日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

松坂城の巻 蒲生氏郷が築いた石垣自慢の城、本居宣長の旧宅も

2014-10-25 14:41:43 | 近畿

江戸時代の国学者・本居宣長の記念館

本居宣長の旧宅

中御門の石段


本丸跡

金の間櫓跡

天守閣跡

松阪城梅林


月見櫓跡

案内板

大手門

大手門前の御城番屋敷の土蔵

松阪神社

松阪城の築城したのは蒲生氏郷です。
天守閣は残っていませんが、城郭としてはなかなか良い城です。石垣は上野城ほどではないが高さも十分で必見です。

伊賀上野城の巻 日本一の高石垣、築城名人・藤堂高虎の城

2014-10-25 14:22:22 | 近畿

伊賀上野城の白鳳門


伊賀上野城。現在の天守閣は昭和10年に再建されました。



築城の名人・藤堂高虎の像

天守閣からの眺望

天守閣の天井には近衛文麿、尾崎行雄、横山大観などからの再建祝いの色紙が飾られています。

藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した鎧兜。三重県指定文化財です。大きいです。まるでプロペラですね。


高さ30mの高石垣。大阪城の石垣と高さでは双璧だそうです。

高石垣から見下ろす内堀

忍者博物館

伊賀上野出身の芭蕉を記念する俳聖殿

高石垣を下から見上げる

昭和10年に天守閣を再建したのは川崎克という国会議員です。自分の私財をつぎ込んだそうです。
昭和10年の再建ながら昔の空気を持っています。今の時代だと建築基準法とか消防法とかバリアフリーとかでこういった建築物はできないでしょう。
この伊賀上野城は伊勢から鈴鹿峠を越えて奈良へと至る東海道の要所に位置しています。鉄道の東海道線は名古屋から岐阜、大垣、米原と伸びていますが、江戸時代の東海道は桑名から鈴鹿越え、伊賀越えのルートでした。関ケ原の戦い以降、大阪方、西日本の外様大名に対する防衛ラインとして重要な位置づけだったと思います。


桑名城の巻 東海道を海路で結ぶ交通の要所の城

2014-10-25 14:08:25 | 近畿

初代桑名藩主・本多忠勝の像。忠勝の孫・忠刻の正室は家康の孫娘、秀頼の妻・千姫です。千姫は大坂城落城後に江戸へ戻るために桑名へ立ち寄り熱田へ渡る船中で忠刻と出会い結婚したという逸話があるそうです。
交通の要衝だけに面白い話がありますね。


桑名城跡。本丸があった場所は定かではないそうです。


桑名城跡は今は九華公園として整備されています。

蟠龍櫓。揖斐川の水門を管理する事務所の上に櫓を復元しました。


七里の渡跡

東海道は熱田から船で伊勢湾を横断、桑名の七里の渡で上陸し、再び陸路を進みます。

駅前のメインストリートで見かけた海蔵寺。丸十の島津家の家紋です。薩摩藩は幕府に命令され木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川の治水工事を行いました。費用は全額薩摩が負担、工事は難航し多くの犠牲者を出し、さらに予算枠を大幅に超過したために工事責任者の家老・平田靭負は責任をとって切腹。海蔵寺は薩摩藩の21人の義士を弔っています。