ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

辺境の軍隊と島民

2012-09-23 13:03:07 | 世の中
日本南端の波照間島で畑の角にあった石碑から、
軍人の命令で強制疎開=退去させられた結果、
石垣島や西表島でマラリアなどにより住民の三分の一が亡くなった、
という戦史を知ったのは十数年前。

軍の命令をもってきたのは、山下虎雄軍曹という偽名の離島工作員:
「陸軍中野学校・離島残置要員特務兵」酒井清。

終戦直後の10月に島を離れるが、なぜか戦後も三度にわたって島を訪れている。
「当時の任務は死んでも言えない」と言うこの人物は、
1997年に死去当時、機械メーカーの会長だった。


いま、領土問題にゆれるなか、第二次大戦時の沖縄を知るべきとき。
たとえば
 久米島守備隊住民虐殺事件
鹿島正兵曹長および30人の守備隊が殺害した島民は、
 久米島郵便局員 6月27日
 区長家族および区警防団長の家族19人 6月29日
 島民一家4人 8月18日
 朝鮮人谷川昇一家(子どもも)8月20日
さらに、米軍ビラを持っていたり、投降しようとした島民も。
しかし戦後訴追もされず、だれも処罰されていない・・・

1972年「サンデー毎日」に鹿島正が語ったこと。

スパイ行為に対して厳然たる措置を取らなければ、アメリカ軍にやられるより先に、島民にやられてしまうということだったんだ
私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていない
いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたとは考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ


島に限らず、辺境に住むものは、
国の軍隊というものは、
領土を守ろうとするけれど、国境の住民を守りはしない、
ということを心に銘じておかなければならない。
それを教えてくれるのが沖縄の歴史。