東京都新宿區下落合2-10-7付近、“おとめ山通り”沿ひに、「東山藤稲荷神社」と彫られた石標と逢ふ。

しかしそこには石標ばかりで當の社は見当當たらず、跡地を示す碑なのかと思へどさうでもなく、ハテ……? と首を傾げるうち、すぐ隣の歯科醫院の脇を入った先に、鳥居と石段が見えることに気が付く。


鳥居の下には狛犬ならぬ“狛狐”が神域を守ってゐるのが、いかにもお稲荷様らしく、

そこはかとなく独特の空気を醸し出してゐる。
東山藤稲荷神社は、延長五年(927年)に武家源氏の祖である源経基が創建し、のちには源氏の守り神として深い信仰を集めた云々。
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しかしそこには石標ばかりで當の社は見当當たらず、跡地を示す碑なのかと思へどさうでもなく、ハテ……? と首を傾げるうち、すぐ隣の歯科醫院の脇を入った先に、鳥居と石段が見えることに気が付く。

石標はかつて参道があった時代の名残りだらうか。
右へ折れる石段を登った先、都心にゐるとは思へないやうな緑に囲まれたなかに、本殿が鎮座まします。

鳥居の下には狛犬ならぬ“狛狐”が神域を守ってゐるのが、いかにもお稲荷様らしく、

そこはかとなく独特の空気を醸し出してゐる。
東山藤稲荷神社は、延長五年(927年)に武家源氏の祖である源経基が創建し、のちには源氏の守り神として深い信仰を集めた云々。
さらに時代が下ると、「知恵と勇気をお授け下さる神様」として、庶民からの信仰も集めた云々。
お稲荷様は藝能を司る神様でもあり、これは樂しいご縁と、丁寧に参拝す。
さう遠くない日に、手猿樂を安心して舞へる機會が訪れる、そんな氣がしてきた……、やうな。