日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

猪苗代城の巻 猪苗代・伊達・蒲生・上杉を経て会津藩の支城になる

2016-07-22 17:44:06 | 宮城・福島・山形


磐越西線・猪苗代駅に到着。今日は猪苗代城を目指します。

磐梯山






猪苗代城の大手門です。猪苗代城は1191年に猪苗代氏によって築城され、1589年の伊達・蘆名が争った摺上原の戦いで蘆名氏が敗北し、猪苗代氏の支配は終了しました。その後は会津若松城の支城・出城として存続、幕末の戊辰戦争では会津藩城代が猪苗代城に火をかけて撤退したために焼失しました。猪苗代氏時代の中世の城は鶴峰城、近世の会津藩の城は亀ヶ城として別の平山城としてそれぞれ城跡が残っています。会津若松城は別名が鶴ヶ城、猪苗代城は別名亀ヶ城です。

大手門多門櫓台の石垣


大手門冠木門跡


大手道

鐘撞堂

三本杉井戸


帯郭法面石垣


二の郭櫓門跡


二の郭跡の野口英世像

本丸黒門跡

本丸跡

本丸跡から見る磐梯山


北帯郭


公園広場

亀ヶ城の城山


体育館

蛍庭

鶴峰城への道


石積枡形虎口

分郭



鶴峰城本丸の下の小学校プール


本丸跡





鶴峰城跡北側の公園入口



猪苗代駅に戻りました。



梁川城・高子岡城の巻 福島県伊達市、伊達氏発祥の地の2つの城

2016-04-22 20:13:49 | 宮城・福島・山形
仙台青葉城は伊達政宗の居城として有名ですが、政宗は伊達氏の17代で、伊達氏のそもそもの発祥は現在の福島県伊達市です。阿武隈急行の沿線にある伊達氏発祥の地、高子岡城と梁川城を訪ねました。


高子駅




高子岡城跡。伊達氏初代の朝宗の居館です。朝宗は源氏の縁戚で、頼朝より伊達郡を拝領しこの地に居館を築きました。



八幡宮
高子岡城の頂点、高子二十境の丹露盤


丹露盤からの眺望。白い建物は北福島医療センター





高子駅へ戻りました。

駅のホームから見た高子岡城の城山

梁川駅。2006年に伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市がスタートしました。旧梁川町役場は梁川駅前にありました。現在は分庁舎があります。


やながわ希望の森公園前駅



北三の丸の土塁



梁川城跡に建つ県立梁川高校


本丸跡の幼稚園


本丸跡の心字池

本丸石垣

旧梁川小学校のグラウンド。小学校は移転しました。



本丸跡の浅間神社


松前藩時代の大手門跡。松前藩は19世紀初めに幕府に蝦夷地南部を取り上げられ埼玉郡、伊達郡を領地として与えられました。




本丸東側の土塁


旧梁川小学校の校門

小学校跡の本丸庭園

小学校のグラウンド


城下の家並み







上杉藩時代の大手門跡


小学校グラウンド跡

梁川城跡は今一歩目玉がない城跡でした。伊達氏11代持宗が梁川城を居城としました。梁川には15代晴宗がつくった梁川天神社、政宗正室の愛姫の輿を受け渡した地などがあります。伊達氏はその後、桑折西山城、米沢城、黒川城(のちの若松城)、岩出山城、仙台城と居城を移します。

棚倉城の巻 江戸時代初期に丹羽長秀の長男・長重が築城

2016-04-16 20:11:19 | 宮城・福島・山形
福島県東白川郡棚倉町の棚倉城を訪ねました。
棚倉は、戦国時代は常陸の佐竹氏の領地でしたが、関ヶ原の戦いで態度が不鮮明だった佐竹義宣は秋田へ転封となり、空白となったこの地に九州の立花宗茂が入封、その後、丹羽長秀の長男・長重の領地となり、将軍秀忠の命で長重は棚倉城を築城しました。

水郡線・磐城棚倉駅


ちょうど十万石棚倉城まつりが開催中でした。


駅前の水戸街道

北門跡の東屋

棚倉城は江戸時代初期に造られた平城です。この地に城を造らせたのは徳川幕府の伊達への対策だと思われます。

北二門付近



北二門の土塁

別名を亀ヶ城といいます。



棚倉城主は幕末までの250年間に8家16代と頻繁に交替しました。丹羽、内藤、太田、松平、小笠原、井上、松平、阿部。15代城主の松平康英が川越へ移封となった縁で棚倉と川越は友好都市となり、十万石まつりの会場には川越からお祝いの使者が来ていました。



