレでの弾き語りである。これがまた、いいのだ。
(ところで俺はいつも自分で思うのだが、良かったものを表現するのに「いい」ぐらいしか書かないんだよね。言葉では表現しきれないと言えば聞こえはいいけど、どっちかと言うと語彙が貧弱なだけなような気もしている。まあそれはともかく…)
 ウクレレって、小さい楽器だから音も小さいと思われがちだけれど、なんのなんの、音がスポッと前に出てくるという点においてはギターよりもある意味パワフルだったりする。小林氏のウクレレに魅せられて俺も昨年ついついウクレレを手に入れてしまったぐらいで。でまあそのある意味パワフルなウクレレにパワフルでソウルフルでもあるヴォーカルにココロもフルフルするわけだ(?カタカナばかりで結論もよくわからない?まあ知りたい人はライブへ来ましょう)
 ところで小林さんは最近になって、ひいお爺さんがネイティブ・ハワイアンだったということが判明したんだそうで、やっぱりウクレレ使いになるのは天性というか、運命だったのかもしれませんな。

 さてこの日は当初、まよなかしんや&小林一彦ライブだったのだけれど、ここへ急遽、8月6日のライブに備えてちょっと早めに広島入りしたAKIRA氏も加わったのです。その経緯はコチラAKIRAさんのブログ、New 天の邪鬼日記 「広島ライブレポート1」を見てください。というわけで、8月6日に先がけてAKIRA氏のソロ・ライブを味わうことができました。バンド編成のONSENSとはひと味、いやいや、まったく違う雰囲気。ピアノでの弾き語り「Fragile」から始まった。何と言う声を出すのだ、この人は。それが第一印象。以前に小林氏のラジオでたまに耳にしていた「旅立ちの歌」だけが予備知識だったので、これは驚いた。高音部に入った時にノドをさらに引き締める?のかな?ライブ前に少し言葉を交わした時の穏やかな感じとはまったく違う、衝撃だった。(しかし考えてみれば、俺自身も普段喋る時と本気で歌う時はかなり発声法が違うので、その意味ではひっくり返るほど驚くべきことではなかったかもしれぬ。まあここでは俺のことはどうでも良いのだけれど)
 それからあとはギター(エレアコ)での弾き語り。二曲、三曲聞くうちに引き込まれていく。まよなかしんや氏のギターのときも感じたことだけれど、ギター一本と歌でこれほどガッツリと来るものなのか。いやこれはむしろ、バンドではなくギター一本だからこそなのかな。
 「だいじょうぶマイフレンド」を聞き、なんだか安心する。俺もまあ一応いろいろあって、自信があったりなかったりなんだか良くわからない状態で生きているわけなんだけど、それでも大丈夫なんだよな。今のまま妥協するつもりはないけど、とにかく、大丈夫なんだな、と。あるいはまた、何かに思い煩う友人がいた時に、何の根拠もないけれどとにかく「大丈夫!」って言おうかな、と思ったりね。とにかくAKIRAさんの歌は優しいんだな。優しい、といっても、甘ったるいわけではなく、その歌の対象となる人の、その存在をあるがままに否定せず受け入れることから始まっている、とでも言おうか。俺なんかは普段けっこう優しい人で通っているけれど、実際心の中ではかなりの度合いで人を受け入れていないことがあって、それだからなおさらAKIRAさんの歌の底に流れている優しさ、と言うのか包容力と言うのか、とにかくそういったものにズキンときてしまうのかね。ああ、俺はやっぱりまだまだだねえって。
 で、俺としては珍しくライブのあとですぐにCDを一枚購入。そして来る8月6日のライブへと思いを馳せるのでありました。

(つづく)



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今日の道幅

2006年08月24日 21時22分57秒 | ネコイヌetc.
 
