阪神淡路大震災が發生して、今日の5:46で二十六年。
所用のため、その少し前の時刻に起床したのも何かの縁だらうと、私もその時刻に共に黙祷す。
當時學生だった私は、帰宅途中に立ち寄った友人宅のTVで、生々しい中継映像を見詰めてゐた。
その二年後に大阪へ移り住んだ私は、すぐに神戸の街を訪れてみた。
街はかなり速く復興してゐたが、まだ所々に更地が残ってゐた。
TV映像のなかでしか知らなかった世界が、急に現實世界となって私に強く迫ってきたことを憶えてゐる。
そして桟橋が海中に沈んだメリケン波止場の前から、しばらく動けなかった。
震災當時に大學生だったと云ふ或る人は、「これでみんな、スタート地點に立った……」と思ったさうな。
その人は都合が惡くなるとすぐに哲學を語り出し、そして平気でウソをつけるヒトだったが、その時の気持ちだけは、たぶん本當だったと思ふ。