GJ 研究所 

AIの時代が来ている ヒトが取り残されている これはいい世界なか 中国とアメリカの独走を阻止できるのか

縄文のクッキー 下

2013-01-08 16:31:11 | 日記
                                     
 山形県押出遺跡から、クッキー状炭化物が出土、これを分析すると、木の実を粉にし、つなぎは動物の血と鳥のタマゴ、さらに動物の肉を加え、塩で味付けをして、さらに、野生の酵母で発酵させてから焼いていた。

 このクッキーは、縄文の前期のものであるが、縄文の人々が大変にグルメであったことが分かる。

 このケースの縄文の前期は、BC4000~BC3000年ごろになる、今から6000年~5000年前ということになる。

 なお、長岡市立科学博物館には、石皿に入ったエゴマのクッキーがあった、左右が11,7センチ、縄文の中期である。

縄文のクッキー 上

2013-01-08 16:17:46 | 日記
                                     
 縄文の中期から石皿が増加する、中期は、BC3000~BC2000年頃である。

 「石皿」は、楕円形の石の中央をくぼませたもので、木の実を叩いたり、擂って粉にするもので、ドングリなどの殻の固い木の実を、石の上におき、石で叩いて殻を割り、取り出した実を石皿で粉にして、パンやダンゴにしたらしい。

 ドングリは、シイ類をのぞくとアクがあるので、水にさらしてアクぬきをする、全国の縄文遺跡からパン状の炭化物が出土している。

 井戸尻考古館には、ハシバミ・ササの実が混じったパン状の黒い炭化物が展示されていた。

 縄文中期のパンの中には、長さが十数センチで、パンの表裏に葉脈の残っているものがある、広葉樹の葉で包んで蒸し焼きにしたものか、この大きさなら、このパン一個で大人一食分だったようだ  ― 藤森栄一 「縄文の世界」 ―    

青い瞳の縄文人 下

2013-01-08 15:55:00 | 日記
                                    
 現在の人類学では、縄文時代の人々は、古いタイプのモンゴロイドという説が有力だろう、これは、数千体の人骨を調査した結果で、「古モンゴロイド」は、四角い顔・濃いヒゲ・背は低く・がっしりとした骨格で、現在のアイヌの人々に似ている。

 また、縄文の後は、弥生の時代になるのだが、こちらは、色が白く・面長で・比較的に長身、このふたつが混血して現在の日本人が成立したと考えられていた、だが、これだけでは東北地方の青い瞳の日本人の説明がつかない、15.2%が青い瞳というデーターがあった、これを、どう考えたらいいのか。

 東大の医科学研究所のグループがポリオーマウィルス(JCV)の研究で、東北地方の人々の一部が、白人と共通の先祖を持つという研究を発表している。

 かなりの都市から、EU型の保有者が出たのです、「EU型」とはヨーロッパ型のことです、だが、この研究、人類学の連中からは、あまり評価されていないようで、取り上げられることが少ない、残念なことだ。

青い瞳の縄文人 上

2013-01-08 15:50:00 | 日記
                                    
 日本人について人類学の結論は次のようになる、それは、
 「縄文人は古いタイプのモンゴロイドで、弥生人は新しいタイプのモンゴロイド、このふたつが混血して日本人となり、その混血は、現在も進行している」

 だが、これ以外の可能性はないのだろうか。

 東北大学で助教授をしていた山浦玄嗣(はるつぐ)さんは、宮城県黒川郡の病院で海のように青い瞳をした若者に出会う、山浦さん、先祖か親類にヨーロッパ人がいるのですか、すると、
 「私は、代々、この土地で生活してきた家系の一員です」
 「私の親類には、私のように青い瞳の者がたくさんいます」

 驚いた山浦さん、その付近の424名を調査する、その結果、なんと15.4% が程度の差こそあれ青い瞳だったのです ― 『ケセン語入門』 ―   

 ところで16世紀ごろに書かれた『人国記』という本には、この地方の人々について、
 「この国の人は、日の本の故にや、色白くして眼(まなこ)の色青きこと多し」

 これが事実とするならば、この地方に青い瞳の人々がいるのは数百年の出来事であることになる、さらに、あるいは、古くから存在していたと考えられることになるのかもしれない、どうだろう。

否定と肯定 下

2013-01-08 15:44:06 | 日記
                                      
 もう一人、縄文の文化を高く評価する人がいました、岡本太郎は、
 「私は10年以上フランスで暮らし、日本を再発見しようと帰ってきたが、京都を見てがっかりした」

 ピカソのキュビズムを見てきた岡本は京都に失望する、それは、京都の文化は形式と伝統にしばられ、生き生きとした個人がいなかったからで、生き生きした個人がいなければ、生き生きした芸術ができない。

 ところが、
 「たまたま、縄文の土器を見ました、そこで、初めて、私のニッポンを発見しました」
 縄文の土偶を見る、
 「全身に、ビリビリと戦慄的な感動を受けたのです」
 「これこそが、本当の日本だ、わたしの求めていたものだ」

 「本当の日本」は、奈良や京都にあるのではなく、八ヶ岳の山麓にあった、中学生や高校生が修学旅行で奈良や京都に行くのではなく、夏の八ヶ岳で一週間二週間のキャンプをする、そんな風にならないものか。

 高原の光と風が、人生にとって、本当に大切なものは何かを教えてくれる、宇宙の神秘と秘密を囁いてくれることでしょう。