 今日の道幅は猫一匹分です。

 あのさ、ノラネコなんだからさ、もーちょっと緊張感持とうよ。ってんで、自転車止めてだね、肉球ぷにぷにしながら「こんなとこに寝てたら踏まれちゃうよ」って注意してみたんだけど聞きゃあしねえ。頭にも脇腹にも砂がびっしりついてるし、お前どんだけここで寝てんだよ。しょうがないのでお腹をちょっとつんつんしてみたら爪をニュッと出しながらクネクネ(なんか、馬鹿みたいな文章だなあ)…

 そんなわけでこいつを避けて通るしかないと、そんな道なので広島市民の皆さん、徐行を心掛けよ。

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秋の雲ですな

2006年08月24日 19時16分22秒 | ヨタ話/写真
 
 お盆を過ぎると一気に秋ですな。いくら最高気温が高くとも、空の雲は正直なもんだ。

 こういう夕暮れときに限ったことではないけれど、空を見上げるのはいいもんです。特別嫌なことがあるわけでもない、でも毎日がただ坦々と過ぎていくのもつまらん、そんなときは仕事の帰りに夕空を見上げてみる。一日として、いや一瞬として同じ空はない。空と同じく、単調に思える日々も実は毎日々々ちょっとづつ違うんだよ。な~んてことをちょっとだけじっくり考えるには、ちょっとだけ顔を上げて空をちょっとだけ眺めてみるちょっとした時間があれば充分なのだよ。

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玉子いとしや

2006年08月22日 20時16分18秒 | ヨタ話/写真
 
 この写真、きのうmixiのほうにもアップしたんだけど、こちらにも。

 どちらがメインなのか、はっきりしてほしいのだ。まあたぶん牛肉がメインなのだろうけれど。もともとが玉子屋さんだったのかね?あるいは初代の奥さんが「玉子さん」という名前で、愛妻家の旦那さんがついつい奥さんの名前を屋号にしてしまったとか?

 こうゆうふうに「屋号」について考えることはけっこう楽しいのだ。ちなみに「江都屋」の「江都」は「水の都」という意味なのだよ。

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盆休みが明けた

2006年08月21日 19時13分09秒 | ヨタ話/写真
 
 盆が明けてようやく気候も変わり始めて、いくらか過ごしやすくなった。

 盆の休みは三日間ほど実家へ帰っていたのだけれど、やはり予想通り今ひとつ気が休まらない。近所をぶらついて散歩している時はいいんだけれどね。特に何ということもなく昔から知っている景色(もちろん変わってしまったところもあるのだけれど、根本的にはそうそう変わるものではない)を眺めたりするのはいいものだ。写真は、その実家近くの公園付近の街灯。なかなか美しい。

 でまあ、散歩ばかりできるわけでもなく家で親と何やかやと話をする時間が増えてくると、始めのうちはまあ穏やかにいられるけれど、話すほどに人生観の違いが露になる。思いのすべてを説明して納得させようなど、短い帰省期間では無理だとはわかるが、そこは俺の(親もだね)性格上どーしてもクドクドと言葉を連ねる事になり、結果、「理屈っぽい」だの何だの文句を言われる事になるのだ(理屈っぽいのはお互い様だ、と言い返すのだがね)。

 とはいえ、話さなければ理解など生まれようがない。しょうがないね。

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道端で猫を見かけた時に

2006年08月12日 17時13分30秒 | ネコイヌetc.
 
 道端で猫を見かけた時に「あ、猫だっ」とか言いながらうひょうひょと近づいていくのは素人なのである。ましてや、「こんにゃちは」とか、「どうしたのにゃ?」とか、言葉に「にゃ」を混ぜるだけで猫と意思の疎通ができるかのように思い込んでいる人もあるが、それは猫好きの思いこみというもので、事実ではない。

 猫がいる事に気づいた時にはまず、気づいていない風を装わねばならぬ。一旦通り過ぎるのだ。通り過ぎて15メートルほどしたところで緩やかに立ち止まり、心を鎮めつつ猫の如く足音をさせずに来た道を引き返す。歩きながらカメラの準備をし、猫のところまで来たら速やかに撮影を済ませるのである。

 しかしそれだけ気を遣い静かに近づいた積もりでも、いくらかの邪念がある場合はこの様に気づかれ、嫌な顔をされてしまうのである。日々是修行也。

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