ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

志村散歩

2024年08月25日 | TOKIO散歩
前夜の雨のおかげで久しぶりに朝の気温が26度台だった日、8月になって初めてyamapを起動しての散歩をしました。
王子神社往復も飽きていたので地下鉄で都心と反対に5駅乗って行って、そこから歩いて帰るという作戦。

新板橋駅のホームにいたら「大和行き」という表示があって驚きました。
昨年相鉄線ともダイレクトに繋がって「海老名行き」というのはよく見かけましたが「大和行き」は初めてです。
まさか板橋とReeさんのところとが電車1本で繋がるなんて。お互いのblogでコメントを交わしていた15年前には想像もできませんでした。

下車したのは志村三丁目駅。天気予報では昼過ぎまで曇りの予定だったのに、晴れ男が散歩に出ると7時過ぎからいきなりピーカンです。
城山に沿って御成塚通りを歩き始めて5分で汗が。日傘もサンバイザーも持って来なかった。大急ぎで歩いて帰るしかありません。

SDGsの17の目標。手書きのようでしたから近所の小学生が書いたのかも知れません。
SDGsという言葉が聞こえるようになった頃はすでに社会から退いていたので詳しいことは何も知らないのですが、あまり良い印象ではないことははっきりしています。
でもそもそも知らないことなので何かを語ろうとは思いませんが。

志村商店街の通りとの交差点にあるファミレスの建物は、秋には人気のハワイアンカフェ「コナズ珈琲」になるといたばしタイムズに書かれていました。
この建物は1980年代に半ばには「てんぐ」でした。会社が近かったのでよく行ったな。その後何度かお店が変わっています。この10年ほどはサイゼリアでした。

志村第三公園の上の建物も改めて見るとなかなか味わいのある昭和建築です。1階は1980年代はカフェバーでした。「カフェバー」は意外にも死語になりませんでした。

この坂の下のアパートに住んでいた頃、大雪の朝にこの坂が上れなくて、、、、、という話は5年前と12年前に書いています。
同じ話も5年経ったらもう一度してよいというルールにならないかな。

右の黄色いテントのカレーショップ田園は2024年7月27日で閉店になりました。
1997年のオープンからお世話になった身としてはやはり寂しい。まさかうな吉の方が長く続くとは!

志村坂上駅の裏。真ん中のお肉屋さんを挟んで左に「まいど」、右に「おおきに」。
「おおきに」だった場所は1980年代は「たのうら」という昭和な食堂でした。実際にそこで食べていた頃は昭和だったから「昭和の食堂」などとは言いませんでしたが。

凸版印刷株式会社は2023年秋にTOPPANホールディングス株式会社と名前が変わりました。ホールディングスとついたらもう知らない会社です。

たくさんの印刷機械や製版工場があった所は相変わらず更地のままでした。製版で使った残留薬剤が出るところなので簡単に工事が始められません。

正門から。取り壊し工事中は建設会社のガードマンがいて中には入れませんでしたが、現在はスルーで入れました。でもこれ以上奥に進んで行こうという気にはなりません。
第7棟と言われる白い建物だけがポツンと残されています。あのビルの中で働いていたのはいつのことだったか。

昭和初期に作られた正門の門柱が残っているのはなんでかな。
とりあえず現状確認ができたので満足しました。あとは急いで5km歩いて帰るだけです。
コメント
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