日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

佐倉城の巻 江戸城北東の防御を担い、戦前は連隊本部、現在は国立歴博となる

2015-03-07 18:20:43 | 千葉
厳冬期、寒気が緩んだ一日を選んで佐倉城へいきました。

京成佐倉駅です。京成とJRの駅は歩けば30分以上も離れています。佐倉城の北端に京成佐倉駅、南端の高崎川の先にJR佐倉駅があります。JRと私鉄がこれほど離れている町は珍しいですね。

佐倉城跡へとつながる旧成田街道

佐倉城の濠

土塁


国立歴史民俗博物館、通称・歴博の入口です。
佐倉城は明治から終戦まで陸軍歩兵第二連隊、その後は第五七連隊、通称佐倉連隊本部があったために佐倉城跡と連隊の跡が交じり合っています。1983年に国立歴史民俗博物館が開設されました。

愛宕坂。城跡らしくゆるかな登り坂です。

佐倉連隊の衛兵所跡

博物館のあたりは佐倉城の侍屋敷跡(椎木曲輪)跡です。


歴博の正面入口。都内の博物館と違って長いアプローチがあってゆったりとしています。

戦国末期に大量に生産された各種火縄銃

大阪夏の陣の時の大坂城を描いた絵。豊臣時代の大坂城を知る上では最も貴重な歴史史料です。

本物の三八式歩兵銃です。ボルトアクション式、手動5連発、重量は3.7kgです。持ち上げてみましたが私には重すぎます。行軍はとても無理ですね。

歴史博物館の見学を終え、いよいよ佐倉城跡の探訪です。
佐倉城は戦国時代に千葉氏が城の原型を築き、江戸時代初期に徳川譜代大名の土井利勝が本格的に築城をしました。北側の印旛沼、西の鹿島川、南の高崎川に挟まれた鹿島台と呼ばれる台地に造られた土塁の城です。

博物館の裏手の梅の木はもうじき咲きそうです。

発掘・整備された馬出し跡

佐倉連隊の便所跡

佐倉城の礎石。発掘調査により佐倉連隊の営舎の礎石に転用されていたことがわかりました。

空濠

一の門跡

本丸周囲の土塁

銅櫓の跡

土塁から見た鹿島川

同じく高崎川

連隊時代のモッコクの木

台所門跡(不明門)


出丸と濠

濠と土塁の間にあって防護の拠点となる帯状の曲輪、帯曲輪

出丸付近の門。城門ではなく屋敷の門のようです。

出丸付近



佐倉陸軍病院跡

「常盤木や冬されまさる城の跡」正岡子規の句碑

二の丸付近

幕末の佐倉藩主、堀田正睦像。幕府老中として日米修好通商条約締結に向けて朝廷との交渉を担いました。

日米修好通商条約交渉時のアメリカ総領事、タウンゼント・ハリスの像。ハリスは佐倉とは無関係ですが。

茶室三遥亭


三の門跡

佐倉城址公園の看板

三の門付近

大手門通り。佐倉連隊の時代に物資輸送のため直線道路になりました。

歴史民俗博物館くらしの植物苑

大手門跡

藩校成徳書院跡

済生堂浜野病院跡

佐倉養生所跡

佐倉順天堂記念館。順天堂大学のルーツです。

順天堂の創始者、佐藤泰然の像。佐藤泰然は江戸時代末期に活躍した蘭医。堀田正睦の招きに応じ佐倉で開院しました。

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