土塁の上の棚倉町合併記念碑

畑俊六元帥終焉の碑

忠霊碑



棚倉城址碑

櫓門跡






北二門の枡形







二の丸の石垣

二の丸石垣の下の棚倉中学校


時の鐘


学びの門

秋葉神社

秋葉神社の大ケヤキ

古民家


駅前の図書館。以前は棚倉城の中にあったそうです。

駅前通り


会津・鶴ケ城の巻 戊辰戦争で落城、今年天守再建50年を迎える

2016-03-22 14:52:27 | 宮城・福島・山形

会会津鶴ヶ城の天守は今年再建50年です。会津若松駅と白虎隊の像

蒲生氏郷の墓所がある興徳寺


「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」蒲生氏郷の辞世の歌碑


蒲生氏郷の墓。上から「空風火水地」を意味する五輪塔

同じく蒲生氏郷の歌碑


会津藩最後の藩主・松平容保の歌碑「百とせを三たびかさねし若松のさとは幾千代栄えゆくらん」

興徳寺瑞雲閣

旧会津中学校の碑


藩校日新館の跡地に日新館という名前のスイミングスクールがあります。観光施設としての「藩校日新館」は市の郊外にあります。


南町通濠


西追手門付近

西出丸の駐車場


梅坂




鐘撞堂




太鼓門の石垣

武者走り


天守台の野面積み石垣


鶴ヶ城稲荷

蒲生時代の表門跡





1966年(昭和41年)に再建された天守

本丸井戸

本丸跡


干飯櫓

天守入口

天守売店

鶴ヶ城模型


天守下の塩蔵

天守最上階

磐梯山。手前に白虎隊墓地がある飯盛山

会津若松市街

干飯櫓へつながる南走長屋

干飯櫓内部

干飯櫓の鉄砲挾間

石落とし


江戸時代の表門・鉄(くろがね)門

鉄門の表側


上杉謙信仮廟所跡。上杉景勝は会津移封の際に謙信の墓を会津へ移しました。米沢移封の際には米沢へ移しました。

笠間稲荷神社


五軒丁濠




馬洗石



月見櫓


茶壺櫓

廊下橋





奥御殿の庭の跡

御三階跡

表御庭跡


麟閣。千利休の高弟だった蒲生氏郷は利休の子・少庵をかくまいました。麟閣は少庵がつくった茶室です。

寄付

中門

腰掛待合

つくばい


茶室

にじり口






「荒城の月」の碑。「荒城の月」の碑は確か大分県竹田市の岡城址にもあったと記憶しています。仙台青葉城にもありました。他にも岩手県二戸市の九戸城、富山市の富山城にもあるそうです。

藩主居間の庭跡

奥御殿跡


戊辰戦争後の鶴ヶ城の写真



廊下橋付近の石垣

廊下橋






二の丸


東門

東門入口

司馬遼太郎文学碑

土井晩翠の像



秋月悌次郎の「北越潜行」の詩碑

「八重の桜」山本八重の像

県立博物館


北出丸

鶴ヶ城は若松城、会津城などいくつかの呼び名があります。文部省は若松城として史跡指定をしました。そういえばい「会津」という地名も本来は旧国名ですが、会津若松市=会津というイメージもあります。明治期に若松市が発足、戦後、会津若松市となりました。かつて若松市は北九州にもありました。九州の若松市と区別するためというより、会津人としては積極的に会津の2文字を付けたかったのだと推察します。


戊辰戦争で大破した鶴ヶ城の整備に貢献した遠藤敬止の頌徳碑

北出丸から見た天守

武徳殿


三春城の巻 伊達政宗の正室・愛姫の実家・田村家の城

2015-12-16 21:23:35 | 宮城・福島・山形
「滝桜」で有名な福島県三春町の三春城へ行きました。滝桜は2000年ころに一度見ていますが、三春城は見ていないので改めて三春町を訪ねました。

郡山から磐越東線で三春駅にきました。駅北口から三春町の中心部へ歩きます。市街地は駅の南側にあり、徒歩20分ほどです。

陸橋上から見る三春駅

阿武隈川の支流・八島川

三春小学校の校門。三春藩の藩校所・明徳堂の門を移設しました。この小学校のあたりは三春藩主の居館がありました。

ここで思い出しました。私は三春城の城山へは15年前に登っています。

お城坂

枝垂れ桜

城山公園案内板

二之門跡の駐車場



揚土門跡


三之門跡


大門跡


三春城は別名、舞鶴城といわれます。16世紀初頭に田村氏が築城したとされ、田村清顕の一人娘・愛姫は伊達政宗の正室となりました。
田村氏は秀吉による奥州仕置で改易となり、その後は蒲生、加藤、松下と続き、江戸期後半は秋田氏が藩主となって幕末まで続きました。秋田氏とは秋田県の県名の由来となった秋田氏で、佐竹氏が関ヶ原の戦いの結果、出羽(現秋田県)へ国替えとなり、秋田氏は佐竹のあとの常陸へ移され、その後三春藩主となりました。


本丸跡

奥跡

幕末の最後の藩主・秋田家祖先の慰霊碑

「明治戊辰役三春藩烈士之碑」

大広間跡


二之丸跡

二之丸からの眺望

矢倉跡


二之丸散策路

三春小学校。このあたりに城主の屋敷がありました。

三春町歴史民俗資料館

藩校所明徳堂跡。明治期には正道館という学校がつくられました。

自由民権発祥の地の碑

三春出身の自由民権活動家・河野広中像。河野はのちに衆議院議長を務めました。

三大桜・山高神代桜の子孫木。三大桜とは「三春滝桜」、山梨県北杜市・実相寺の「山高神代桜」、もう一つは岐阜県本巣市の「根尾谷淡墨桜」です。神代桜は毎年狙うのですが、なかなか機会が得られません。