Nyancoin Bakery / 江都屋

当ブログは引っ越しました。→ http://blog.livedoor.jp/edoyakogane/

盗難防止策?

2008年04月30日 22時54分40秒 | ヨタ話/写真
 
 都内某所レストランのトイレに設置のペーパーホルダーである。

 端に芯の内径よりほんの少しだけ大きい金具がついていて、工具なしでは紙の交換はできない。おそらく盗難防止の策なのだろうが、こうまでしないと防止できないものだろうか?

(まあたしかに盗んでみたくなる高級ペーパーではあったがね)
 
  2nd blog   mixi   mail form

ゴミはお持ち帰り!

2008年04月19日 21時02分28秒 | ヨタ話/写真
 
 ずいぶん力が入っているものである。しかしこれは笑うわけにはいかない、当事者にとっては切実な問題なのであろう。かの有名な都内某所、名前を出してもいーのかしら公園である。あきれるほどの花見客。少しづつでもゴミを残していったらば積もり積もって素人には想像もつかないゴミの山ができてしまう。「!」マーク付きでもまだ控えめな表現であると言えよう。





 先週末、もうずいぶん桜の花は散った頃だがちょいとお花見デートなんぞいってきたわけです。桜は散ったがそのかわり若葉が繁り始め、こりゃかえって色合いが美しいのではないかと思えるお花見となった。彼女作のお花見弁当はもちろんベジ仕様でござんす。春雨に、たくさんのお野菜。ゴミもお持ちかへりね。というか、ゴミといえるのはラップのみ。箸も持参のいわゆる「マイ箸」を使用。なんとなくエコロジカルなお花見であるな。そうしたからといって即、環境問題が解決するわけではないが、解決の糸口くらいにはなろうか。いやそんなたいそうな目的でのお花見ではないのだけれどね。

  2nd blog   mixi   mail form

アルコールと古傷

2008年04月08日 21時59分14秒 | ベジタリアン
 
*関連記事
酒をやめる
酒をやめる2
アルコールの代わりとしての過剰な甘味を抑えるために
チューハイのタチの悪さ

 

 アルコール摂取をやめて明らかに違うことが一つ。

 ここ数年、冬の間の数日間、古傷の胸椎が強烈に痛みを持ち、肋骨全体にその痛みが広がることがあったのが、この冬はとうとう一度もそこまでの痛みが出ることがなかった。せいぜい寝違えた時の首の痛みていど。

 2年ほど前からタバコと肉食をやめてはいたが、冬に出るこの胸椎の痛みはあり続けた。昨年までは寒さの厳しい日にちょっとおかしな姿勢で物を持ち上げたりすると、その後夕方にかけてジワジワと痛みだし、帰りに自転車に乗ることはできるが首を曲げての後方確認をするのに一大決心が必要なほどになっていた。そして次の日の朝は身を起こすこともままならない。まあこれもひと冬に数日間のこと、誰でも持病や古傷の一つや二つあるさと半ば諦めていたものだ。

 ところが昨年秋から節酒を始め(経緯は上記の関連記事を参照してください)、12月の忘年会以降はすっかり酒をやめたところ、背骨の柔軟性に明らかに違いが出てきた。仕事の合間に自分で考案した背骨矯正体操をする際にもよく曲がるようになり、その古傷の胸椎5番(心臓くらいの高さね)近辺も、完治はしていないまでもこれまでに比べて動きがスムースになってきている。これまでは、ねじったり曲げたりする動きが胸椎5番のところで一旦カクンと止まるような感覚があったのだが、それも滑らかになってきた。

 これは俺の個人的なケースなので、全ての人に同じ効果が期待できるとは限らない。ただ、ひとつ確実に言えそうなことがある。アルコールは体内でその人の弱い部分を狙って攻撃するものではないか。飲んで酔っている間は痛みの感覚も麻痺しているので、持病も古傷も良くなったように錯覚してしまうが、酒が切れて酔いが醒めた時にその痛みは少しづつ増していく。酔うことで日々誤魔化していても、いつかそれは爆発する。これは頭痛薬などでも同じことが言えそうだ。一時的に痛みから逃れるために摂取する薬物がのちに更なる痛みをもたらすようになる。そこから逃れるためには、その薬物の摂取をやめるのがスジというもの。後から考えれば当たり前のことではあったのだけれどね。

 思い当たるところのある人はアルコール摂取をやめてみてはいかがだろうか?
 
