GJ 研究所 

AIの時代が来ている ヒトが取り残されている これはいい世界なか 中国とアメリカの独走を阻止できるのか

貨幣博物館から見た日本人 2

2015-05-25 01:52:25 | 日記
       
 漁村と農村の関係が、交換のシステムの発達を物語っている、かつては、農村のコメと漁村のサカナを交換した、そこに、さまざまのドラマとトラブルが発生した。

 コメとサカナを交換するが、ゼッタイに婚姻はしない、そんなコトがあった、今でも、インドネシアのある島では、この交換スタイルが継続している、かつてのニッポンの農村では、寺にコメを奉納していた、正月には、袋に入ったコメかモチを持ってきた、だから、須弥壇の前には、コメやモチが山積になった、あれは、どうしたんだろう、米屋で現金と交換したのだろうか。

 江戸時代は農本主義で、大名の規模は何万石何十万石で表された、その国の経済は、このコメを換金することが必要で、そのため、商人の影響力が大きくならざるを得なかった。

 1730年に大坂の堂島にコメ会所が設置され、ここで、コメの値段が決定した、その価格は、旗(はた)信号で、日本全国に伝達された、光通信ではなく旗通信、なかなかシャレている。

貨幣博物館から見た日本人 1

2015-05-22 10:31:54 | 日記
        
 日本橋に日本の国立銀行があるが、その近くの貨幣博物館、これが、知る人ぞ知る、なかなかのスグレモノ、なにしろ「おかね」、ヒトに例えれば「絶世の美女」、もっとも、多くの人々には、思い通りにならない意地の悪いすれっからしの悪女。
         
 交換手段としての通貨が、交換量の50%を越えたら、もう、近代に近いのではなかろうか、交換のツールとしては、
 1、コメ
 2、ウシ・ウマ・ヒツジ
 3、塩
 4.チーズ・・・

 4~50年前ぐらいは、この国では、オコメが使われていた、オコメがオカネの代わり、オコメでモノが買えた、では、サケはどうか、おサケには違った目的があり、いっしょに酒を酌み交わすことは、共同体の一員として認められたことであり、だから、お酒がIDカード・戸籍証明書みたいなもの、神社に酒樽が飾ってあるのは、その名残りだろう。

ドストエフスキイーとNihilism 終

2015-05-20 10:00:18 | 日記
           
 ドストエフスキイーは近代世界の本質をニヒリズムと見て、単純に素直に神を信仰するギリシャ正教の世界にもどっていったのだが、これも、ひとつの答えであろうか。

 近代の申し子・ラスコールニコフは、あらゆる価値を疑い・あらゆる正義を疑う、そこには不毛と虚無の世界が広がっていた、どんな理由・どんな道徳も化学分解してしまう、その日の食べ物にも困る若者と強欲な金貸しの老婆、みんなから嫌われている、その老婆の金があれば学校にいける・勉強が続けられる、そこで、この若者は殺人を決意する、だから、これは近代合理主義の殺人でもある、これに対して、永遠の少女・ソーニャーは、
 「いけません そんなことを考えてはいけません」
 「どうして」
 「エスさまが おっしゃているからです」

 子供のように純真な信仰、シベリアに流される若者に、ソーニャがついていく、そして、流刑地の荒くれオトコたちが、このあわれな少女を、
 「ソーニャーのおっかさん」

 やさしい無私のこころが、地の果ての犯罪者たちを癒し救ったのだ。

 おずおずとさしだすソーニャの手を、近代世界の申し子が、そっと握り返す、そこで、この物語りが終わる、だから、ロシアの精神世界は、ヨーロッパよりも深いのかもしれない。

ドストエフスキイーとNihilism 6

2015-05-19 05:59:13 | 日記
        
 ドストエフスキーは近代世界の本質は、なにも信じることのできない不毛の世界、これは、当たっているのか。

 近代は人間中心で、その人間にとってイチバン大切なのは日々の生活、まず自分、自己保存・自己拡大の欲求が繁栄する、そして、本質的には、これをコントロールする原理がない、だから、これでは社会の運営ができない、そこで、法律によって強制的におさえようとする、だが、近代世界の人々は、だれ一人として、こころのそこから納得してはいない、
 「あいつは うまくやった」

 法体系のうしろに絶対的価値・絶対的権威の欠落していることを見透かされているのだ。

 だから、近代とは疑心暗鬼の不毛の世界で、それに気づいたドストエフスキイーは、元のギリシャ正教の世界にもどっていった、この辺が、ロシアのすごいところではあるまいか、近代をジャンプしたのだ。

ドストエフスキイーとNihilism 5

2015-05-18 05:05:15 | 日記
            
 ドストエフスキーは、
 「もし 神があるならば 神がすべてである」
 神がいなければ、
 「すべては ゆるされている」      
 
 1人殺せば殺人だが、100万人を殺すと英雄になるケースがある、だから、ラスコールニコフの犯罪は近代世界の犯罪になろうか、さらに「すべては ゆるされている」、これは本質的にはルールがないことで、だから、そこにあるのは「自分勝手」、わがままが近代のトレンドになる、もちろん、これでいいわけがない、ケータイ・ピコピコ、スマホをスルスル、突然立ち止まり、ゲームに熱中、電車のなかでは「マツイク マツイク」

 ドストの小説の最後に、アジアの一画である種のスピロヘーターが発生、これに罹るとなにも信じず、自分だけが大切で、隣人には無関心、国や社会は尊重しない・・・これが、近代の本質だというのだ。