ワキ方である下掛寶生流の謠ひを、ラジオ放送から樂しむ。
謠曲と云ふと素人にはシテ方のものと云ふ印象があるが、ワキ方にも確と謠ひがあり、下掛寶生流には独自の謠本も刊行されてゐる。
が、シテ方のほどには素謠を耳に出来る機會がないだけに、今回の放送は好企画。
能樂の場合、主演のシテに對するワキは、現代で云ふところの脇役ではなく、“相手役”と云った位置付けであり、曲によってはワキ方が物語を主導する作品もある。
私も平成二十五年三月に觀る機會に恵まれた「壇風」のほか、「谷行」「羅生門」、今回放送の「咸陽宮」がそれで、秦の始皇帝の命にあと一歩のところまで迫った二人の男の顛末を、下掛寶生流の能樂師たちが力強く清々しい謠ひで、きっちり物語に聴かせる。
夏目漱石が下掛寶生流宗家の寶生新から謠ひを習ってゐたことは有名だが、寶生新が出稽古(出張稽古)をしょっちゅうすっぽかすことに怒った夏目漱石が、稽古を辞める旨を手紙にして送ったところ、數日後に本人がひょっこり訪れたので、手紙を送った旨を話すと、「さうですか。で、今日は何を稽古しませう」と答へたと云ふ、明治といふ時代らしい職人藝な噺を傳へてゐる。
ときにはシテ(主役)を凌駕するやうな藝を魅せたと云ふ寶生新の如く、下掛寶生流は現在に至るまで名人を代々輩出してゐる希有な流派でもあり、さうした藝質の厚さが、今回のやうにシテの相手役といふ立場から独立した謠ひを聴かせられるだけの力になってゐるのだ。
ダンス界の大御所SAMはこの寶生新の血筋にあたり、おそらくそのDNAだらう、現在はシテ方(上掛)寶生流に入門して能樂の勉強もしてゐるのは、奇縁として興味深い。
さりながら、傳統藝能界共通の問題として、ワキ方も人數が不足しており、演能會の番組(プログラム)もワキ方の日程に左右される場合があり、シテ方の能樂師たちが争奪戰を繰り廣げることもある云々。
現状はどこも厳しい。
しかし私は、觀て樂しむ立場で、この生き甲斐と付き合っていくのだ。