ニュージーランドの高校を卒業したばかりの日本人少年が、南極へ向かう船に乗り込み、密航する。
船内の厨房手伝いと船の新聞発行の仕事をすることで同行を許される。
「中・高校と僕の周りは誰もがゲームに熱をあげていた。
ゲームがなぜつまらないか?
閉鎖系の中での応答にすぎないからだよ。全部、人間が作ったシステムの中での冒険ごっこ。
いわば右手と左手が争うような、延々と遠回りして結局は元のところに戻るしかないような、不毛な営みです」
オーストラリアの荒野でアボリジニのトミー老人に何を見ているの?と訪ねると、
「お前に見えているものと同じものだよ。 朝起きて、まず部屋の中を見るだろう?何も変わっていないことを確かめる。
見てないとダメなんだよ。自分のカントリーは放っておくと荒れるだろう、ものは散らかるし、埃はたまるし、カントリーも同じだよ」
「星空は天空のカントリーだ。地上のカントリーを人が巡るように天空のカントリーを星が巡る。
その星々を自分がこうして見ている。見る自分と見られる星空の関係はそのまま逆転出来る。星もこちらを見ている。無数の星の一つがこちらの視線を手繰り寄せる。一本の光の糸が張り渡せる。
あの一つの星は人間に見られていることを喜び、ちゃんと見返している。 対等の関係だ。
そこでようやくトミーが言ったことがわかった、と思った。
人が歩くことでカントリーは生命の息吹を吹き込まれる。また人はカントリーによって生きる力を与えられる」
「アイシストは小さなコミュニティーを目指すことを提唱します。社会を本当に凍結するのではなく、社会を冷却する。加熱した経済を冷まして、投機を控え、みんなで静かに暮らす。
石油を使い尽くしたら次は何ですか?自然からどんどん遠くなって、その分だけ危なっかしくなる。だから文明全体をもう少し冷却したほうがいい。そのためには個人が心を冷やすこと。静かな生活の中に静かな喜びを見出す。氷はその象徴です」
これは冒険小説の範疇に入るのかな?密航し、パン焼き、船内新聞記者として働く少年の見聞記の体裁で進むうちに、今私たちが直面している自然に対する科学技術の問題を考えさせます。
アイシストの提言を読むうちに、本当にある組織なのか、と思ってしまうほどでしたね。
そう、主人公と仲良くなるアイリーンにちょっと会ってみたくなりました、、。