ラジオ放送で、觀世流「玄象」を聴く。
本来は一月十六日に放送予定だったが、前日にトンガ諸島沖で發生した火山爆發による津波危機の緊急放送で、今日に変更になったもの。
渡唐を志して摂津國須磨浦までやって来た琵琶の名手藤原師長と、須磨浦の老夫婦とによる雅樂の祭典、そして極め付けに登場する村上天皇の靈──
さらには昔に海底の龍王に献じた名器“獅子丸”も登場して藤原師長に授けられるなど、能としては壮麗な大曲だが、後シテ──後半の主役──の終局部分(キリ)は、仕舞としては型そのものが易しいため、流派によっては初心者向けの教材として用ゐられる。
そして素人發表會では、初舞台の人たちの珍奇百出な村上天皇像が繰り廣げられ、それはそれで見てゐて樂しい。
しかし、舞の型そのもは易しさらうと役はあくまで村上天皇──“テンノウへイカ”である。

つまりそれらしい氣品を漂はせなければならないわけで、型と役柄の難易度に大きな開きのある、まともに考へたらこんな皮肉な大曲はないと、私も過去に仕舞でつとめた経験から痛感する。
……いや、さうおカタく考へるのは止さう。
仕舞扇一本で庶民でも手軽にテンノウへイカにだってなれる、それが仕舞の樂しさなのだから。
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