鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

全けき鳥海山はかくのごとからくれなゐの夕ばえのなか

2019年12月31日 | 鳥海山
冒頭の「全けき」、「まったけき」ではなく、「またけき」と読んでください。
 高島俊男さんの「お言葉ですが…」にこの歌を紹介したところがあります。
以下

 北杜夫さんーいうまでもないことながら、茂吉の子息である。本名斎藤宗吉ーの茂吉連作第一冊『青年茂吉』にこんな話が出ている。
 -阿川弘之さんは軍歌を聞くと泣く、といううわさをかねてより聞いていたので、阿川さんが北さん宅へ遊びに来た時、この半分恐ろしい先輩が泣くところを見てやろうと、北さんはせっせと軍歌をうたった。ところが阿川さんはちっとも泣いてくれない。がっかりして、「一体、どうしたらあなたは泣くのですか」と問うと、「茂吉の歌を聞けばなく」という答えである。そこで北さんは『小園』の歌などをいくつか朗誦したが、それでも泣かない。しまいに阿川さんは「鳥海山…という歌を聞けばなくかもしれん」と言ったが、北さんはあいにくその歌をおぼえていなかった。(不埒なムスコですね)。
 そのあと阿川さんは北家の玄関を出て、SSの歌などを勇ましく歌ったので、今夜はもう駄目だと北さんが諦めていると、阿川さんは、
  全けき鳥海山はかくのごとからくれなゐの夕ばえのなか
とつぶやくように言い、そそくさと車に乗って帰ってしまった。
 翌日北さんが阿川夫人に電話をかけて昨夜のことをぼやくと、夫人は、「でも、鳥海山…とうたったあと、少し泣いていたようでした」とこたえた。-そういう話である。

…中略…

 日本はほろびた。茂吉の愛した日本はもうどこにもない。しかし見よ、真紅の夕映えの中に、鳥海山はその完璧の姿を現じている。その根をささえていた日本はもうないのに ー。
 不思議な光景である。虚空にどっしりとうかんでいる山。もとより現実の風景ではない。これは、数千年来、この世にいっさいの望みを絶った人たちが、幻のなかにありありとみとめて手をさしのべてきた、浄土の山である。だからかくも美しく、かくも神々しいのだ。
 冒頭「またけき」の字足らず四音が、この歌の常ならぬ荘厳を予告する。そして「からくれなゐ」。これは、茂吉にここでこういうふうに使ってもらうために、千年前の日本人が作っておいてくれたことばだ。千年間出番を待っていたことばが、いま、「全けき鳥海山はかくのごと」を受けて、「からくれなゐの夕ばえのなか」と姿をあらわしたのである。
 亡国の中の荘厳、そしてこの世ならぬ美の極致、-阿川さんが泣くのも無理はない。
以上
 だいぶ引用が長くなりました。
 おそらく高島さんも阿川さんも鳥海山は実際目にしたことはないでしょう。山が鳥海山であるのは茂吉の都合で、茂吉が別の場所で生まれ別の場所に疎開していれば鳥海山でなくとも構わないのです。しかしながら、鳥海山を愛する者にとってこれほど素敵な紹介の文はないですね。
 ついでにいえば、山に対する畏れ、敬い、山を尊ぶ、それらの感情を持って山に接するということが大事だと思うのです。


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