ずいぶんと前のこと。仕事の合間に同僚数人と世間話をしていると、その中の一人スズキくん(仮名)が「気」について話し出した。誰某の手から放たれる気を感じた、云々の話。ジンジン痺れてきたり、熱くなったりするんだって。
そういう話を聞くと、ちょっとしたイタズラ心が沸き出てくるのが人情ってもんじゃありませんか。何気なく「ああ、それ俺もできるよ」と自信ありげな顔をして、3メートルほど離れたスズキくんの左肩あたりに向けて右掌を軽く開いて差し出してみた。それに向かい合わすようにスズキくんも左手をこちらに向けた。
十数秒間そのままでいたらスズキくんは「あ、きたきた」とか言い出した。手が熱くなってきたのだそうな。そのまましばらく続けてみると、反対側の右手まで熱くなってしまった。こりゃすごいとスズキくんは興奮していたのだけれど、実際、俺はなんにもしていないのだよね。俺は単に、それができる風を装って手を差し出しただけ。何かが来たり、熱くなったりは全て、スズキくんの体内で起こったこと。
俺は「気」を全否定するものではないけれど、スズキくんの一件以来、怪しいものが多いだろうと考えるようになった。「気」即マユツバとまでは言わないけれど、少なく見積もっても半分以上は受け手のそれこそ「気のせい」なのではないか、そのように思う。
その五年ほど後に逆の立場になったことがある。先のとはまた別の職場でまたもや「気云々」の話になった。今度はおとなしく聞いていると、ナカジマくん(仮名)が俺の右手首をつかんで、そこから反対側の左手まで気を通してあっためてやる、と言う。ナカジマくんはそういうことができるヒト、なんだそうだ。
おもしろそうなんで手首をつかませてはみたが、おとなしく左手をホカホカされるのもシャクなので、目を閉じてこちらからもその「気」を送り込むことを強くイメージしてこっそり抵抗してみたらナカジマくんは「おかしいなあ、跳ね返される」と言って、パフォーマンス(?)を中断したのであった。その程度の力で俺に「気」を通そうなんて百万年早いわい、とナカジマくんには言っておいた。
…なんてことを考えていると、ひょっとして先の二件のときには俺の手から何かが出ていたりしていたのかなと考えられなくもないのだが、まあしかしやはりそれは気のせいだろうね。よしんば何かがほんとに出ていたのだとしてもだね、手があったかくなる程度のものに大した価値があるとも思えないのであるよ。
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