戦争法が強行成立させられて2年と少し。今日も戦争をさせない北海道委員会の総がかり行動が札幌は大通り公
園で夜に取り組まれます。あいにくと参加出来ず、安保法制違憲訴訟の会北海道の一員として原告としての陳述を以下のようにしたためました。
世相は弱者を助けることもせず、被害者が責められるかのような深い業病を見せつける組織のお粗末さ危ういさを露呈し、加害の側もすっとぼけて「全体を見て」とうそぶくような醜い面を恥ずかしくもなく露出させるなど吐き気が出そうですが、ぐっとこらえますが。
2018年4月19日
意見陳述書
浅野隆雄 印
1 はじめに
「安全保障関連法」の成立という戦後日本の歴史的にも大きな節目を迎えましたが、その成立過程では反対する国民も多く、いわば国論を二分したという事実があり、また充分な審議が尽くされたとうあ到底言えないと思います。
国民の多くにその法案の問題点など疑念や不信などが生じ、それらは今も解消できておりません。
また「安全保障」との法案の名前とは裏腹に「安全への確信や手応え」を決して実感できていない状況にあると感じるのは、決して私一人ではないと思います。
従いまして、あらためて自分の今の思いを書き記しながら「安保法制違憲訴訟」の前進を願い、何よりも憲法違反の法律の廃止を心から願う次第です。
2 どうしても認められない危険な動き
私は昭和31(1956)年に十勝管内上士幌町の農家に生まれました。すでにおじいちゃんは亡くなっておりばあちゃんと両親、姉兄兄に次ぐ4番目の子どもとして生まれました。
小さいときから農家ゆえ仕事の手伝いなどは当然のことのように朝から夜まで行いました。土曜日日曜日も休むこと遊ぶこともなく、ひたすら畑の仕事などの手伝いに明け暮れました。
父の兄弟のうち弟は戦争で招集されフイリピンで戦死しています。父も招集されましたが体を壊し炭鉱にて働いていたとのことです。じいちゃんを早くに亡くしたばあちゃんは子供の育てと農家の切り盛りで大変な苦労を強いられ、子ども7人(娘4人、息子3人)の世話におわれたとよく聞かされました。
何よりも息子の一人を亡くしたばあちゃんの悲しみは想像も出来ません。
戦争させ戦争さえなければこのような苦労はしなくて済んだはずと、幼いながらも目の当たりにした経験から染みついた私の強い思いです。
だからこそ、日本は二度と戦争をしない、との決意から不戦の証として憲法9条が生まれたのだと思います。
特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪と憲法の諸原則反する、若しくは制限する法律が多くの国民や学者などの反対を押し切って成立したのは、危険な流れであり、私としては到底認めることができません。
3 友好こそ平和の力
国民の暮らしと命を守る!と明言する安倍政権のもとで強行に成立させられた安全保障関連法は、隣人との友好や対話への力になるどころか逆にきな臭い事態、つまり戦争への道の積極的展開にしか映らず、ともするとパワーゲームの先の「やられる前にやる」と一層の不安や心配しか感じられない、まさに平和への逆行、つまり軍拡競争という危険極まりない流れそのものに見えます。
「転ばぬ先の杖」との言葉がありますが、被爆国日本が子どもたちの笑顔があふれる平和な社会であれば、世界に向けて平和憲法を大きく掲げて外交も友好も対話も推し進めることができると思うし、まさにそのような平和国家日本の創造の努力こそ国民の願いに応える道であると信じ、戦争法と呼ばざるを得ない危険な悪法は廃止するべきであると強く訴えます。