鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

笙ヶ岳への見知らぬ登山道

2020年02月01日 | 鳥海山
 鳥海山小砂川口登山道の記事へのコメントをいただいたのですが、そういわれれば不思議な道が地図に記されています。
 薄く黄緑でマーキングしたところです。これは1986年のエアリアマップです。それより古いものもあったのですが行方不明でそれ以上のことが記載されているかどうかは不明です。1992年版のエアリアマップにもこの道は記載されています。
 エアリアマップ附属の池田昭二氏の解説にもこの道のことは見当たりません。しかしながら、池田昭二氏の「鳥海山山行記録1000」の附属CDの中に、この道を歩いたと思しき記録が二件ばかりありました。下図は同CD附属の鳥海山概念図ですが、左側に中折沢右岸尾根と記してあるのがわかります。(ご存じとは思いますが、念のため、川の上流から下流に向かって立って右手が右岸、左手が左岸です。)


 「鳥海山山行記録1000」1966年3月25日の記録に
 『遊佐-下当-四対沼-中折のヘソ(雪洞 泊)
 中折ノヘソ(雪洞)-P.1430-中折ノヘソ(雪洞 泊)
 中折のヘソ(曇ガス洞)-P.1430-笙2-御浜-蟻戸-御浜小屋(泊)
 御浜小屋-蟻戸-稲倉▲-矢ビツ左岸-鳥海牧場(テント泊)
 鳥海牧場-横岡=象潟~酒田』
 とあります。P.1430は不明ですが、そのあと笙2とありますので笙ヶ岳2峰へ出たという事ですね。蟻の門渡しから稲倉岳にも行っています。そこから矢ビツ左岸とありますからかなりの健脚です。でも、3月に蟻の門渡しを通過なんて人間業ではありません。
 また、1991年4月10日の記録には
 『遊佐=下当-中折右岸尾根-折返点-下山』
  ともあります。
 確かにエアリアマップを見ると、道は中折沢右岸の尾根上に記してあります。
 他には鳥海山に関する古い書を紐解いてもこの道に関する記述は見ていません、これだけです。
 笙ヶ岳では人と会ったこともありませんし、長坂道も長いし、御浜からも結構距離はある、登る人もめったにいないと来ては登った記録も目にすることはありません。まして、一般の観光登山においておや。多くの鳥海山好きの方と会いましたが、この道のことが話題に上ったことは一度もありませんでした。また、探す楽しみが一つ増えました。
 笙ヶ岳1峰から山頂を見たところです。頂上はゆったりとした平坦なところです。訪れる人は殆どありません。
 岩峰からここへ来るまでには結構池塘がありますが、そのあたりの写真もあったはずなのですが、今現在見当たりません。


7 コメント

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Unknown (ytenjin)
2020-02-01 17:59:42
鳥海山概念図にはやはり奈曽渓谷を詰めて蟻ノ戸渡のルートも載ってますね なかなか興味は尽きません、頭の中だけですが。
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-02-01 18:58:48
そう、今日写真展で鳥海へよく登る人と久しぶりに会ったのですが、その人ももう足がガタガタで登れないと言っていました。こちらももはやそんなに力が残っていないので、文献で辿るのを楽しみにしています。でも、まだ何とか行けるところまでいきたいですね。
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Unknown (ひろの元気村男)
2020-02-03 21:06:55
さっそく記事にしていただいてありがとうございます。当山から延びている中折沢右岸尾根経由の道ですか。池昭さんの記録も3月と4月という雪のある時期ですね。果たして無雪期にも道があったとすればかなり昔の話なのでしょうか。情報がほとんどないだけに面白い道です。
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Unknown (ひろの元気村男)
2020-02-03 21:23:36
それから30数年前になるでしょうか。11月に奈曽渓谷を詰めて稲倉に登ったことがあります。ルートの詳細は覚えていませんが、渓谷のドン詰まりから適当に草地の斜面を登りコルに出て、割と明瞭な踏み跡をたどって山頂に立ちました。この時は4つ下の弟が酒商山岳部時代(昭和50年代半ば)に同じルートから稲倉に登った写真を参考にしました。コルに出た時地形がヤバかった印象がないので、たぶん蟻の戸渡より稲倉寄りに出たのでしょう。帰路奈曽谷への下山は適当なカラ沢を下った記憶があります。稲倉山頂には当時弟が立てた自作の名標があったはずなのですが、飛ばされてしまったのかありませんでした。
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-02-03 22:49:51
30数年前と言えば、昭和も60年ころでしょうか。当時もう御浜から稲倉岳への道は御浜から見れば路らしき筋が見えましたがそこへ向かっていった人は一組しか見ていません。その一組も御浜の小屋へ救助を求めに来た記憶があります。WEB上で近年無雪期にそのルートを途中まで行った記録を見たことがあります。信仰登山の道も観光道路より下はすでに無く、山男たちの辿ったルートも清吉新道や三つの俣の道を始めいまやほぼ自然にかえってしまいました。無雪期に歩ける道もどんどん少なくなるのでしょう。貴重な体験ありがとうございます。かつてと違って情報量が格段と増えたせいか、最近は熊との遭遇の話もかなりの数です。人のいないところを歩くのも怖いが先に立つようになりました。
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Unknown (BLUE)
2020-07-10 18:22:52
興味深い記事の数々に、夕食の準備を後回しにして しばしブログを拝見していました。

私のブログにいただいたコメントへの返信をきっかけに、
ある先輩から メールが届きました。
・・・若いころ、昭文社発行 昭和59年の『鳥海山』の地図に 笙ヶ岳へ続く点線があることに気づいてアレ?と思い、仲間の方と2人で北目から藪林道を登って行ったが、結局 中折沢尾根から登山道に出ることができないまま 折り返してきた・・・
という内容でした。

その方は、『のんびり山歩き』というブログをやっていらっしゃいます。
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-07-10 20:23:52
BLUE様>
昭文社の山と高原地図鳥海山、手元にカバーと案内雑誌はあるのですけど、肝心の地図が行方不明、古書市場、オークションサイトで探していますが再度入手は不可能のようです。昭文社にも問い合わせしましたが、昭文社も旧版は一切所有していないとの事でした。
鳥海山にまつわる話、もう少し継続していきます。
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