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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

たんのゆくえ。

2014-06-03 21:02:35 | 浮世見聞記
相模大野の文化ホールで、「梅蘭芳生誕120周年記念」と銘打った京劇の来日公演を観る。

梅蘭芳の代表的演目より二作品を通して、在りし日の名女形をしのぶ。


しかし、京劇は文化大革命で女形が廃止され、現在ではその役どころを、女優が替わっている。

女形の継承者としては、梅蘭芳の子息である梅葆玖氏がおられるが、老齢のためかあまり舞台には立っていないご様子。


十年ほど前、その梅葆玖氏を取材したNHKのドキュメンタリー番組を見たことがある。

“女形が廃止となった現在、京劇の女形芸という伝統を、いかにして次世代へ渡していくか”-

京劇俳優を志す現在の若者は、かつて京劇に女形が存在していたことを知らないとあって、衝撃を受けた覚えがある。


梅氏が苦悩の果てに決意したのが、弟子の女優に梅蘭芳の芸を伝授することだった。

男性が演じる女性の姿や心を、真実の女性をもって表現する-そうするしか、もはや方法はのこされていなかった。


しかし、男性がつとめることを大前提に完成された女形芸を、生身の女性がつとめることは、どだい無理がある。


日本でも、過去に劇団前進座がそれを実行し、見事に大失敗している。

また手近なところの話しとして、女流の日本舞踊家が古典の舞踊劇で女形を真似た声音でセリフを口にしているのを耳にすると、そのわざとらしい響きに下を向きたくなる。

田舎に伝存している素人歌舞伎などで、女性役を当然のように女性が演じているのを見ると、もはや歌舞伎ではない“時代劇ごっこ”としか映らなくなる。


いまの時代、『男女に平等の機会を!』と謳った社会風潮にのっかって、あらゆる場面で女性の姿を見かけるようになった。


しかし、それにも限度があることを、同時に認識しなければならない。



NHKのドキュメンタリーを見た前後に、その梅葆玖氏の来日公演があった。

いずれは消え行くであろう正統の女形芸を目に出来る、ほぼ最後の機会であったにもかかわらず、どうしても都合がつかなくて観逃してしまったことを、私はいまでも悔やんでいる。

そのときのチラシは、いまも大事に仕舞ってある。



たまにそれを取り出して眺めては、私はいまから回顧老人へと成り果てるのだ。
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