ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

愛、家族、苗字

2015-11-03 22:17:27 | 唐桑日記
父方の祖母が亡くなった。
ほんとゆっくり休んでね。
96歳までちゃんと生きた。

前回いつあったかわからないくらい
疎遠だった親戚も集まった。


僕自身も親戚付き合いは薄く、
前回ばあちゃんにあったのが
4年前くらいだったと思う。

うちの父は
長女、長男、親父、次女の4人兄弟。

僕のいとこは5人。
長女の息子、
長男の娘ふたり。
次女の息子、娘、ひとりずつ
(たしか。この次女は
西の方にいて超疎遠。
いとこも小さな時に
あったらしいけど記憶がない。)

長男の娘ふたりが嫁いで
姪っ子と甥っ子が4人もできていた。
上は9歳になっていた。
この子とも初めて会うってことは
もう9年もいとこに
会っていないってことか。


なんでこんなことを
書こうと思ったのかというと。

親戚の中で今井の苗字を名乗るのが、
親父と長男夫婦と
僕だけになったことに
気が付いたから。

長男の娘ふたりが嫁いだ時点で
いとこのなかで「今井」はじぶんだけに
なっていたのだけど、
そんなの全く気にしていなくて、
今日ふとその事実に
気が付いてしまった。


僕は家系とか家を守るとか、
全く縁のないところで育っていた。



東京から船で28時間かかる島で育って、正月も帰らない時が多かった。
お墓参りも中学まで
行ったことがなかった。

「お墓参り」に初めて行ったのが、
中学の夏休み。札幌に住んでいる
友だちの家に遊びに行ったとき。
正装してどこに行くのかと思ったら
お墓だった。お墓にお水をかけたりして
「これってもしやお墓参りじゃね?」
と思っていた。


じいちゃんばあちゃんが
4人とも生きてたので、
初めて行った親族のお墓参りは
18歳の時だったと思う。



最終的に「今井」の名前を受け継ぐのが
僕だけになるということが、申し訳ないというか、切ないというか。

12年前に亡くなったおじいちゃんは
会うたびに「おまえは俺の孫だから成功する」みたいな話をしていた。
「今井家の誇り」
みたいなのが強かった。

だけども悲しいかなその子どもたちは、
兄弟どおし、いい関係を築けているとは
思えなかった。(外から見てね。認め合ったり尊敬したりってことね)権力を行使するような一方的な関係だった。

「今井家」は家の役割がはっきり
していたんだと思う。
長男だからこうしなさい。
長女だから~
おまえは末っ子なんだから~
とかね。そんな感じがした。
それが愛がないとかそういうことじゃ
ないんだよ。
お父さんてそういうもんなんだよね。
って、昔書いた。


僕の母が父方の親族とうまくいってなくて、
その影響とか
母方のおじいちゃんのことも、
酔っ払ってホームレスを家にあげて
飯を食わしてあげていた。みたいな
若干迷惑かけて困ったのよ。的なストーリーばかり聞かされていたので、
おじいちゃんというものが素直に尊敬できる存在ではなかった。

おじいちゃんが死んでから
母方のおばあちゃんは、おじいちゃんの
文句を結構言うようになったし、、。
まぁ人はそんなもんかと思ったり。

親の態度や雰囲気って
子どもにすんごい伝わるんだな。
今さらながら子どもの頃の記憶が
みぞおちあたりに、
ボディブローを打ってくる。

長男夫婦と娘ふたりが
ずーっとじいちゃんばあちゃんと
暮らして「今井家」に
対して愛着も責任感もある。

それなのに苗字がかわって家も変わって。


家のことなんて、ほんとに全く考えた
ことがないわたくしが「今井」を名乗っているのがちょっぴり申し訳なかったり
皮肉なことだなと思ったりする。

そんな日に、
おもしろかったこともある。

うちの親父はお通夜に
こんな花がらのバッグを
かけて行った。シャツもさー
ボタンとめる穴がうっすら
青くて全然喪服じゃないの!

昔はこういう色んなことを気にしない
性格とかがめっちゃ疎ましかったけど、
今日は、「親父、おもしろいなぁ」と
その生き方を認めることができた。


男なのか女なのか、
どこで誰のもとに産まれたのか。
自分では決めることのできないことが
沢山あって。
みんなそのなかでも強く、
自由にしなやかに、
生きててかっこいい人も沢山いる。

みんなさー、言わないだけで
家族ってどろどろしてるんだろうね。

おばあちゃんの思いでよりさー。
その、まわりにあることばかりに
気をとられちゃってやだな。

あやこばぁの時は純粋に、
あやこばぁと僕の関係だけだったけど
親族っていうのはぁ、殻が厚い。

中々、芯までたどり着かない。
とにかく。
ばあちゃん。ありがとうございました。