鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

続・破方口 その2

2021年08月25日 | 鳥海山

 左奥に見えるのが七高山です。自分ではなかなかここまで、今は行けないので山が大好きなBLUEさんに七高山に行く事があったら足をのばして七高山の北ピークの写真を撮ってきてください、とお願いしていたところ以下の写真を送っていただきました。

 外輪コースで新山に行く人も今は七高山経由ですがこちらのピークまで足をのばす人は滅多にいないようです。

 以前にも紹介しましたがこのピークが破方口山だと思われます。間違いはないでしょう。以前写真家のOさんから、このピークについて「矢島口の拝所で、矢島の人たちが運びあ上げた河原石が置いてあり。中には戒名が書かれたものも多くあります。」と伺ったことがあります。確かに七高山の石ではない丸い石が見られます。麓から担ぎ上げてきたのでしょう。

 さて、破方口に関して斎藤重一さんの鳥海山には何度も「破方口」が出てきます。


 朝三時、暗いうちに事業所を出た。立木に、背中のスキーをからませて難儀をしながらヘナソ沢ぞいに丸森の西をまいて、赤川の源流である北面基部をめざした。好天にめぐまれて、破方口を抜け出して新山に着いたのは昼前だった。


 扇子森で、ミヤマウスユキソウを観察、さらに.ハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、キバナノコマノツメなどの群落に目をうばわれる。七五三掛から千蛇谷に入り、すぐに左から垂れる熔岩の小尾根にとりついて、荒神岳を巻くようにして北面に出る。六月も下旬になって容岩尾根の飛び石づたいもところどころではハイマツ、ミヤマハンノキのヤブ漕ぎをしいられる。ようやく不安定な残雪をトラバースして新山につきあげる粘岩のガレ場に出ることができる。十一時、秩晴。春にくる北面基部と新山のちょうど中間点に出たことになる。岩場のまわりには、イワウメ、コメバツガザクラが密生して花盛りだ。岩に座りこんで見とれてしまう。さらに上部には淡紅色のツガザクラが咲き、思わず嘆声をあける。このツガザクラは、鳥海山では分布が狭く、花期も短い。こんなにみごとに咲く群落にはめったにお目にかかれない。

破方口まで、雪渓を登るが、上はすっかり雪が消えていちめんのガレ場になっている。浮き石に注意しながら、十三時に新山頂上に達する。


 沢の階段状の岩を、ブッシュに邪魔されないでどんどん登り、たちまちにして高度をあげる。十時三十分には、ガレ場の下部にたどりつき、浮き石に注意しながら登る。ここは、八月いっぱいくらいまでは残雪があって、ひろびろとした斜面が黒い輝石安山岩に埋まっている。ところどころに矮小なハイマツ。十一時、新山東端と破方口から垂れる山稜にとりつく。残雪期には雪と氷に頭だけしか出していない山稜は、いま見ると、小家ほどもある熔岩の堆積で、上にいくにしたがってぐんぐんと斜度をましてくる。二ヵ所ほど、滑落をさけるために慎重に行動するがあとは落石に注意して気持ちよく登っていく。それでも、小玉が、二抱えもある岩をぐらりと動かして、冷や汗をかく。破方口わきには十一時四十五分、そのまま新山に直登して、十二時、頂上。


 破方口の真下は、十一時。ピッケルが雪に刺ささらないくらい堅く凍結した斜面もでる。アイゼンの出っ歯をきかせて、新山の東端のピークをまく。直登ルートをはじめて登るという義人さんに、「お祝いだ!」と、トップを譲る六十歩ほどで新山頂上。三人で缶ビールを開けて乾杯する。


 十一時、ガレ場下部の岩場に着く。オレンジ、バナナなど口に入れる。ここから、急斜面となり.堅く水結した雪があらわれて神経を使う。十二時四十分破方口に出、七高山頂上のたくさんの登山者の目にさらされる。あちらから見ると、鋳覚でほとんどと垂直の壁を登挙しているかに見える。修三さんのビデオカメラで撮影してもらったりしながら、一時五分、新山頂上に立つ。雪のなかに缶ビールを埋めて冷やす。それを、修三さんがアイゼンの爪でぶち抜いて、あわてて乾杯する。


 斎藤さんは鳥海山北面をこの景色の所を登っていったようです。

画像は斎藤重一「鳥海山」より、「祓川から、赤川源流の上部に出る」

 これだけの記録を見ると鳥海山北面、破方口のイメージがはっきりしてきます。

 鳥海山の北面の登山記録を見ると、古絵図の破方口、破方口山の記録と一致します。

 矢島の方にとって破方口は良く知られているのではないでしょうか。

 また写真家のOさんからは「北峰に直接向かう踏み跡もあります。この北峰のさらに北側に、七高山を形成する一枚の溶岩の末端と繋がる20~30mのが断崖で尾根が途切れているところを歩く内壁に刻まれたトラバース道があった、と聞いたような微かな記憶があるのですが、怪しい記憶です。」とも伺いました。BLUEさんもこの破方口山から先に進んでみたそうですが数メートル下ったところで道がわからなくなってしまったそうです。

 かつては北面を登った登山家ではなく、導者もいたのではないでしょうか。北面を登り破方口に出たという記録は今のところ斎藤重一さんの記録以外見たことがありません。また、破方口について知っているという方は今のところあったことはありません。


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