鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

大雪路小雪路莇坂(薊坂)

2021年10月24日 | 鳥海山

 河原宿の清流に飛び込んだ後「針の凝れる如き素麺玉霰の如き白玉」を食したら大雪路目指して歩き始めます。大雪路では拝所大雪路大神を拝しこれから登りです。


大雪路小雪路おほゆきじこゆきじ千古せんこ雪皚々ゆきがいゞとして宛鱗狀さながらりんじやう鬼斧きふを以てけずれるが如く三伏さんぷく炎暑尙且凜冽えんしよなほかつりんれつとして悚然しようぜんたらしむ而して此雪路には濃霧細雨のうむさいむ形狀かたち「ゑもり」に似たるもの所々に匍匐ほふくぞくんで「りうのあらし」といふ人爭ふて之を得んと慾す蓋し婦人みち靈藥くすりなりと莇坂あざみさかは附近にあざみ繁茂はんもせるにりて此名あり山中屈指ゆびなり嶮峻けんしゆんにして道細みちほそ岩角銳がんかくするど羊腸崎嶇ようちやうきく甲脚乙首相接こうきやくおつしゆあひせつし一步は一步より急なり〇仙ヶ洞せんがほら獅子ヶ窟しゝがくつほとりをよぎりて〇御濱おはまに達す


 羊腸崎嶇、甲脚乙首相接し、なんて言葉は今ではほぼ見かけないと思いますが意味は分かると思います。乙首相しゅしょうではありませんのでお間違いないように。その前の婦人血の道の霊薬はお調べください。「龍のあらし子」は橋本賢助の「鳥海登山案内」では「箱根山椒魚」であると書かれていますがクロサンショウウオかどうかそちらは生物に詳しい方にお任せします。ジオサイトでは鳥海湖に棲息していると紹介されていますが見たことはありません。七五三掛と外輪コースの分岐点の御苗代にもかつては見られたということです。

 昔は山椒魚を捕ったりしたの橋本賢助の「鳥海登山案内」にあるように石楠花と這松を持ち帰り悪退散のお守りにしたり、或は御浜の小屋ではずっと昔は囲炉裏で這松を焼べていたそうです。河原宿の流れに飛込んだり、それは今やったら駄目ですけどね。昔はそれが普通だったということです。「○仙ヶ洞○獅子ヶ窟の邊りを過り」それから御浜に向かっていますのでなんだか順路が???です。獅子ヶ窟は坂の上ですし、仙ヶ洞は薊坂 入口より分かれて文殊嶽方向へ向かう途中ですから仙ヶ洞を見ながらということかもしれません。それとも下に引いた橋本賢助の鳥海登山案内にある「鳥の海御濱の神と云ふ拜所」に達す、ということでしょうか。その後御濱について触れていますが(次に書きます)それは伏拝から鳥海湖をみて鳥の海の事を説明しているのかもしれません。御本社が目的なのにここからいったん御濱迄行くことはしないでしょうから。

 1976年の山と高原地図ですので仙ヶ洞を経由して文殊嶽へ向かう道が載っていますが今も破線で載っていると思います。

 仙ヶ洞については以前の記事をご覧ください。

 橋本賢助の鳥海登山案内ではここの所以下のようになっています。


小屋の後から右の方に小徑があり、おつぼ(庭園の意)に行く事になるが、此處は自然に庭園の様になつて居て「白花シャクナゲ」が澤山咲いてゐる、道者は之を「モノタチ」の花と云ひ、鳥海松「本名ハヒマツ」と共に持つて歸りお宮から戴いた悪虫退散のお札を附けて田の水口に挿して置く、すると稲虫もつかず頗る豊作をすると云って居る、之も鳥海山が五穀の神だから起つた習慣であらう。

さて此の雪路の上で、時々「龍のあらしこ」と云ふものを發見する事がある、即ち ! 「箱根さんせううを」の事で、一見兩棲類の井守に似た動物であるが、古來婦人血の道の霊薬と云はれて居る。

【薊 坂】 (あざみさか)山路八里。附近に「ナンブアザミや「ミネアザミ」が澤山生へて居るので此名がある。大正元年道路修繕したので、今では段々になつてゐるから、大した難儀な事はないが、當山第一の嶮所だけ、道の勾配は中々急だ、これでは昔の人が「油絞坂」等と云ったのも、尤の事である。坂の盡きんとする所に獅子ヶ窟と云ふ大きな岩が一つある、形が丁度獅子の首に似てゐるからこの名を得たもので、今でも拜所一つになつてゐる。(獅子ヶ窟の大神と云ふ)坂の絶頂には、鳥の海御濱の神と云ふ拜所があつて、眞直に鳥の海湖を望むやうになつてゐる、之から先は新火山の外輪山で七五三連嶺山路にすると御本社迄八丁の所である。


 大正の道路修繕以前は相当に急だったのでしょう。大平からの傳石坂も以前はルートが少々違い今以上に急坂だったといいますし、横堂を抜けた月光坂もかつてはもう少し左の急登だったそうです。


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