オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

新春・駿河の旅 沼津港、久能山東照宮、三保の松原をゆく

2015年01月09日 | 静岡
新春一番の旅は駿河路です。沼津港、久能山東照宮、三保の松原を旅してきました。まずは駿河路のとば口、沼津で沼津港をぶらぶら。


沼津港飲食店街の中心地

最近話題の沼津港深海水族館。「生きている化石」シーラカンスが冷凍と剥製の状態で展示されています。この日は休日とあって行列ができていました。行列は苦手なのでパス。

駿河湾のクルーズ船。こちらはすいていたので乗船しました。
沼津港の入り口にある水門「びゅうお」。上部は展望台になっています。ロンドンのタワー・ブリッジみないた形状ですが、ロンドンは橋であり、こちらは水門です。「びゅうお」というネーミングはあってもなくてもどうでもいい。

駿河路の旅2日目は久能山東照宮です。昔このあたりは車で来たことはありますが、久能山に興味がなく素通りでした。久能山は車以外ではどうにも交通の便がよくない。海側からも日本平側もバスの本数がきわめて少ないのです。


JR清水駅から数少ないバスに乗って久能山下へきました。そこから約1100段の石段をのぼって東照宮へいきます。

眼下に石垣イチゴのビニルハウスが見えます。


久能山東照宮は徳川家康の墓所としてあまりにも有名ですが、久能山の歴史の説明を見て意外なことがわかりました。
久能山には飛鳥時代、600年ころに久能寺が建立され、1225年ころに山火事で寺院は焼失。1568年に武田信玄が久能山の地形を生かして久能城を築城しました。武田滅亡後は久能山は徳川の領地となり、家康の死後、家康の遺言によって家康の墓所、東照宮が造営されました。
城好きとしては貴重な史実を知ることができ、大きな成果です。

久能山は四方を断崖絶壁に囲まれています。

楼門


五重塔跡

奉納された酒樽。酒樽の名前に注目。右側上より「大権現」「秀忠」「家光」。「将軍」という酒もあります。


家康の墓所

駿府城から移植されたソテツの木

日枝神社


日本平ロープウェーの乗り場。東照宮のガイド氏によるとロープウェーの乗り場の近くに武田氏の久能城の石垣が残っているそうです。


ロープウェー日本平駅

童謡「赤い靴」の碑。「赤い靴」といえば横浜ですが、赤い靴の女の子は清水出身だそうです。貧しかった赤い靴の母と娘は北海道にわたり、娘は函館で知り合ったアメリカ人宣教師の養女となって横浜から船でアメリカへ行ったという物語ですが、養女も渡米も嘘だったというのが近年では有力のようです。「赤い靴」の碑は横浜、日本平、北海道の函館、小樽、留寿都、青森の鰺ヶ沢にあるそうです。

日本平山頂から見える富士山

日本平山頂


山頂駅の売店

東照宮博物館

家康が使用した時計


石垣イチゴのビニルハウスが広がります。石垣イチゴとはイチゴの品種ではなく、イチゴの栽培法の名前です。石垣の保熱作用を活かしてイチゴを促成栽培し早春から出荷できるのが石垣イチゴの特徴です。




久能山の城山

久能山下の商店街。私は久能山下から石段をのぼり東照宮を見てロープウェーで日本平へ行きました。1100段の石段はきついので日本平からロープウェーでくだってくる観光客の方が多いです。ではなぜ久能山下側にロープウェーをつくらないのか。ロープウェーをつくれないくらい傾斜がきついのでしょう。武田信玄がこの地に築城した理由がわかります。また家康がこの地を墓所に指定した理由も納得です。


久能山から三保の松原へ移動しました。三保の松原の入口にある御穂(みほ)神社

御穂神社から三保の松原まで「神の道」という松並木が続きます。

三保の松原の商店街

静岡名物の安倍川もち

羽車神社

新・羽衣の松。この松は三代目だそうです。二代目は立ち枯れのため2013年に伐採されました。





富士山5連発

最後は日本最古のコンクリート製の灯台、清水灯台です。









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