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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

現代の名奉行。

2018-07-09 17:31:05 | 浮世見聞記
6月18日──大阪北部地震の発生した日──、加藤剛さんが胆嚢癌でお亡くなりになってゐたことを、今日の訃報で知る。


小学生のとき、平日の夕方に再放送されてゐた「大岡越前」をほぼ毎日観て、私はすっかり加藤剛さんのファンになった。

その後、木挽町の芝居小屋で歌舞伎役者の扮する大岡越前守忠相を観たときには違和感を覚えたくらゐ、加藤剛さんの大岡忠相は当たり役だった。


後世に伝わる大岡越前像は、「官僚かくあるべし」といふ民衆の願望によって生み出された部分がかなり大きいやうだが、実際とても面目な武士官僚であったらしい。


その清廉な大岡越前守忠相像と、加藤剛さんの清潔感とが見事に合致し、『大岡越前加藤剛』、『加藤剛大岡越前』と、役と演者とが見事に一体化するといふ、俳優としてこの上なく素晴らしい姿を三十年の長きにわたって魅せてくれたわけである。



加藤剛さんの舞台を初めて観たのは学生時代、明治座で上演された「大岡越前守」で、“白子屋お熊事件”を題材にした物語だった。

このときは加藤剛さんの、テレビのときとは全く違ふ力強ひ発声に、ただ圧倒された憶えがある。

その後、加藤剛さん主演の舞台版「大岡越前」は、やはり明治座で“雲霧仁左衛門”編と、山内伊賀亮役で客演した米倉斉加年氏が老衰ぶりを曝け出して失笑をかった、“天一坊”編の、二作品を観てゐる。


そして、なんと言っても忘れられないのが、新国立劇場の開場記念で上演された「夜明け前」だ。

日本を代表する各有名劇団より、各劇団を代表する一流の役者が一堂に会した豪華出演陣のなか、主役の青山半蔵を加藤剛さんが熱演、新劇の神髄といふものを私に教えてくれた、まさに名舞台だった。


上の写真は、平成二十二年の六月に三越劇場で上演された「大岡越前──卯の花が咲くとき」を観に行った際に撮ったポスターで、結果的にこれが、加藤剛さんの舞台を観た最後となった。

さういふ演出であり、またそれが見せ場でもあったのだが、この舞台では若き日の大岡越前を加藤剛さんの次男が扮し、なんとなく“世代交代”のやうなものを感じて、寂しい気持ちがしたものだった。

だが、この当たり役は平成二十五年より東山紀之さんに受け継がれ、良い“後継者”に恵まれたと、安心してゐる。





演劇一筋を全うされた、俳優らしい俳優だったと思ふ。






合掌。

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