ドストエフスキイーは近代世界の本質をニヒリズムと見て、単純に素直に神を信仰するギリシャ正教の世界にもどっていったのだが、これも、ひとつの答えであろうか。
近代の申し子・ラスコールニコフは、あらゆる価値を疑い・あらゆる正義を疑う、そこには不毛と虚無の世界が広がっていた、どんな理由・どんな道徳も化学分解してしまう、その日の食べ物にも困る若者と強欲な金貸しの老婆、みんなから嫌われている、その老婆の金があれば学校にいける・勉強が続けられる、そこで、この若者は殺人を決意する、だから、これは近代合理主義の殺人でもある、これに対して、永遠の少女・ソーニャーは、
「いけません そんなことを考えてはいけません」
「どうして」
「エスさまが おっしゃているからです」
子供のように純真な信仰、シベリアに流される若者に、ソーニャがついていく、そして、流刑地の荒くれオトコたちが、このあわれな少女を、
「ソーニャーのおっかさん」
やさしい無私のこころが、地の果ての犯罪者たちを癒し救ったのだ。
おずおずとさしだすソーニャの手を、近代世界の申し子が、そっと握り返す、そこで、この物語りが終わる、だから、ロシアの精神世界は、ヨーロッパよりも深いのかもしれない。