最近、またドストエフスキーが注目されている、ドストは、この問題を徹底的に考え抜いた作家だった、彼は、ヨーロッパの思想家が踏みこまない地点にまで踏みこんでいた。
すべてが神のはからいであったとする、だから、大人に不合理な災難がふりかかるのは、まあー 納得しよう、それは、大人というものは、多かれ少なかれ悪いことをしているからだ、
1、ウソをつきました
2、オレはウソなんかついたことがない
どちらがウソつきかはわかりますね、特に女性というもの、「わたしは おなかの中まで真っ白」、ウソさんが怒った。
「おれは そんなにひどくはない」
大人はしかたがない、ところが子供はどうだろう、なんの罪もない子供が、なぜ殺されなければならないのか、ロシアの真冬、サデスチックな父親にいじめられ、たたかれ、戸外に放り出される、
「神ちゃま」
なせ、神は答えないのか、それも試練というのか、ドの疑いは深い、キリスト教世界を根底からひっくり返す疑問になった。