迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

秋の可憐のつくり華。

2023-10-18 19:22:00 | 浮世見聞記




「文七元結物語」を觀に、歌舞伎座十月興行に出かける。

三遊亭圓朝が口演して人情噺の傑作となった「文七元結」を、明治三十五年(1902年)十月に榎戸賢治が歌舞伎劇に脚色して五代目尾上菊五郎が初演し、こちらでも人氣狂言となり、


(※六代目尾上菊五郎扮する「人情噺文七元結」左官長兵衞 昭和十七年四月 歌舞伎座)

戰後に狂言作者の二世竹柴金作が整理した現行脚本「人情噺文七元結」は、私も故人十八代目中村勘三郎(なかむらや)などの主演で觀たことがある。

その「文七元結」を、今回は映画監督の山田洋次氏による新たな脚本と演出で上演云々、ただそれだけならば氏がどんな芝居に仕立てるか、だいたい想像がつくので食指も動かぬが、左官長兵衞の女房お兼に、當代尾上菊五郎(おとはや)の長女である女優が起用されるとのことで、俄然興味が湧く。



一觀客の感想として、歌舞伎座の舞薹で歌舞伎劇として出演するには、案外の力不足。

薹詞を喋ればそれなりの存在感は出るが、黙ってゐると、下回りの女形が演じる同じ扮装の長屋女房と同化してしまって、姿を見失ふ──實際、花道からの最初の出(登場)で、私は女房お兼がどこにゐるのかわからなかった。

もふちょっと魅せてくれるかと思ったが……。

現在の前進座のやうな“カブキごっこ”ならばともかく、たとへ今度のやうな新脚本による新演出であっても、歌舞伎の女役はやはり女形が演じるものであり、今回の娘お久に見る震ひつきたいやうな可憐さなどは、まさに女形にしか出せない歌舞伎劇の味である。

さう思ふと、學生時代に觀た故人十八代目勘三郎(當時は勘九郎)の長兵衞に負けじとガミガミやり合った、澤村藤十郎(きのくにや)が演じた女房お兼は無類の面白さであり、また理に叶ったものであったことを、數十年を經た今頃になって知る。

──因みにこの時の興行で娘お久を演じて役者の初舞薹を踏んだのが、松たか子である。





上の人情噺を觀るために、「天竺德兵衞韓噺」なる前座芝居に付き合はされたのは、いささか拷問。

四世鶴屋南北の手によるかうした奇想天外な芝居は、奇想天外な役者で布陣を張らなければ、今回のやうにだだのダラダラした愚劇にしかならない。


(※六代目尾上菊五郎扮する天竺德兵衞 大正七年八月 帝劇)

音羽屋ゆかりの狂言とあってか、その後裔が聲(セリフ)を張っての熱演を見せるが、それと實際の魅力とは別モノであり、私はなんでこんな芝居(もの)を見せられてゐるのだ、と欠伸をかみ殺……さずに、客席で天井を仰ぐ。











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