中村吉右衛門(はりまや)の二代目が、先月二十八日に亡くなってゐたことを知る。

この優も、自分の藝(いえ)の明確な継承者をつくらずに逝ったな、と思ふ。

この優も、自分の藝(いえ)の明確な継承者をつくらずに逝ったな、と思ふ。
もっとも、子息はゐるが凡庸で、継げるのは辛うじて“名跡(なまえ)”だけであらうことも含めて、この業界は近年さういふ例ばかりだと、傍觀してゐて感じる。
役に生涯恵まれなかった役者のうちには、「こんな思ひだけは息子にさせたくない」と、敢へて家業を継がせない例もあるやうだが、血縁の有る無しに拘はらず、やはり自分のはっきりとした後継者をつくってこそ、傅統藝能者としての責務と人生を全うしたことになると私は考へる。
さうでなくては、人間國寶も勲章も、先の茶番大運動會の金メダルと同じく、その人の自己満足でしかなくなるのだ。