ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

モンゴルで「愛の証明」について考えた。

2017-08-25 06:58:30 | 東京日記
ウランバートルの朝。
犬の鳴き声と。車の音で起きる。

都市はメニメニトラフィックなので、車はナンバープレートによって、週に2回くらい走れない日が決まっているそうな。



例えば、結婚して何年か連れ添った夫婦。奥様に「私のこと愛してる?別に私がいなくてもいいんでしょ?」
何年もいるのに、そう言われたら、、、。

いきなりこんな話でどうした?という感じですが、そんな話を先日聞いて、モンゴルの草原は考えごとには最適な場所だったから。未来の自分へのケーススタディとして。色々想像してみた。

愛しているのにもかかわらず、
何年も一緒に過ごしているのに、そう言われるのは、(というか、何年も一緒にいるからこそかもだけれど。)
伝え方や環境をがらーっと変えるしか、ほかないかなと思った。

「愛」という見えないものを証明するのは、難しい。そもそも「愛」の定義が同じかどうかさえ怪しい。

定義も定まらないものを、伝えるのはもっと難しい。

きっとことばで「愛しているよ」と答えても相手が求めている答えは、ことばではない。(ことばで聞かれているのにもかかわらず。)

そして、自分の答えを言うより「なんでそう思うの?」と、相手にそんなことを聞かせてしまった理由を探していくほうがいいのではないかなー?

「なんで、私がこんなセリフ言わなきゃいけないかわかってんのかぁぁ、このハゲェー!!!!!」(この話をした人はハゲてなかったけどね笑)
って気持ちで聞いてると思うんだよねー。結構ギリギリな気持ちで。



あとは、相手が自分と一緒にいる目的も知る必要もある。


経済的安定(お金.家)
心理的安定(愛.精神.安らぎ.安心感)
社会的安定(体裁、子どもにとって両親いたほうがいいとか。)

色んな理由で、一つではないし、明確ではないと思うけれど、「あなたと一緒にいる目的」を感じたり聞いたりすることも必要かと。

自分の「愛」はなにか。
相手の「愛」はなにか。
そして、一緒にいることで相手の「愛」が深まるのか、すり減るのか。
今、すり減っているのならば、どうすれば相手の「愛」が深まるのか。

愛されている実感が感じられない。と言うことに対して、自分の愛を伝えるアプローチも大切だけれど。

「この人を愛し続けたい」(愛することは、幸せなことだと思う)と思ってもらえる環境を作ることも、大切なんじゃないかなぁ。


そもそも。そうやって、相手を知ろうと、一緒にいたいと思って話を聞くことが「愛」だと感じてもらえるんじゃないかな?(上から目線じゃなかったらね笑)


「知る」と書くと頭を使う感じだけど、
もっと感覚的に「気づく」という感じのほうがしっくりくるか。

今、なんでこの子は泣いているのか。
「さみしい」「お腹すいた」「眠い」「ぐずってる」
赤ちゃんが泣いてる理由に「気づく」みたいな。

「センス」を動詞にするなら「気づく」ということだと思います。

まとめると、、、。

・それぞれの「愛」を定義すること。
・それを深める方法を見つけること。
・一緒にいる「目的」を知ること。
・日々の相手の変化に「気づく」センスを磨くこと。

そんな感じかなっ。論理的なあなたに送る
「愛の証明」方法でしたー。







ウランバートルには
アヤしい「karaoke」となぜか「kapaoke」があります笑



karaokeも気になりつつも、、、今日から、また草原!楽しみぃ^ ^

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