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ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

ところかえれば

2007-12-15 09:32:14 | 雑感
沖縄「美ら海水族館」のドラマをTVで見た。
郵便局宣伝臭の強いフィクションだが、水族館つくりにたずさわった人々の想いはかなり実際に近くえがかれていたのではないか・・・と「美ら海水族館」を見てきたあとでは思える。

サメ。「獰猛」「貪欲」のような形容詞がつくけれど、実際には少食で、イルカが一日に食べる量を一週間かけるということを、この水族館で知った。
     脳はカロリーを消費する。
     やせたいなら、運動よりも脳を働かせるほうが効果的?
展示された脳は、サメにくらべてイルカのほうが格段に大きかった。
「かしこい」「いやされる」というイルカへの評価は、つまりは人間に近いということからなされるわけで、地球にとってみれば、サメよりもイルカのほうが「ならずもの」だ。
前に「人間は地球の癌」と書いたが、イルカよりも脳が大きい、さらなる「ならずもの」が人間だ。
ゆったり泳ぐジンベェザメは、人間よりイルカより妖精脳の比率が高いんだ、と思うと、ほんとうの妖精に見えてきた。



島の夜空で星を見上げていると「静か」になっていく自分を感じる。
(流れ星の降るときはなお)
南風椎訳『1000の風』の本を開いて、その「静か」をまた感じる。
(前に書いたけど→6月12日新井満『千の風になって』は、この『1000の風』の盗作で、ぜんぜん質の違う訳だからとりちがえないでください。)

人間は自然のなかに生起し自然の中に還っていく、そのあたりまえの真実を、
悲しみとかその克服とかいう人間の感情・心から解脱したところで、
たからかにうたいあげた詩だ・・・と思う。
近しい人の死を悲しむのは自然な感覚でも、その悲しみにとらわれる人間の情念は不自然だと、言っているように読める。

島で暮らすようになって、いろいろな本をうれしく読んでいる。
前には触れさえしなかった分野の本(たとえば詩の解説本とか)も手にするようになった。

***

水族館には賛否両論あるけれど「美ら海水族館」は、多くを学べる(たとえばサメに関する展示も多角的だし、深海魚の世界もあったり)ところだと思いました。沖縄ならではかも。

写真は八丈富士から、夕もやに沈む街と三原山です。

地球の癌

2007-05-13 17:21:30 | 雑感
バンクーバーwestの街で、山麓に建つ住宅群をながめながら、ふと思ったこと。
人間って地球の癌なんだなぁ・・・

長兄は52歳ですい臓がんを患って亡くなった。
最期まで苦しむさまは癌と身体との壮絶な闘いそのものだった。
命が消えるとともに嘘のように静かに安らいだ遺体を前に、
身体が死ねばいっしょに死んでしまうのに、
なお身体を侵してやまない癌というものが存在することがふしぎでならなかった。

癌にも良性と悪性がある。
おとなしく、間借り人としての分をわきまえ、
よくばって「転移」しなければ、癌も人の寿命いっぱい生きられる。

地球にとって人間が癌になったのは、そして、おとなしい癌から悪性の癌に変化したきっかけはなんだろう。

「2001年宇宙の旅」では、棍棒=道具が象徴的に描かれていた。
道具を使いながら、便利な機能を発見するうち、
もともとの目的ではない機能を<発展的>に使い出す。
そして、道具の機能に使われるような転化が起きていき、
生存に必要もない行動に走り出していったのではないか。
さらに「文字」が拍車をかけて、人間は地球の癌になっていった。

さらに悪性癌<人種>が発生して・・・。

それでも、良性の癌にとどまれる人間の社会があった・・・と思う。
しかし悪性癌はひとたび活性化するや、良性の癌まで活発化させていく。


交差点の向かいは、カーネギー・パブリック・ライブラリ。
つまり図書館だけど、ここでは麻薬を射つ部屋があるという。
注射器が提供されるそうだ(もちろん麻薬は提供されない)。
奨励するわけではないが、止められない人たちが隠れて不衛生な器具を使うより、
公の場で・・・という政策。
ダウンタウンの中華街から一筋となりの街路にある図書館の前にいるのは、
麻薬使用者たち。
白人の若い男性が多かったが、みな痩せてうつろな目をしていながら、
とても神経質にこちらを伺っているのがわかる。
小さなデジカメでも、撮るまでのあいだに人数が半分に減ってしまったのだ。
1ブロックを通り過ぎる5分ほどのあいだ、幻覚を見ている人のなかはマジでこわかった。


