GJ 研究所 

AIの時代が来ている ヒトが取り残されている これはいい世界なか 中国とアメリカの独走を阻止できるのか

ドストエフスキイーとNihilism 4

2015-05-16 08:12:47 | 日記
      
 ロシアとトルコは仲が悪かった、そして、日本とトルコは仲がいい、明治時代、難破したトルコの軍艦の船員を助けたことがあり、このエピソードはトルコの教科書に載っていて、トルコの国民のみんなが知っているらしい、もうひとつ、日本が人気なのは、南下するロシアをはねのけたからで、中東の国の大使が、日本に赴任すると。真っ先に、原宿の東郷神社を参拝した。

 それだけ、ロシアの圧力が強力だった、このケースはロシアが悪役なのだが、ドストの小説のなかでは、その反対でトルコの兵士の残虐さが記されている、それはキャッキャッと笑っているロシア人の赤ん坊を空中に放り投げ、それを、トルコの兵士が、
 「銃剣の先で受け止める」

 こんなことができるのは、
 「あの民族が 甘いもの好きだかだ」

 プクプクと太った善良そうな甘いもん好きが、意外と意地の悪い人のケースがある。
 

ドストエフスキイーとNihilism 3

2015-05-16 08:12:06 | 日記
         
 帝政ロシアでは学問が禁じられていたが、文学だけはOK、そこで、一流の頭脳が文学の世界になだれこんだ、そして、小説という形式のなかに、哲学・神学・民俗学・歴史学が押しこめられた。

 ドストの小説には、当時の心理学よりも徹底した心理分析が繰り広げられている、わざとドアに指をはさむシーン、これはマゾヒズムか。また、あのトルコ兵はサデズムだったのだろうか。

 あまいもん好きな人間の残虐さについては、どんなメカニズムになっているのか、これは、解明されているんだろうか。

 『罪と罰』のなかで、A.スミスの経済学を批判している箇所がある、
 「経済行為を自由にしたら さらに放任してしまったら とんでもない事態になるんだがね」

 これは、リーマン・ショックの予言だったのか。

ドストエフスキイーとNihilism 2

2015-05-14 10:12:40 | 日記
      
 最近、またドストエフスキーが注目されている、ドストは、この問題を徹底的に考え抜いた作家だった、彼は、ヨーロッパの思想家が踏みこまない地点にまで踏みこんでいた。

 すべてが神のはからいであったとする、だから、大人に不合理な災難がふりかかるのは、まあー 納得しよう、それは、大人というものは、多かれ少なかれ悪いことをしているからだ、
 1、ウソをつきました
 2、オレはウソなんかついたことがない

 どちらがウソつきかはわかりますね、特に女性というもの、「わたしは おなかの中まで真っ白」、ウソさんが怒った。
 「おれは そんなにひどくはない」

 大人はしかたがない、ところが子供はどうだろう、なんの罪もない子供が、なぜ殺されなければならないのか、ロシアの真冬、サデスチックな父親にいじめられ、たたかれ、戸外に放り出される、
 「神ちゃま」
 
 なせ、神は答えないのか、それも試練というのか、ドの疑いは深い、キリスト教世界を根底からひっくり返す疑問になった。

ドストエフスキイーとNihilism 1

2015-05-12 09:51:48 | 日記
           
 ヨーロッパの中世社会はキリスト教が絶対で、
 「すべては 神による」

 ǍからZまで神のはからい、だから、神の学問・神学がイチバン、神学が学問の王者、ところが、近代は人間の時代、人間の衣食住を扱う経済学が躍り出る、イスラム教は、この流れを冷ややかにながめている、
 「なんだかんだといっても 物質と欲望の世界ではないか」

 聖なる次元ではないというのだ、キリスト教の人々にとっては、イスラームが煙ったくてしかたがない、それに良く似た構造、兄弟みたいなものだ。

 ともあれ、ヨーロッパの中世は神が中心で、すべての現象は神が起こしていると考えられた、箱根の地震・富士山の大噴火・第三次大戦・リーマンショック・エボラ出血熱・・・個人サイドでは病気・事故・不幸そし「死」、すべてが神によるのだ、これらのコトを通して信仰を貫けば、それを神は見ていて、最後の審判で評価して永遠に天国で生活することが可能になる、まあー タイヘンな教えだ、
 「神のおこないは 人知をこえている」
 そこで、敬虔なクリスチャンは、
 「不合理ゆえに 我信ず」

 これについていけなくなったのが近代、近代の世界、トーゼンだろうか。

近代の個人と社会のNihilism

2015-05-02 10:08:33 | 日記
           
 近代はヨーロッパの発明で、個人が成立したのだが、「個人の自由と権利」、その影の部分には無知であったようだ。

 光には影がつきまとうように、それが、個人と社会のnihilism、その影響は徐々に強まり、21世紀の世界に深刻な影響をあたえていないか。

 自分の中に思考と行動の出発点を見出そうとすると、それは化学分解を起こして原因と理由が消滅してしまう、最近、40代50代の引きこもりが増えている、彼らは、人生に社会に価値を見いだせないようだ。

 社会については、近代は自由な経済活動をベースにしているから、本質的に、それを規制することができない、現金や資産を担保に株を買い、その株券を担保に再投資、右肩あがりならいいが、一旦、下降になったら、さあー タイヘン、莫大な負債が生じる、天文学的な借金になる、まだ、リーマン・ショックから立ち直れていないようだ。

 近代という世界には、個人と社会に、nihilismという影がある。