前に載せたことがある写真、薊坂左側に見える仙ヶ洞。
仙ヶ洞の由来について、記述してあるものは寡聞にして下記の一例のみです。
斎藤清吉さんの「鳥海登山行 山男のひとりごと」の中に仙ヶ洞ついて触れた部分があります。紹介してみると、
高山植物の研究家のT先生が高山植物採取に鳥海山に来て、それを清吉さんが案内する場面。(当時、高山植物の採集などは野放し状態、まして関係お役所の採集許可証を持っていたとすればなおさら。)
「十時を過ぎてから、お宮を出て、御峰口からの急坂を降り、仙ヶ洞でゆっくり昼食をとった。先生は仙ヶ洞を見上げながら『イワヒゲがないかなあ』と独りごと。かといって知らぬふりもできず。.......第一私は仙ヶ洞に登るのは、正直いって気が進まない。...........
仙ヶ洞は、お産の神様だそうで「登ったりして穢してはならぬ」とかねがね教えられている。だからつまらぬ事をして罰でも当たって怪我などしたら、馬鹿くさいし、迷信だとしても余りよい気持ちはしない。正直少々嫌な気がした。」
この直後先生は八丁坂の降りで丸い石に蹴躓き、足首を挫く。そのご子息もその後足を挫く。清吉さんはこの一章の最後の方で、
「土足にかけて穢すことを禁じられた仙ヶ洞登にられたT先生が足首を挫き、ご令息まで足をいため、しかもご両人ともその後二、三年で亡くなられた。」
...中略...
「 『御幣担ぎ』だとは私自身思ってもいないが、どうも仙ヶ洞という所は、特別な用事でもない限り、無闇に登ってみたりはしない方が良いような気がする。」
と締めくくっています。
大黒天石像については畠中善弥さんがその著書「影鳥海」の中で一章を割いています。
「影鳥海」に掲載された大黒天石像の写真ですが、この当時、まだ表情を読み取ることが出来ます。
すでにお顔ははっきりしません。
その「影鳥海」の最初の方を紹介しておきます。(絶版で市場に出回らず、図書館で借りて読むしかないようなので)
岩窟の大黒石像
一昨年噴煙を上げた荒神岳の噴気口の直ぐ近くの岩窟内に鎮座している大黒石像がある。道者で賑わった頃は御倉大神として必ず道者の拝所の一つであったが今は訪れる人は少なく、その存在すら弁えない登山者が多い。この石仏は、高さ四十二センチ荒神岳の溶岩で刻まれたもので、数百年は経っていると言われている。それゆえに風化作用が進んで細部は削られて全体的に単純化し却って年代の深さを見せ大黒石像はいよいよ崇神像となっている。所がこの石像は幸運の神として古くから拝され、殊に秋田県矢島辺では大黒像を祀る人も多いがそのご利益にあずかった人の話では大黒様の写真を毎朝拝んでいるがそれからというものは家運頓に上がったとあらかたな霊験を語る人も居る。ほほえみの中に慈しむ大黒像の顔を見れば自ら心身も和むであろう。現在荒神岳の岩窟内に密やかに鎮座している。
この本が発行されたのは昭和51年、写真はそれからそんな昔のものではないだろうけれど、それにしてもそれから半世紀足らず、これほど風化が進んでいたとは。
信仰の山、鳥海山を調べていくと面白いですね。物見遊山の登山では得られない楽しみがあります。
仙ヶ洞登らず正解でした
鳥海山あれこれ、UP楽しみにしてます