あ・・・後半はタイトルとは関係ないです。 
地球の癌は、エネルギッシュな力にあふれています。
麻薬患者は癌との戦いに負けて死んでしまった白血球かも。





ヒトは歩く・・・(その2)

2007-01-24 17:27:08 | 雑感
交差点の横断歩道でトラックにはねられる死亡事故が続いた。
歩行者に安全な信号にすると交通渋滞の問題が起きるというコメントに、
デーブ・スペクターさんだけは
「ゆっくり安全運転をすることがあたりまえ、そんな社会にしなければ」
と発言していた。
(彼はとてもまじめに調査・勉強してコメントをしている。
ジョークのかたまりみたいに見えるけど、ユーモアをいれこむ余裕がある。)

歩くための道から、自動車のための道ばかりになっている。
歩道でさえ、自転車が人を押しのけて走り、駐車・駐輪で、歩く人は道からどんどん追いやられている。

上京したときに見かける身なりのいい太った子どもたちは、
すねから足首まで同じ太さの、歩いていない脚。

「悪貨は良貨を駆逐する」ということばがあるけれど、
自動車が、ヒトから脚力を奪い、心身の発達を阻害して、
ヒトを滅ぼしていくような気になる。

道具を使うことはヒトの特徴だけれども、
際限のない開発は、道具の本来の目的から離れて、
かならずしも必要ではない性能や利便性が追求され、
その結果、ヒトを滅ぼす道具に変わっていく道に、
もう閾値を超えてはいってしまったかもしれない。

整理できない疑問・・・発達とはなんぞや?

(to be continued)

ヒトは歩く・・・(その1)

2007-01-15 09:29:10 | 雑感
台北旅行へもっていった本は、五木寛之の『風の王国』3巻とホーキング『宇宙のすべてを語る』

原子や量子の発見に向かっていった科学と、大地を身体の力で闊歩しながら口伝え(口承)する文化と、どちらが価値あるのだろう。
超能力とか超常現象を「非科学的」として否定するのは、まちがった科学だと感じてしまった。

たとえば食物から特定の成分を抽出して高価なサプリメント(機能性食品)がつくられるけれど、食材を丸ごと摂取するほうがずっと健康的だと、台北で スープ (写真:のりぃの日記から無断借用)を味わいながら思ったのだ。(翌々日はみんな肌が滑らかになった・・・ホント)

『風の王国』 (幻灯舎)から
「毎日、親は子どもをどこかの自然の中ではだしで、一定時間、必ず歩かせるしつけをする」
「よく歩くことで全身の感覚が発達し、考えも深まることを知る」  

  (このテーマ続けて書くつもりです)

嘘の活断層

2006-12-30 12:15:26 | 雑感
堺屋太一『活断層』を読んだ。
離島に石油備蓄基地をつくる過程を、巨大企業社員を主人公に描いた小説。
かつて政府中枢にいた作者が経験・見聞した事実を素材にしているから、現実味があっておもしろく読める。

しかし、事実のなかにウソを紛れ込ませている。
石油基地建設反対運動をつくりだしリードしたという人物は、作者の願望から想像された虚構だと、わたしにも断言できる。

たった一つのウソをつくために千の事実を使って「いろいろな地域でのいろいろな反対運動を仕事にしているプロがいる」と喧伝したいためのプロパガンダ小説。


あるベストセラーの著者が「この3行を言いたいために、200ページを書いたのです」と言ったことを思い出す。

町議選

2006-10-12 00:36:52 | 雑感
立候補した友人の選挙カーに同乗して選挙運動中。

「わたしのセリフを取らないで!」
「敬語とふつうのことばのごちゃまぜで、でこぼこ道みたいな演説だよ!」
素人アナウンサーと素人候補者がやりあいながら、だんだん、連呼・演説を上達させていきます。

