
道標から12分、「八日市」交差点で国道254号線を渡り↑、田畑が広がるなかをほぼ直進することさらに約10分、今度は県道22号線を渡って、道標にあった「元阿保(もとあぼ)」地区へ。
「阿保」と聞くと、私などは平城天皇の第一皇子にして在原行平・業平兄弟の父である阿保親王を連想し、ここはさだめし阿保親王と何か深い関係が…、と思いきや、鎌倉幕府の有力な御家人であった“安保氏”の領地であったことに因んだ地名とやら。
そして、現在は松が植えられている安保氏屋敷跡のすぐ先には、一族が祀られていると思われる「阿保神社」が。

正解を知って「なんだ…」とちょっとガッカリしましたが、児玉街道がかつての鎌倉街道の一部であったことを考えれば、「なるほど」、と納得がいきます。
阿保神社から約10分で、神流(かんな)川の土手に行き当たります。

「阿保」と聞くと、私などは平城天皇の第一皇子にして在原行平・業平兄弟の父である阿保親王を連想し、ここはさだめし阿保親王と何か深い関係が…、と思いきや、鎌倉幕府の有力な御家人であった“安保氏”の領地であったことに因んだ地名とやら。
そして、現在は松が植えられている安保氏屋敷跡のすぐ先には、一族が祀られていると思われる「阿保神社」が。

正解を知って「なんだ…」とちょっとガッカリしましたが、児玉街道がかつての鎌倉街道の一部であったことを考えれば、「なるほど」、と納得がいきます。
阿保神社から約10分で、神流(かんな)川の土手に行き当たります。
