忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

人知を超えた存在

2011-05-11 | 生き方を学ぶ

新聞に立花 隆さんが書いておられることは日頃から心の片隅にある私の疑問をそのまま載せてあった。

被災地の少女がローマ法王に「なぜ、こんなむごいことが起きるのですか?なぜ神さまはそれをお許しになるのですか?」と問いかけたとき法王は「私には分かりません。なぜなのですか?と神さまに問い続けています」と答え、「でも神さまはいつも私たちのそばにいます」と付け加えたと書かれてあった。

ずっと以前から私も広島、長崎の原爆投下のことを思うと、この疑問が沸いてきて、知人のクリスチャンに聞いてみたが、もうひとつはっきりとわからなかった。

世界をみればこれまでも幾度となくこのようなむごいことが起きている。それが人災である場合は戦争や、原発などが考えられるがこれらは人間の持つ執着や欲といったものから発せられるのではないかと思う。

しかし自然災害の場合はまったく人知の計り知れないものがある。

人災による場合は人間の本性を仏や神に聞き、被害をなんとかすくなく出来るかもしれないが、自然の猛威に対してはどのように考えればよいのだろう。

どちらにしても神が返すのは「沈黙」という答えだと立花氏は書いている。そして最後に答えは見つからないかもしれないが、問い続けることが大切だとしめくくってあった。

その昔仏陀は、自分の生まれ育った釈迦族が攻められたとき2回までは神通力のようなもので釈迦族を助けたが3回目に攻められたときは釈迦族の因縁がそうさせたのだろうとそのままにされ、釈迦族は滅んでしまったという話を読んだことがあるが、仏様も神さまも分からないことがあるのだろうか?

ただ、私自身は世の中には人知を超えたすごいものが存在しているということを信じ、自分に今出来ることは 朝と夜の祈りばかりである。


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