鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

庄内の山男展

2020年11月26日 | 鳥海山

 庄内藩の支藩、松山藩があったところまで足を延ばしてきました。

 廃藩後も取り壊しされずに残された大手門があります。写真は大手門の裏側です。その城跡公園の一画にある松山文化伝承館というところで下のポスターの内容で展示会が行われています。

 詳しい説明はいらないと思います。誰もが池昭さんと呼んでいました。池昭さんほど鳥海山にのめりこみ数多く登った人はいないでしょう。(鳥海山を愛し、などと書くとこそばゆくなります。だって愛なんて概念はなんだかわからないですから。説明できますか。)

 池昭さんといえばだれもが知っているのは「山と高原地図 鳥海山」でしょう。現在は執筆者がかわっていますけれど池昭さんの執筆したもののほうがはるかにいいです。

 以前も中折沢のことを書きましたけれど、池昭さんはこういった手書きのものも残しています。山行記録は別途本になり、データはCDに収められています。興味のある方はそちらも探して読んでみてください。メモ魔と呼ばれたほどメモしまくりの方だったようです。

 愛用のピッケル、マナスル126でしょうか、それとアイゼンなども展示されています。

 これらのものを見ていると今もなおストーブから青い炎がシューッという音をたてて燃え続けているような気がします。ほんとに鳥海山に対する取り組み、向かい合い方が全然違うんだなあといまさらながら思ったことでした。

 先日の佐藤要さんの「鳥海山を登る」の「あとがきにかえて」の最後にある「鳥海山は、人間社会の思惑とは無関係に、ただ聳えているだけであり地域活性化の切り札ではないという一文とこの展示会で示されたものとは重なって見えてきます。


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