ドストエフスキーは近代世界の本質は、なにも信じることのできない不毛の世界、これは、当たっているのか。
近代は人間中心で、その人間にとってイチバン大切なのは日々の生活、まず自分、自己保存・自己拡大の欲求が繁栄する、そして、本質的には、これをコントロールする原理がない、だから、これでは社会の運営ができない、そこで、法律によって強制的におさえようとする、だが、近代世界の人々は、だれ一人として、こころのそこから納得してはいない、
「あいつは うまくやった」
法体系のうしろに絶対的価値・絶対的権威の欠落していることを見透かされているのだ。
だから、近代とは疑心暗鬼の不毛の世界で、それに気づいたドストエフスキイーは、元のギリシャ正教の世界にもどっていった、この辺が、ロシアのすごいところではあるまいか、近代をジャンプしたのだ。
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