台風がすぎたあとの秋晴れのなか、民家のない地域は緑を楽しみ、日が暮れて暗くなった道では星が瞬く空をみあげ、わたしはドライブ気分です。夕陽が沈みかけた時間には「夕陽の写真をとる人がいるから、行こう!」と海岸へ向かわせたりします。

車が通れるの?というような路の奥にも住宅があり、連呼の声を聞いて門口に出て選挙カーを待ちうけています。
子どもたちが「ガンバレエ!」と励ましてくれます。
畑で秋の植え付けをしている人、建築・工事現場で作業している人、店の人、みんな手を振ってくれます。
きっと、どの候補にも・・・
投票する相手とはちがっても・・・
島のためを思って立候補した人みんなへの声援、温かい気もちを感じます。
「いっしょうけんめいやっている人に投票するんだよ。」と近所のおばあさんのアドバイスどおりだと思います。

島の町議選は「ふれあい」そのものです。

あなたならどうする?

2006-05-27 11:05:12 | 雑感
去年いただいた柿、おいしく食べたあとで種をふたつ鉢に埋めておいたら、種がもちあがって、殻を破って芽を出した。
種が立ち上がってくるときは茎が見えるから、丈夫なものだと眺めていられるが、
はたして葉が出てくるのかどうか、硬い殻のなかは見えないので気をもむ。
殻が取れるまで2週間ほどもかかる。
取り除いてやるべきか、手を出さないでいるべきか、悩んで、
じっと我慢するのが大変だった。
殻を取っていたら芽もいっしょに抜いちゃったかもしれないし、
逆にもっと早く大きく育っていたかもしれない・・・

子育てに似ている。
わたしは →ほっとくしかなかった派 だけど あなたは?

ワイが王様

2006-03-19 10:49:45 | 雑感
WBCで準決勝に進む王ジャパンの試合がとても楽しみ。王貞治監督の堂々とした試合が好きです。

この人は悲運というか理不尽な目にあうことが少なくなかったのに(国籍が日本でないとして国体に出られなかったり、巨人軍では・・・、奥さんを早くに亡くされたり、その遺骨を盗まれたり)、いつも堂々としていられました。国民eiyo賞を授与されるべくして授与されたときも、はしゃいだりしませんでした。もちろん、けっしていばりません。
心から尊敬する、わたしの王様です(5月生まれの双子だし)
たった一度テレビのCMで王監督の太極拳を見たことがあります。静かな、すごい迫力!確か西川のCM、なんとか映像を入手できないかとさがしましたが、見つかりません。幻だったのでしょうか・・・

古都とはいえ・・・

2006-03-07 15:14:28 | 雑感
京都で地下鉄に乗ろうとしたら、ものすごい電車がやってきて、思わずパチリ。
20周年記念ということだけど・・・なんだか醜悪。お金をすごーくかけて、苦労して塗装したのだろうけど。
大江戸線の六本木駅も、金と黒のデザインで「ナニ、コレ!」とびっくりしたが、ただキンキラキンで、かえって暗い、おぞましいイメージだった。
復古調にするなら、何を<復古>させるのか考えてほしいなあ。

やっぱり京都に地下鉄は似合わない。

ボタンひとつ、石ころひとつで

2006-03-02 15:51:19 | 雑感
マウスの中央にあるボタンの使い方を初めて知った。
画面を上下させるのに、いちいちポインター(光標)を、計算尺(slide rule)の目盛り尺みたいなところに合わせて画面を操作し、ポインターを元の位置にもどしてから作業をするという、めんどうくさい作業から解放された。
たまたま指が滑って、中央ボタンを動かしたために、発見したこと。
マウスの使用説明書を読めば書いてあるのは重々承知、だけど、知っている左右のボタンですめば、変なことやって失敗するよりいい、と無視していたもの。中央ボタンを使わなくたって、用は足せていたから。
しかしながら、悔しいことに、やっぱり知らないことで、大量の時間をむだにして、神経も消耗させてきたわけで・・・。

知らないでもやっていけることは世の中にいっぱいあるけれど、どうも、知らないでいていい、ということはないのかもしれない。

写真は一ヶ月も咲き続けたガーベラ。タコノキのわきに挿しといただけで、ずっと元気だったのは、石の力だった。軽石みたいに穴がたくさんあるゴツゴツ石が水を活性化させていたみたい。