dmenuニュースより
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/entertainment/mainichi-20230405k0000m200192000c?fm=d
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今日は地下鐵で銀座界隈を通ったが、地上ではそんな事が起きてゐたとは知らなんだ。
公表記事を見る限りでは、人災疫病に感染したわけではないようだが、さうではない“体調不良”による“大事”をとって夜興行をまるまる中止とは、チト異例に覺ゆ。
そして、誰も代役を立てられなかったのかと、むしろそのことに驚く。
いつであったか、故人となった中村吉右衞門(はりまや)が体調不良で歌舞伎座の座長興行を途中の數日休演した際には、血縁者による代役、と云ふより“間に合はせ”で何とか凌ぎ、それを「歌舞伎役者の層の厚さに感動した」などと根拠不明の奇怪な禮賛をした感動好きがゐたが、今回はそんな“間に合はせ”すら調達出来なかったとも映る事態に、梨(ナシ)園もいよいよ品薄らしいと感じる。
興行とはバクチであり、また水モノとはよく承知してゐるつもりだが、ここまで生モノとはこりゃビックリ、該當日の切符を買ったヒトにはお氣の毒である。
ましてや、今のうちに見ておかうと駆け込んだつもりのヒトをや。
かつては、少なくとも私が木挽町の三階席または幕見席に通ってゐた學生時分には、かういふ異常事態が發生すると必ず代役が立てられ、その代役は誰なのかが話題になり、そしてそれが歌舞伎芝居の華でもあったが、もふそんな力はあのギョーカイには無いのだらう。
數々の代役を本役同等の實力でこなして“代役の神様”と謳はれ、「假名手本忠臣蔵」の石堂右馬之丞の代役を圧倒的な存在感と品格で魅せ、この優(ひと)くらゐ青裃の似合ふひとはゐないと、今なほ私のなかで鮮烈な印象を殘してゐる三代目河原崎權十郎のやうな名優は、もはや傅説の彼方である。