オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

遠江国・古城の旅 武田流の築城術で築かれた諏訪原城

2015年01月15日 | 静岡
新年一番の古城訪問は東海道、金谷駅近くの諏訪原城です。諏訪原城は当時は南北に流れる大井川と東西に通る東海道が交わる交通の要衝にありました。1573年に武田勝頼が高天神城を攻略するための拠点として築城されたもので、三方を断崖に囲まれ、残る一方に空堀を配し、馬出の前面に三日月型の堀を設け典型的な武田流築城術が見られる城です。武田家滅亡後は徳川の城となって牧野城と名前を変え城郭も拡張されたが1590年ころに廃城となりました。山城であるために城の遺構はよく残って、現在も発掘作業が続いています。

東海道線の金谷駅で下車。私は2013年12月に大井川鉄道に乗るためにここ金谷駅で乗り換えました。当時私は乗り鉄で城には関心はあるがそれほどではありませんでした。今は「乗り鉄」から鉄道で城をめぐる「城鉄」へと方向転換しています。

駅を出て旧東海道へと向かいます。金谷駅近くの陸橋から遠くに富士山が見えます。


旧東海道、金谷坂石畳の入口


鶏頭塚

いよいよ石畳です。ほとんどが丸石です。平成3年に石畳の復元運動が行われ、現在の姿になりました。

石畳の途中のすべらず地蔵尊。石畳の石は雨の日でもすべらない石だったためにすべらず地蔵尊がつくられました。合格祈願です。

石畳の下り口

諏訪原城の入口、大手側です。

何ヶ所かで発掘作業が行われています。

大手南外堀

大手の空堀

大手付近の茶畑


空堀


二の曲輪東内馬出あたりは立入禁止でした。

三の丸跡


二の曲輪の空堀

二の曲輪。けっこう広いです。大手からは二の曲輪を経て本曲輪に至ります。

五号堀


六号堀

本丸馬出口

本丸跡

天守台地。諏訪原城には天守はなく、2層櫓だったようです。

搦手口


本曲輪から大井川方向の眺望。本曲輪の北・東・南側は崖です。当時は本曲輪のもっと近くを大井川が流れていたようです。

本曲輪跡の案内板



本曲輪の中央付近に残る石垣


カンカン井戸

再び二の曲輪を通って大手へ戻ります。



諏訪神社。武田氏の守り神、諏訪神社を諏訪から分祀し、城名の由来となった。

大手馬出の三日月堀。馬出の前に三日月型の空堀を配するのが武田流築城の特徴です。


大手口

十二号堀

諏訪原城の案内板。諏訪原城は別名で扇城ともいわれ、扇の要に本曲輪があり、本曲輪の北・東・南は崖、西方に二の曲輪が扇状に広がっています。三日月堀が残っているのもうれしい。心に残る山城です。















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