鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の八十年前の絵葉書

2020年09月21日 | 鳥海山
 古いカラーの絵葉書があります。
 左は御田ケ原、今の御田でしょう。右は七高山。
 左の写真を見ると神事に倣い、田植をしているようです。そういう故事があるために撮影用に行ったのではないでしょうか。
 左の葉書の下の方にアルファベットで、Godengahara on Mt.Chokai,Akita と書いてあります。このころは「ごでんがはら」と呼んでいたのでしょうか。象潟口に御田ヶ原がありますが「オタガハラ」です。矢島口のこの地形は「御田」として神事が行われていたのではなかったでしょうか。矢島方面の詳しいことはわかりませんのでどなたか教えてください。ただし御田は「オダ」とは呼ばれていなかったのは確認しています。上の絵葉書の表記が間違いないなら御田の読みは「ゴデン」でしょうか。

 左、新山への登り、右は山頂御本社です。
 左は行者岳、右は中の一枚にあった差出人です。戦争中、米国との開戦一年前ですね。この時点でナチスドイツはオランダ、ベルギー、フランスに侵攻開始しています。昭和十五年(1940)ですからカラー写真ではなく着色でしょう。それにしても八十年前の葉書がこれほど色鮮やかに保管されていたとは驚きです。


 最初に見たとき、あれっ、蔵王の御釜の写真が混じっていると思いました。湖の色と、縁に緑がないせいです。着色のせいでしょうか。それにしても対岸が少々荒々しく削られているように見えます。

 手元にある鳥海山の古い写真のコレクション、すべてスキャンして整理、まとめて閲覧できるようにしようかと思います。

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