
「間の榎」の先が、かつての間々田宿。
上段写真左手にあった本陣も現在は駐車場になっているなど、旧宿場町の面影は皆無のためさっさと通り過ぎ、話すべきことの何も無い国道4号線の歩道を再び歩き続けること約30分、小山市粟宮で左へカーブする国道と分かれてさらに直進。
「神鳥谷」と書いて“ひととのや”と読む、振り仮名ナシでは絶対に読めない地区を過ぎるとあたりはだんだんと市街地らしい雰囲気となり、やがて間々田宿から約1時間、小山宿に到着。

ここも典型的な再開発によって本陣共々当時の雰囲気などありませんが、かつて明治天皇の行在所となった脇本陣だけが、何となく陰気な佇まいで、当時のまま遺されています。

上段写真左手にあった本陣も現在は駐車場になっているなど、旧宿場町の面影は皆無のためさっさと通り過ぎ、話すべきことの何も無い国道4号線の歩道を再び歩き続けること約30分、小山市粟宮で左へカーブする国道と分かれてさらに直進。
「神鳥谷」と書いて“ひととのや”と読む、振り仮名ナシでは絶対に読めない地区を過ぎるとあたりはだんだんと市街地らしい雰囲気となり、やがて間々田宿から約1時間、小山宿に到着。

ここも典型的な再開発によって本陣共々当時の雰囲気などありませんが、かつて明治天皇の行在所となった脇本陣だけが、何となく陰気な佇まいで、当時のまま遺されています。
