鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

シーボルトと鳥海山

2023年02月24日 | 鳥海山

 幕末に日本にやってきた西洋人は「わが国では登山は金持ちのスポーツなのになぜか日本では貧乏人が山に登る」と見たそうです。これは八っあん、熊さんのお山詣りのようなものを指しているのですがはたして今はどうかといえば、お金のない人は山を楽しむことは出来なくなりつつあるようです。装備もそうですし、ガソリンの高騰は気軽に出かけることが出来なくなりました。そんなのはお前だけだ、といわれそうですがネ。

 谷文晁 日本名山圖繪に見る鳥海山です。庄内から見た鳥海山なのに由利郡?と思うでしょうが この当時由利郡は羽後ではなく出羽の所属になっていたので鳥海山在出羽州由利郡となっています。シーボルトのNIPPONに鳥海山の姿がありますが画像を所有していないのでよそのHPの画像を写してまでの引用は控えます。検索すれば出てきます。

 

 シーボルトは富士山の高さに著しく興味を抱き、弟子に計測させたことは有名ですが、その前にどこから聞いたものか、「出羽国鳥海山が最も高い出羽国の鳥海山がもっと高いと思われるので、富士山は日本でいちばん高い山ではない」「白山と木曽の御岳山も同様にたいへん高いということである」と残しています。

高橋に對し日本諸高山(鳥海山 白山 御嶽)の測量を慫慂せるなり

日本之高山殊更デワ出羽之チョウカサン鳥海山にて、チョウカの次にイを漏らせしかハクサン加賀の白山のことなるべし、木曾のオニタケ御嶽のことにて、ニはンの誤其他諸山之高低測見候様申遣候趣

 このようにありますが、鳥海山が日本で一番高い山であるという情報はいつ誰がどこから発したものであるか、幕末にはそう言われていたのかその根拠となる資料を見たいものです。鳥海山頂上に初めて登ったのはどの時代のどなただったのでしょう。新山ではないですよ。


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