  2nd blog   mixi   mail form

チューハイのタチの悪さ

2008年04月06日 22時00分47秒 | ベジタリアン
 
 つくづく思うんだがチューハイというのはタチが悪い。

 毎日飲んでいた頃は、安価でアルコール度数は高く爽やかな味わいで飲みやすい、つまりは手っ取り早く酔えるということでビール発泡酒よりむしろチューハイを好んで飲んでいたものだ。しかし飲むのをやめてみると、好んで飲んでいたのと同じ理由でチューハイはタチが悪いと思うのだ。

 ビールが苦くて飲めないという人でもチューハイなら飲めるということがある。そもそも飲めないと感じるのは体がそれを有害なものだと察知して拒否反応を起こしているということなのだから飲まずにすませておけばよい。しかしそうはいかない世間のシガラミ、あるいは「酒を飲めないのは不幸」だとか「飲まないのはつき合いが悪い」「大人のくせに飲めないのは変だ(飲めないのは精神的に子供である証拠だ)」などなどの集団思考に流され、なんとかして飲もうとする。その助け舟がチューハイだったりするのだね。

 チューハイのベースには焼酎ウォッカあるいは安価な醸造用アルコールなんかが使われている。そのままではとても飲めたものではない(註)。それをなんとかして飲むために炭酸水で割り喉ごしを爽やかにする。さらに果汁や甘味を加えてアルコールの刺激臭を消したもの、それがチューハイの正体。酔うための安易な罠。騙されていた気分だ。
(註)ウォッカなどをストレートで飲む人もいるのだろうが、それはすでに体の危険信号が麻痺している段階にいるのだ。

 酒を飲むことで得られる快感というのはせいぜい、朝の二度寝に似た浮遊感なのだ。疲れが取れたり、気持ちが安らいだりする 錯 覚 だ。その程度の感覚を共有するためにアルコールを共に飲まねばならないとするならそれは、合法か非合法かの違いがあるだけで本質的には麻薬の摂取を強要されるに等しく、あまりに愚かしい。純粋にその酒の味が好きで飲むのならばまだしも。酒を飲めない人が、それを恥じたり不幸を感じる必要は全くない。飲めることが幸せであると何の疑問も持たずに思い込み、他人にもそれを強要することのほうがよほど不幸なことだ。

 酔った勢いでの失言やら暴力やら自動車その他の事故あるいは病気などが不幸なのではない。それらは単に飲酒の結果に過ぎない。「飲めることがシアワセ」というその考え自体がそもそも不幸なのではないか。そしてその考えがチューハイなどの「飲みやすいお酒」を産んだのではないだろうか。

 まったくもってタチが悪い。


*関連記事
酒をやめる
酒をやめる2
アルコールの代わりとしての過剰な甘味を抑えるために


 
 
  2nd blog   mixi   mail form

PET BAR

2008年04月03日 22時34分28秒 | 水まわり
 
 先日ちょいと横浜の中華街辺りをうろうろとデートなんぞしてまいりまして、そろそろ帰ろうかというころにふと宝石屋さんの店先に目を遣ると何やら不思議なものが設置されている。

「PET BAR」

 こりゃいったいなんだろうねと彼女さんとふたり吟味してみるに、どうやら犬(もしくは他の動物)をお買い物の間につないでおくためのところであろうと結論づいた。上の方に金具がありますね。そこにリードを引っ掛けるようになっている。そして下の方には水道が用意されていて、水を飲んだり場合によってはちょっと足など洗ってみたり(街のお散歩でもよごれてしまうことがあるものね)できるようになっている。なんと素晴らしいスタージュエリー













 そこからさほど離れていない別のお店でも



 水道こそ設置されていないまでも立派な金具に「For Dog」の文字。犬以外はつないではいけないのか。なんだかな、いつかどこかで読んだ「サイは投げられた」「ほならシマウマは投げられへんかったんか」みたいなネタを思い出してしまうな。関係ないか。そんなネタはともかく、このように安心してつないでおける用意のあるというのはそれだけで、実際に店内に入らなくともそのサービスの質の良さが想像されるいうものですな。








 (と、書きながら思ったのだけれど、これはもしや昔々の商店などの店先に馬をつないでおくのと発想は同じなのではないか。横浜だし、馬に乗る人も多かったろう…なんてろくに調べもしないで単なる印象だけでいい加減なことを書いてはいかんね。このあたりの事情をご存じの方はコメントでも下さいね)
 
  2nd blog   mixi   mail form